大正14年2月1日発行が創刊号。前身の『東邦藝術』から数えると第三号。約二年続いた。
雑誌名のサバトについては、巻頭に掲載されたGenitivsという人物の「悪魔饗宴考」に描かれている。
サバトはヘブライ語の安息に由来する。キリスト紀要に反抗する者たちがひそかに会合して行った。
秘薬の製法として普通に行われたのは、幼児を生きながら煮て、熱湯の表面に浮んだ膏を掬い取って、それをさらに煮詰めて、芹、トリカブト、白楊、煤を練り合わせてつくる。あるいは、むかご、にんじん、石菖、蛇イチゴ、蝙蝠の血、ヒヨドリジョウゴ、油を加える処方もある。
この秘薬を肌一面に塗り付け、呪文を唱え、杖、箒などにまたがると飛ぶことができる。
四月号は大正14年4月1日発行。龍胆寺旻「冬眠賦」という詩から一連引用する。( )内はルビ、漢字を略字、あるいは仮名に変えた部分がある。以下同じ。
ああ 暝(くら)い燈花(ほかげ)失せた旗亭(さかば)の牌玻璃には溌浪(おみな)等が余喘(いき) 蜘巣型(くものすがた)に凍りつきこの夜半の中有寥として支那上代陰陽(おんみやう)五行之説は希臘四大の哲理と喰ひ違ひ錬金の炉は火種(ほだね)尽きはて水銀(みづがね)は曲頸瓶(れとると)に寒々と凝結する
六月号は大正14年六月1日発行。萱雨亭「花時計」は五句の俳句
永き日や林寧(リンネ)が苑(には)の花時計卯の花や逢魔が時の俄雨
九月号、岩佐東一郎「パステル画」四つの短詩から一つ。
陽炎
何時私は雲母の眼鏡をかけたのか?
何時風景はマリアの円光を貰つたのか?
誰がアルコホル、ランプへ火を点けたのか?
新年号、大正15年1月1日発行。岩佐東一郎「恋の心」という短い詩五篇から一篇、
恋の心
恋の心はピントが狂つた写真器(カメラ)
ありありと愛する女(ひと)の面影を写してはをき乍ら
二月号、大正15年2月1日発行。佐藤春夫の「詩論」という詩、「萩原朔太郎に与ふ」という副題がついている。
夢を見たら譫言を言ひませう退屈したら欠伸をしませう自棄になつたら吐鳴りませう
しかしだ、萩原朔太郎君古心を得たら古語をかたりませう然うではないか、萩原朔太郎君
『月に吠える』以来、朔太郎の詩が下り坂だということが、同人たちの共通認識であったらしい。
四月号、大正15年4月1日発行。炉辺子が竹中郁を新人として推奨している。
これは、堀口大学氏自身の詩としによつて紹介せられたアポリネエル以降の仏蘭西近代詩と堀口氏の訳文体とによつて啓発され発達してきた詩人だと云へばその詩風を知ることができるであらう。
六月号、大正15年6月1日発行。堀口大学がヴェルれエヌの詩を二篇訳している。
傀儡
スカラムウシとポリシネラわるだくみして月かげに姿くろぐろ身振する。
時に来かかるお医者さまボロニア生まれのろくさと薬草(くすり)つみとはおもて向き。
さてその娘尻がるが楡の木かげに身をよせて肌もあらはないろ狂ひ。
あだし男は西班牙生れ海賊かせぎも誰(た)がためにやあさ、月が鳴いたかほととぎず。
七月号、大正15年7月1日発行。三村清三郎「竹清浪語」からエピソードを一つ。
東坡が友人の呂微仲を訪問したところ、眠っていたらしくなかなか出てこない。やっと座敷で会うと、そこには石菖の盆栽があり、蓑亀が飼ってあった。緑毛亀ともいい、めでたく珍しいものである。東坡は亀を指して、昔もっと珍しい六眼亀というのがあった。唐の荘宗帝のときにその亀を献上したものがあった。天使がご覧になると、亀は首を引っ込めて寝ている。役人たちが気をもんでいると、一人の伶人が、お騒ぎなさるな、亀がなにか言っております、どうも目が六つあると目を覚ますにも人の三倍かかると申しているようです。
秋季特別号、大正15年11月1日発行。岩佐東一郎の詩から。
魂
秋雨にぬれそぼちながらこの夕ぐれさめざめと泣いてゐるのは誰か
お前なのかああ お前なのか私の魂よもつとこつちへお寄り
ここへ来ておくれそしてもつと泣いておくれお前の嘆きを聞いたのは私ひとりだ
ことによつたら秋雨が聞くかも知れないけれど雨は降るのに忙しいのだ
三月号、昭和2年3月1日発行。
関東大震災の直後といっていい時期から始まっているのに、震災を直接的に言及することもなければ、連想させるような創作もないのはさすがに高踏的である。この号が最終号であったが、編集後記も普段通りで、特に中断、終了する様子は見られない。散文も載っているが、特に言及しなかったのは、雰囲気だけを重視して、同人たちが模範としていたポオのように、しっかりとした骨組みがないからである。もちろん、各冊7~80ページだという制限のあることが大きい。どうしても長編はおろか、中編程度でも掲載が難しい。ちなみにホフマンの中編が連載として掲載されている。
ライト・ヴァース的なものを多く引用したのは、私の好みもあるが、短詩が多く、短詩にはライトなものが多いので自然なことでもある。
日夏耿之介は、巻末の短いエッセイに登場するだけで、本格的な詩や評論、あるいは英文学者として登場することはないが、散文家として異彩を放っている。それがはかないマイナーポエットの存在たちを束ねている。
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