2018年5月8日火曜日

15.死の活人画――ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』




 1936年8月の『エスクワィア』誌に発表された。

 1933年から34年にかけて行われたアフリカ旅行をもとにして書かれた自伝的要素の強い短篇だといわれている。

 1936年ころのヘミングウェイは、『武器よさらば』の成功から、それをしのぐような作品を書くことができず、結婚生活は二度破綻し、金持ちとアフリカやヨーロッパを旅し、酒浸りの日々を送るという自堕落な生活をしていた。

 アメリカには、マチスモの野蛮さと見まがわれやすいが決定的に異なる男性像の系譜がある。たとえば、ジョン・ホークスやジョン・フォードがつくりだしたジョン・ウェインがそうである。その猫のような独特な歩き方は、男性性とは無縁な中性の魅力を伝えている。あるいは、クリント・イーストウッド。最初の監督作が『恐怖のメロディ』という自ら演じるラジオ・ジョッキーが、女性ファンにストーカーされ、どんどん追いつめられるということに端的にあらわれているように、ほとんど全作品にわたって、暴力に耐え、ある場合には、性を超えた名前のない天使的な存在になる。

 ヘミングウェイも闘牛を好み、狩猟を趣味とし、世界各国の戦場に赴くところなどは、戯画的といえるまでにマッチョな行動に生を費やしたが、その短篇を読むと、題材こそ異なれ、ほとんど、死と裏腹にある不安、迫ってくる死を感じることによって研ぎ澄まされていく生の鋭敏な感覚のことしか描いていないことに驚きを感じる。別の短篇の題名を借りれば、彼の短篇は「死者の博物誌」だといえるが、博物誌が特徴と差異による分類を中心にしたものだとすると、むしろ死によって脅かされる生を描くことによって、「メメント・モリ」(死を忘れるな)という強迫観念に取りつかれた者の冷静な自己分析の集成だといったほうがいい。

 『キリマンジャロの雪』は、狩猟でアフリカに来た男が、とげに刺された小さな傷のせいで壊疽を起こし、身動きもできなくなり、助けの飛行機を待ちながら、金持ちで好き勝手な生活ができるという理由で結婚したものの特に愛情は感じていない妻と、実りのない会話をしながら、なにをするにも物憂い圧倒的な疲れという姿で迫ってくる死を意識しながら、断片的な過去の記憶をよみがえらせる。冒険の最中に負傷する、あるいは革命運動のさなかに銃弾に倒れるならまだしも、とげに刺されることが原因の無意味な病床のなかで、死は「いやな臭いのする空虚さ」として近づいてくる。実際に、ホラー映画さながらに、死が近づいてくるのが描かれる場面さえある。

 しかし、ペシミスティックともいえない奥深さが、ヘミングウェイにはあって、『キリマンジャロの雪』という物語そのものには全くかかわりのない題名にもあらわれており、その意味はエピグラフで説明されている。

キリマンジャロは、高さ一万九七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ大陸の最高峰といわれている。西側の頂はマサイ語で"Ngaje,Ngai"(神の家)と呼ばれている。この西側の頂上に近く、ひからびて凍りついた一頭の豹の死体が横たわっている。こんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか、誰も説明したものはいない。

この上なく空虚で、干からびたものかもしれないが、その死体は「神の家」と隣り合わせにあり、無意味に思える華やかな生活が果たしてどこに通じているかわからないという、無根拠と敬虔さがヘミングウェイの死を単調さから救い、「博物誌」足りうるものとしている。


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