2018年5月1日火曜日

5.魔術的脚本――プレストン・スタージェス『偉大なるマッギンティ』(1940年)




 撮影、ウィリアム・C・ミラー、音楽、フレデリック・フォランダー。脚本は監督であるスタージェスが兼ねている。

 スタージェスはもともとは脚本家だったが、必ずしも自分の脚本の映画化には満足できず、パラマウントに脚本料は1ドルでいいから、監督もさせてくれと交渉したのがこの映画だという。

 自分の脚本には相応の自信があったようだが、自信にふさわしく非常にトリッキーな内容である。場所はどこか南国のようだがはっきりしない。事業に失敗し、莫大な借金を負った男が、バーで酔っ払って、ピストルで自殺しようとする。寸前で食い止めたバーテンが、カウンターに連れて行き、一杯飲んで帰れよ、付添っていたホステスが、彼、事業に失敗して大変らしいのよ、まあ先のことはわからないからな、俺だって昔は知事だったし、と話は見るからにしがないバーテンに移る。それ以後、中ほどと最後に自殺しかけた男とホステスは一回ずつ登場するが、本筋の話とはなんの関係もなくなってしまうのである。例えば、バーテンの話が教訓や慰めとなり、自殺を思いとどまらせる類のものであるわけでもなく、せいぜい毒気を抜かれてしまう程度のものなのだ。当然話の中心だと思われた男は、自殺未遂までしたのに、放置されたまま終わるというトリッキーさである。

 バーテンダー(ブライアン・ドンレヴィ)は、昔、選挙のとき、一人で複数票を投票することで小金を稼いでいた。あまりにも手際よく多くの票を集めるので、ボス(エイキム・タミロフ)と呼ばれている人物に会うことになる。ボスはマフィアの類ではないが、汚い仕事もこなす政界を裏から操る人間らしい。ボスは自分に向って対等に、遠慮会釈のないことをずけずけという彼が思いのほか気に入ったらしく、雇うことになる。

 男は恬淡で、これといった野心もない男で、政治的垢のついていない市長が必要になったとき、白羽の矢が立ち、見事当選し、公共施設にどんどん投資することで巨額の金を生み出し、やがて知事選に出る。ところで、知事選においては女性票を取り込むことが大切なため、結婚したほうがいいといわれた彼は、何しろあまり自分の欲求というものがない男だから、事務所の秘書に、結婚しなきゃいけないと話をしたときに、それでは私ではどうでしょう、まあいいかと結婚するが、予想外だったのは、彼女は前の夫との間に十歳に満たないくらいの二人の子供がいたことである。いずれにしろ、彼は形式上の結婚だと思っているから、同じベットに寝ることもしなかったが、知事に当選し、そこはそれ、ベットをともにするようになり、子供たちへの愛情もわいてきた。

 そして、妻と子供たちのために正しいことをしようとし、ボスに向い、もういうことは聞かないと言い放ち、拳銃で撃たれるが、特にケガすることもなく、ボスは殺人未遂で捕まってしまう。ところが、彼のほうも、市長時代の不正が明らかとなり、ボスと隣り合わせの牢屋に放り込まれる。ボスは仲間も多く、牢屋などすぐに脱獄してしまうが、なぜかそのなかには彼もいて、雷の鳴る雨のなか公衆電話で、残してきた金の隠し場所を妻に伝える姿がある。近くには車があり、早くしないとおいていくぞと怒鳴るボスの姿がある。

 バーテンダーの過去の話が終わり、自殺未遂の男もホステスも真面目に聞いてやしない。そろそろ帰りなさいよ、とホステスは破産した男を連れていく。レジスターの音がするとポーカーかなにかをしていたらしい男たちのなかの一人が立ち上がり、てめえ、またくすねやがったなとバーテンダーに殴りかかる。殴りかかったのはほかならぬボスで、二人が殴り合っている、というかじゃれ合っているところでエンド・タイトルが出るのだが、そこで、第二の、より大きなトリッキーな要素、この映画はバディ映画だったのだということがわかってのけぞってしまった。同じように監督と脚本を兼ねるといっても、ワイルダーやウディ・アレン程度の脚本ならウェルメイドですまされようが、ここまでくるとこうでもいうしかない、二度いうのもはしたないので、題名にお戻りください。

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