2017年12月15日金曜日

アナクシメネス――ルイス『哲学史列伝』

§II.アナクシメネス

 アナクシマンドロスは、多くの歴史家によって、タレスよりも後の人だとされている。我々はリッターとともに、その場所をアナクシマンドロスに与えることに同意する。我々がこの順番を基礎にする理由は、第一に、そうすることによって我々はもっとも安全な案内役、アリストテレスに従うことができるからである。第二に、アナクシマンドロスの教義は、タレスのものの発展だからである。アナクシマンドロスはまったく異なった思弁に従っているが。実際、イオニア学派の通常のあり方としては、弟子は師匠に反対するだけでなく、師匠の先生の教義に立ち戻るのだった。かくして、アナクシマンドロスは、正反対の考えだったが、タレスを引き継いだ。そして、アナクシメネスはタレスの原則を実行して、アナクシマンドロスの弟子になった。212年の間、つまり六、七世代の間に、4人のもの、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、アナクサゴラスが教師と弟子の関係にあったといえば、読者も伝統を継承する関係の価値が評価できるだろう。

 本当は、哲学の偉大な先導者の名前だけが守る価値がある。教えを応用したり拡大しただけのものは、忘却にゆだねられるべきである。それはまた、現在歴史が構成される際の原則でもある。それゆえ、アナクシメネスをタレスの次に置いたからといって非難するものはいないだろう。彼の弟子だからではなく、歴史的な後継者としてである。タレスとその弟子たちが残した思弁をより発展した形で後継者に伝えたからである。

 アナクシメネスの生涯で知られているのは、おそらくは63回オリンピアの際(紀元前529年)ミレトスで生まれ、58回オリンピアのときだというものもあるが、正確に日付を決定することはできない。日時計によって日食の黄道傾斜角を発見したと言われている。

 タレスの方法を追求し、彼は自分の教義の真理に満足できなくなった。水は彼にとってはもっとも意味深い要素ではなかった。彼は自分の内部に、どうしてだか、またなぜだかわからないが、彼を動かすものを感じた。それは彼よりも高次のものだった。目に見えないがずっと存在していた。それを彼は生命と名付けた。その生命は空気だと信じられた。内部ばかりでなく、外部においても、常に動き、常に存在するのが目に見えない空気ではないか。空気が内部にあるときには生命と呼ばれ、それは彼がいなくとも空気の一部なのではないか。もしそうなら、この空気こそが事物の始まりではないか。

 彼は周囲を見回し、自分の推測が肯定されると考えた。空気は普遍的なものであるようだ。*地上は幅広く、草が生い茂っている。あらゆるものはそこから生み出された。あらゆるものがそこで分解する。息をすると、普遍的な生命の一部を取り込むことになる。あらゆるものは我々と同様空気によって養われている。

*アナクシメネスが空気について語るとき、タレスが水について語る場合のように、それらの要素を地上であらわれるときのあれこれの限定的な形で理解するべきではなく、エネルギーに満ち、無限の変化が可能な生命力に満ちたものとして捉えるべきである。

 古代人の多くにとってと同じように、アナクシメネスには、吸って吐かれる空気はまさしく生命の流れであり、身体を構成する異質な実体をまとめ上げ、それらに統一ばかりでなく、力、生命力を与える。生きている世界についての信念――つまり、有機体としての宇宙――は非常に古いもので、個人の生から普遍的な生へ一般化したアナクシメネスは、どちらも空気に依存するのだとした。多くの点でこれはタレスの教えより進んでおり、読者は現代科学との一致を見いだして喜ぶかもしれない。デュマのような厳粛な化学者は「植物と動物は空気から生じ、空気が凝縮したものではないが、空気によって生き、そこに帰って行く」というかもしれないし、リービッグは『化学書簡』のよく知られた一節で、同じ考えを雄弁に表現している。

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