『近世畸人伝』で有名な伴蒿蹊は閑田子とも号し、本書の題名はそれによる。広く見聞したことを書き留めた。寛政年間の刊行。
・狐狸化け物の類は、陰のもので、曇りの陰地にあらわれる。讃岐の金毘羅から、厳島に船で渡ろうとしたときも霧の立ち込めた日で、烏帽子のようなものが浮かんで船と行き違った。それは鱶であり、烏帽子のようなものは尾の先があらわれたので、怪異でもなんでもないが、そのすぐ後に、東北の方向から、十三、四の子供の声がして「ほいほい」とこちらを呼んでいるようである。船人は「よいは、そこにおれ」と答える。別の船から声がかかったのかと思えばそうではない。鳥の声が人の声に聞こえたのかとも思ったが、それなら船人が答えるまでもない。船幽霊だと知れた。夜には火の光が見え、船がこぎ寄せられ、柄杓を乞うこともあるらしい。そうしたときは底のないものを与える。もし底のあるものを与えると、海水をこちらの船に汲み入れて、最後には沈めてしまうという。
・上野の国(後の群馬県)の侍の家に、秘蔵の皿が二十枚あり、割るものがあれば、一命をもって償うのだと言い伝えられていた。あるとき、下女がその一枚を割ってしまった。家のものが慌てふためいていると、裏に住む米屋が聞きつけて、「我が家に、秘薬があって、それを使えば、陶器のつなぎ目もわからなくなる」というので、呼び寄せてみると、二十枚の皿をじっくりと見るふりをして、もっていた杵で、すべて粉々にしてしまった。なにを考えているのだと皆があきれていると、笑って、「一枚割っても、二十枚割っても一命をとられるのならば、みな私が割ったのだと主人に伝えるがいい。この皿は陶器なので、すべて時期が来れば割れてしまうだろう、二十人の命を自分一人で引き受けよう」と少しも動揺しないで主人の帰りを待っていた。仔細を聞いた主人はその勇気と判断力に感じ入り、城主に進言してその男を侍に取り立てるようはかった。
・『後漢書』には男が女に変化したという記事がある。わが国でも、慶長のころ、ある老僧が弟子を連れて、さる場所に宿をとった。その弟子、夜に腹痛が激しくなり、朝には男根が没入して女陰となった。老僧は仕方なく、その弟子を宿に託して去っていったが、次第に顔かたち、身体も女のようになり、ついには宿の妻となって、子も産んだという。
・亀が経を読むと古くから言い伝えられているが、私自身まさしく聞いたことがある。実に拍子の取り方がよく、しっかりと鉦をたたくように、はじめは雨だれのテンポが次第に急になり、俗に攻め念仏といわれるもののようである。
0 件のコメント:
コメントを投稿