II.ピタゴラス
ピタゴラスの生涯は、ぼんやりとした荘厳な伝説に包まれていて、そこから救い出そうとする試みは希望がない。ある種の一般的証拠は間違いなく信用される。しかし、それはほとんどなく、曖昧である。
その伝記に必要とされる難点の一例として、古代の作家たちや現代の学者たちが探求の結果あげた誕生年のことをあげよう。ディオドロス・シクラスは61回オリンピアのときだと言った。クレメンス・アレックスは62回オリンピア。ユーセビウスは63あるいは64回オリンピア。スタンレーは53回オリンピア。ゲールは60回。ダンシエは47回。ベントレーは43回。ロイドは43回。ドッドウェルは52回。リッターは49回。サールウォールは51回。48年の幅で変わっている。もし選択をしなければならないなら、ベントレーに決めることになろう。素晴らしい学者にたいする敬意のためだけではなく、ピタゴラスの友人や同時代のアレクシマンドロスによって知られている誕生の日と合致しているようだからである。
ピタゴラスは通常、偉大なる数学の創設者に分類される。このことは、彼の広範囲にわたる労作、彼が主に専念していたのは広がりや重量の決定、音楽の音の比率にあったことなどを知ると納得される。彼の科学と技術は、彼の生涯とともに、無意味なまでに過大視されている。伝説によると、彼は聖人であり、奇跡の使い手であり、人間の知恵の教師以上の存在だった。生まれもまた驚くべきもので、ヘルメスの息子ともアポロの息子ともいわれている。その証拠として彼は金の腿をあらわしていたと言われる。国を荒廃させたダフネの熊を飼い慣らした。彼はメタポンタムとタウロミニアムの異なった場所で、同じ日同じ時間に講義を開いた。川を横切るときは、川の神が「これは、ピタゴラス」と挨拶をし、彼にとって天球の調和は音楽に聞こえたという。
伝説はこうした驚異を記している。しかし、伝説的な伝承として存在しうるのは、ピタゴラスの意味深い偉大性ということである。ブルワー・リットン卿に十分にいわれているように、「ピタゴラスに関するあらゆる伝統だけではなく、彼個人が後にイタリアにもたらした強い影響、彼が人類に及ぼした個人的影響、道徳的命令を必要としていた者に及ぼした熱狂、諸派閥や制度の創立者であることは、彼がいまだ名前のない芸術を有していたことを証明している。ピダゴラスの時代と教えに多くの者が服従したが、彼が入念にギリシャの古代からの宗教と政治を探求し、異邦人ではあったが、訪れたデロスの伝統を(いかに寓話によってそれを損なったとしても)拒否し得ず、デルフィーの敬虔な奉仕者から教えを受けて感動したということが信じられていた。」*彼は通常の人間ではなく、寓話によって詩的な領域においてまで賛美されていた。ロマンティックで、奇跡的な行為が帰せられているときには、英雄はそうした驚くべき栄光を担うに足るだけ偉大であることはたしかだ。
*『アテネ、その勃興と没落』ii.412。
しかるに、示された事実は、一般的に伝えられている、彼がその教えと哲学をすべて東洋から借りたという説を反駁する。こうした偉大な人物が異邦からの教師なしですますことができるだろうか。実際できたし、そうしたことはたしかである。しかし、同郷の者たちは、ごく自然な考えによって、彼の偉大さを東洋での教育の結果だと見なした。彼の国には予言者はいなかった。想像力のあるギリシャ人は遠く離れた異境の国の者にそうした性質があるとする傾向があった。彼らは自分自身のなかから知恵が湧いてでるということを信じることができなかった。東洋という広大で未知の領域から、すべての新しいもの、思考が生じるに違いないとみていた。
リッターが観察したように、古代ギリシャにとってエジプトがいかに驚異に満ちた土地であったか、後にもっと知られるようになっても、人々の性格は保留したとしても、国家的建築の途方もない構造に観察者の注意がねじ曲げられるのを見るとき、ギリシャ人が強力な東洋と偉大なピタゴラスとのあいだに何らかの関連をつけたことは容易に想像される。
しかし、我々はピタゴラスがその学説についてエジプトにさほど負うことはないことを信じるとしても、彼がエジプトを旅したことに懐疑的なわけではない。サモスはエジプトと定期的な交流があった。ピタゴラスがエジプトを旅したか、旅したものに話を聞いたかしたならば、その体系にあらわれているように、エジプトの慣習について多くの知識を持っていたことだろう。そしてそれは司祭から教えを受けるまでもないことだっただろう。輪廻の教えはエジプトでは一般的なものだった。リッターがいうように、彼はそのために教えを請うまでもなかったのである。埋葬の習慣やある種の食物を禁じることは旅行者にはよく知られたことだった。しかし、ピタゴラスがエジプトの司祭から教えを受けたことに対する根本的な反論は、司祭階級そのもののなかに認められる。もし同じ階級に属さないのならば、同郷人の最も親しい者へも教えることを惜しんだとするなら、異邦人であり、異なった宗教をもつ者にどうして教えを授けることがあろうか。
古代の作家たちはこの反論に気づいていた。それを無視するために、彼らはブルッカーが与えている物語を発明した。ポリクラテスはエジプト王であるアマシスと友好的な関係にあり、ピタゴラスを送って、司祭と接することができるように推薦したというのだ。王の権威は司祭が異邦人にその神秘を明かすことを認めるほど十分なものではない。それゆえ、彼らはピタゴラスをテーベにおいて古代に精通したものとした。テーベの司祭は王族から選任されたものとして畏敬されており、異邦人に儀式を見られることを嫌っていた。新参者を嫌いながらも、彼らは割礼を含めたいくつかの残酷な儀式に参加させた。しかし、彼をくじくことはできなかった。彼は忍耐をもって指図に従い、最終的に信頼を得た。彼はエジプトで二十二年を過ごし、あらゆる学問に精通して帰ってきた。これは悪い物語ではない。しかし、一つ反論があるとしたら――実体がないということである。
哲学者という言葉の発明は、ピタゴラスに帰せられている。ペロポンネソスにいたとき、レオニティアスに「なにがおまえの技芸なのだ」と問われた。「私には技芸はない。私は哲学者だ」というのが答えだった。レオニティアスはその言葉を聞いたことがなく、なにを意味するのか尋ねた。ピタゴラスは重々しく答えた、「それはオリンピアの競技に比較できるかもしれない。あるものは栄光と王冠を求める。買ったり売ったりすることで利益を求める者もいる。彼らより高貴な者たちは、利益も賞賛も求めず、この素晴らしい見世物を楽しみ、そこで起きるすべてのことを知ろうとする。同じように、我々は天国である国を出て、多くの収益、多くの利益を得るものの集まりである世界にきたが、そこには数こそほとんどいないが、貪欲や虚栄を軽蔑し、自然を研究するものが存在する。それらを私は哲学者と呼ぶ。というのも、個人的な関心なしでいる観客ほど高貴なものは存在せず、その生涯では、瞑想と自然の知識とが他のどんな仕事よりも名誉あるものとされているからだ。」ピタゴラスが言うところによれば、「知恵を愛するもの」という通常の哲学者の解釈は、「愛するもの」という言葉に最高度の広がりをもたせたときにだけ正確なものとなることを見ておく必要がある。知恵というのは哲学者にとって「ここにあり目的でもあるすべてであり」、単なる好みや一つの追求すべきものであってはならない。それは生命を捧げる貴婦人でなければならない。それがピタゴラスにとっての意味であった。それ以前に賢人を指していたのはσοφςという言葉だった。しかし、彼は自分を、その体系において為したのと同様に、Sophoiあるいは当時の哲学者とは区別することを望んでいた。Sophosの意味は何であろうか。間違いなく我々はそれによって哲学者とは異なる賢人を意味している。その知恵とは実践的なものであるか、実践的な目的に変わるものであった。知恵を愛するものは、それ自体を愛しているのではなく、目的のために愛していた。ピタゴラスは知恵をそれ自体において愛していた。彼にとって瞑想は人間性の最高度の修練だった。生きることの底辺にある目的のために知恵を引きずり下ろすことは冒涜だった。それゆえ、彼は自信を哲学者――知恵を愛するもの――と呼んだが、知恵をより有益な目的のために求める者とははっきりと区別した。
哲学者という言葉のこの解釈は、彼の意見のいくつかを説明することになろう。とりわけ、厳格な入会儀礼の後でなければ入ることが認められない秘密結社の設立を説明する。五年のあいだ、加入希望者は沈黙を守らねばならなかった。多くのものが絶望のうちにそこで断念した。彼らは純粋な知恵のための瞑想には値しなかった。饒舌な傾向のないものは、その期間を守り通した。様々な屈辱に耐えねばならなかった。自己否定の力を測るために様々な実験が為された。それらによってピタゴラスは彼らが世俗的かどうか、科学という聖域に入るのにふさわしい者かどうかを判断した。浄化、犠牲、通過儀礼によって魂の基本的な部分を一掃した後に、彼らは聖域に入ることが認められ、魂のより高次の部分も、非物質的で永遠な事物についての知識からなる真理に関する知識によって祓い清められるのだった。この目的のために彼は数学から始めたが、それは物質的なものと非物質的なものとを媒介し、それだけが精神を感官的な事物から切り離し、知的なものへ導くことができるからである。
我々が不思議に思うのは、彼は神として崇拝されていただろうかということである。世俗的な争い、偉人になろうとする野心も超越し、知恵のためだけに生きた彼こそが、通常の人間よりも高次の刻印を押されているのではないか。後の歴史家たちは、白いローブをまとい、黄金の王冠をかぶった、重々しく荘重で、沈着な彼の姿を描いた。人間的な喜びや悲しみなどは超越し、存在のより深い神秘について瞑想している。音楽や、ホメロス、ヘシオドス、タレスの頌歌、あるいは天上の調和に聞き入っている。活気があり、おしゃべりで、議論好き、活動的で多才なギリシャ人から、荘重で謹厳、沈黙と瞑想を旨とする人物が現れるほど驚くべき現象があろうか。
ブルワー・リットン卿の『アテネ』から、ピタゴラスの政治的経歴についての部分を引用しよう。――「キケロとアウルス・ゲリウスの証言によると、ピタゴラスはタルキニウス・スペルブスの統治下にイタリアに到着し、アカイア族のギリシャ人によって植民地化されたタレンタム湾の一都市であるクロトンに住居を定めた。もし後の弟子たちの途方もない話を部分的にでも信じ、けばけばしく飾り立てられたものから、もともとの単純な真実を引き出そうとするなら、彼は最初は若者の教師としてあらわれ、当時としては異例のことではないが、すぐに法制官の教師となった。都市の紛争は彼の対象として好まれた。議会(千人の人員があり、間違いなく異なった人種からなっていた――最初は入植者の子孫たちであったが、最後には土着の人々も加わった)は雄弁で名声のある哲学者の到着と影響を利用した。彼は貴族の強化に力を尽くし、同じく、民主主義と専制主義に反目した。しかし、彼の政策はなんら世俗的な野心を伴ったものではなかった。彼は少なくともしばらくの間は、表向きは権力や地位を拒み、時期的にいうと比較的最近であるロヨラによって創設されたような強力な秩序に似ていなくもない、組織化された畏怖される社会を創設することに満足していた。弟子たちは試験と見習い期間を経ることでこの社会に入ることを認められた。段階を経ることで彼らはより高い栄誉を受け、より深い神秘に与ることが認められた。宗教は同胞愛の基礎となり、進歩と力を得る目的のために人間を結びつけた。彼はクレトンで高貴な家族のあいだから自らの制度を形成するのに三百人を選び、彼らは自らの身分を知り、世界に命令するのに適するように育てられた。ピタゴラスが首長となったこの社会は、古代の元老院に取って代わり、行政管理を得てからさほどたっていなかった。この制度においては、ピタゴラスは他に類のない唯一の存在だった。ギリシャ哲学の創建者たちの誰も彼には似ていない。誰から聞いても、女性の重要性を認めることにおいてその時代の賢人たちとも異なっていた。彼は女性に講義をし、教えたといわれている。彼の妻自身が哲学者であり、十五人の女性の弟子たちが、彼の学派を光彩を放つものとしている。人類を魅了し欺すあらゆるものについての深い知識をもとにした制度が、一次的な権力を守ることに失敗するはずがない。彼の影響力はクロトンに限られることはなかった。他のイタリアの都市に及んだ。政治制度を修正し、転覆した。ピタゴラスがより粗野で、個人的な野心を持っていたなら、彼はおそらくは強力な君主制を築き、社会年代記を新しい実験の結果でより富ますこともできたろう。しかし、彼の野心は英雄のものではなく、賢者のものだった。彼は自分の身分を高めるよりもむしろ制度の確立を願った。彼の直接の後継者たちは、彼が創設した同朋社会から生じる結果のすべてを見ることはなかった。そして彼の華麗で、荘厳な政治的企図は、しばらくの間は成功したが、無能な友愛感情の茶番と熱心でなかばは気のきいた禁欲主義を残しただけだった。
かくも神秘的で革命的な権力が社会のいたるところに行き渡り、イタリアの相当の部分で確立されたとき、警戒と疑惑の一般的感情が賢人と宗派のものに向けられた。ポルフィリーによれば、反ピタゴラスが勃興し、後の長い世代に記憶されるほど多数で活発だった。賢人の友人たちの多くは死んだと言われ、ピタゴラス自身敵たちの怒りの犠牲になったのか、弟子たちとメタポントゥムに逃亡して死んだのか疑問をもたれている。最近までイタリア南部は騒乱によって疲弊し、ギリシャも仲裁や調停に入ったが、騒動は収まらなかった。ピタゴラスの制度は捨て去られ、アカイアの金権的な民主主義が知的であるが共感は呼ばなかった寡頭政治の残骸の上に築かれている。
ピタゴラスは、社会を革命しようと試みたときに、官吏として貴族に頼るという致命的な間違いをした。革命、特に宗教に影響されたものは、民衆の感情によらなければ決して働き得ない。この間違いから、彼は人々に反感を買うようになった。ポルフィリーに関連してネアンテスが考察し、他のすべての証言からも明らかなことだが、部分的な暴動ではなく、民衆の反撥によって彼の没落が決したことは間違いないからである。彼の死後、哲学的な派閥は残ったが、政治的規範が消え去ったことも明らかである。彼がまいた種で、大きな国家にまで育ったのは、よいことであれ悪いことであれ、それは多数のものの心に植えるのだということである。」
長い間世界を楽しませてきた、彼が音楽のコードを発見したのだという物語も除くわけにはいかない。ある日のこと、鍛冶屋で、多くの男が次々に熱した鉄を叩いているのを聞いて、彼はひとつのハンマーを除いて他のすべてが調和のとれたコードを、つまりオクターブ、五度、三度、を生みだしていると述べた。しかし、五度と三度のあいだの音は不調和だと。仕事場に入ったとき、彼は音の多様性はハンマーの重さの相違によるのだとわかった。彼は正確な重さをはかり、家に戻ると、平面に四本の弦を張り、それぞれの弦の端にハンマーと同じ重さのものをつるし、かき鳴らすと、ハンマーの音に対応した音がした。彼はそこから音楽の音階をつくりだすことに進んだ。
このことについて、バーニー博士は『音楽の歴史』のなかでこう述べている。「ハンマーと鉄床がオーストリッチのように消化力のある古代人と現代人によって飲み込まれ、検証と実験がなされたとしても、異なった大きさと重さのハンマーは同じ鉄床の上で異なった音を出すに過ぎず、それは異なった大きさの矢や鐘の舌が、同じつるや鐘でしか異なった音を出さないのと同じであろう。」
ピタゴラスの生涯を終えるにあたって読者に思い起こしてもらいたいのは、途方もない矛盾した主張を歴史や伝記から集め、「権威」として無批判に使うことである。一例としてそうした「権威」をひとつあげよう。イアムビリカスはピタゴラスの生涯を、キリスト教の勃興と戦い、キリストに異教の哲学をもって対立したという視点で書いている。ピタゴラスに帰せられている奇跡も同様に根拠がないことである。
2017年12月20日水曜日
2017年12月19日火曜日
アナクシマンドロス――ルイス『哲学史列伝』
第二章 数学者
§1.ミレトスのアナクシマンドロス
「ここで、ギリシャ哲学の歴史においてはじめて、我々は同時代的な発展に出会うのであり、観察してみれば、哲学の最初期において、相互影響の歴史的な証拠が、どちらの系譜も完全に間違ってもいなければ、信用に値する価値がないと余計なことを考えることもないだろう。他方において、内的な証拠は非常に限定された価値しかなく、というのも、他方において進化し活用された観念がもう一方においては完全に無視されていることを理解することは不可能だからである。古い哲学者は共通の源泉から、同じ考え方の習慣に従って考えを導いているので、知悉されたことから出発する議論は広範囲にわたるものでもなければ、容易に理解することもできない。実際、これら二つの方向がとことん追求されたなら、自然と宇宙に対する正反対の見方について活発な争いの十分な証拠が見られただろう。実際には、初期の哲学者たちが自分の考えを伝える不適切な方法のことを思えば、それぞれの体系は長い間非常に狭い仲間内でしか知られていなかった。しかしながら、当時の哲学的衝動が真に国家的な欠如感の結果だと想定すると、多様な要素がほぼ同時期にイオニアに、独立して、外的な関わりなく姿をあらわしはじめたことはありそうなことである。」*
*リッター、I.265
我々が考察しようとする学派の長は、ミレトスのアレクシマンドロスで、42回オリンピア(紀元前610年)に生まれたとされる。彼はタレスの友人とも、また弟子とも言われる。前者の関係の方が好ましい。少なくとも歴史を見る限り弟子ではない。政治的、科学的知識についての評判は非常に高かった。多くの重要な発明が彼によるものであり、そのなかには日時計や地図がある。天体の大きさと距離の計測について小冊子が書かれたが、それはもっとも早い哲学的著作だとされている。彼は情熱的に数学に熱中していて、一連の幾何学的問題を心に抱いていた。彼はアポロニアの植民地のリーダーだった。また、ピタゴラスとアナクレオンが住むサモスに専制君主ポリクレトスの宮殿を建てたと伝えられている。
アナクシマンドロスの教義については、どの歴史家も一致していない。実際、相応の歴史的位置についてもほとんど同意されていない。
アナクシマンドロスは事物の起源にアルケーαρχηという語を用いたとされている。この言葉、根本原理でなにを意味していたのか、古代の作家たちによって様々に解釈されている。彼がそれを無限と呼んだことについては一致しているが、無限によって彼がなにを理解していたかについてはいまだ決定されていない。*
*リッター、i.267.
一見したところ、この教義「無限が万物の根源である」にはなんら理解できるところはない。ずっと後の一神論のようにも思えるし*、神秘主義の言葉遊びのようにも思える。我々の精神には、多かれ少なかれ、タレスの「水は万物の根源である」という説よりは理解するのが困難である。想像力によって当時に戻り、こうした意見が起きた理由を考えられないか見てみよう。
*それがあり得ないことは確かである。この種の誤解を防いでおくために、それは、制限のない力でもなければ、現代の概念に含まれているような制限のない精神でもないことを言っておこう。一世紀後に生まれたアナクサゴラスでは、τεαχειτονは巨大さでしかない。――シンプリシアス『物理学』83,b、リッターによる引用を参照。
アナクシマンドロスを、偉大な先行者であり、友人でもあるタレスの傍らに置いてみると、彼の思考の際だった抽象性に衝撃を受けざるを得ない。沈思黙考する形而上学者の代わりに、我々は幾何学者を見る。タレスは、その有名な警句「汝自身を知れ」によってもわかるように本質的に具体的であり、「無限は万物の根源である」と言い、究極的な努力によって抽象にいたったアナクシマンドロスとは対照的である。こうした傾向を認めよう。彼のうちにモラリストや物理学者よりも幾何学家を見てみよう。いかに万物が彼の精神に抽象的な形をとってあらわれるのか、いかに数学が諸科学の科学であるかを理解しようとすれば、おそらく彼の説を理解することができるだろう。
万物の起源を探したタレスは、すでに見たように、水が起源だと考えた。しかし、抽象的に物事を見ることに慣れていたアナクシマンドロスは、水のように具体的な事物を受け入れることはできなかった。分析にはより究極的ななにかが必要とされた。タレスとともに、水が宇宙の材料だと考えたとしても、それは諸条件に従うものではないだろうか。それらの諸条件とはなにか。万物がそこから成り立つ水分は、多くの場合水分であることを止めているのではないか。あらゆるものの起源が常に変化し、個別の事物において常に混乱するものだろうか。水自体は事物である。しかし、ある事物がすべての事物であることはできない。
タレスの教義に対するこうした反論が彼をしてこの説を捨てさせた、あるいは変更させた。彼は、アルケーが水ではないといった。それは制限のないすべてξο απειρουでなければならない。
この理論が曖昧で、無益なことは間違いなく明らかだろう。「すべて」という抽象は言葉の上の単なる区別であるように思える。しかし、我々は繰り返し気づくことになるが、ギリシャ哲学において、言葉の上での区別は一般的に事物についての区別と等しい。数学者が自分の科学の本性に従って、いかに抽象を実在とみるか――形式を切り離し、それだけが物体を構成しているかのように扱う――を読者が考えてみるなら、アナクシマンドロスの有限な事物と無限な全体との区別を考えることは難しいことではなかろう。
かくして、我々が彼の説を説明できるのはただひとつの方法による。この説明はアリストテレスとテオフラテスの証言によるもので、それによれば、無限とは、分離によって生じた個物の基本的な部分の多数を意味するという。「分離によって」という箇所は意味深い。それは抽象から具体への過程を意味している――そして全体は無限な事物の内に実現するのである。無限を存在の名で呼び、「存在そのものとなにかの存在がある。前者が存在で、多様な存在する事物がいつまでの流れ出る源泉である。」こうしてみれば、おそらくアナクシマンドロスの意味が理解可能なものとなるだろう。
リッターのいうところを聞こう。アナクシマンドロスは「第一実体が無限だとし、我々を取り巻く制限なく多様な事物を生み出すのに十分だと論じるものの代表である。アリストテレスはこの無限を混合物として特徴づけたが、我々は単にそれを多数の一次的要素だと考える必要はない。というのも、アレクシマンドロスにとっては、それは不死で滅することがなく――永久に生産し続けるエネルギーだからである。この個物の生産から彼は無限の永遠の運動を引きだした。」
アナクシマンドロスによれば、第一存在は疑問の余地なく統一である。それは一者であるだけでなくすべてでもある。そこにはすべての日常的なものが構成される多数の要素がある。それらの要素は自然の異なった現象としてあらわれるときに分離される必要があるに過ぎない。創造は無限の分解である。どうやってこの分解は生じるのか。無限の条件である永遠の運動によってである。「常に始まりの状態にある無限は、無限の要素が常に分泌しては凝固するものでしかない、と彼は見ている。それゆえ、全体の部分は常に変化し、全体は変化し得ないものだということができる。」
抽象が存在――あらゆる事物の起源である――にまで高められるという考えは十分な根拠がない。それはこういっているようなものである、「1,2,3,20,80,100という数がある。そしてまた抽象的な数があり、これらの個別の数はその具体的な実現化に過ぎない。数がなければ、どんな数字も存在しないだろう。」と。だが、人間精神から抽象を除き、それを抽象に過ぎないと考えることは困難であり、この欠点は哲学体系の大多数の根に存在する。現代において賞賛されているヘーゲルやその他にも、幾分言葉は異なるにしろ、同じ特徴が残っていることを学べば、アナクシマンドロスの間違いに対してある種寛容の心を抱く助けとなるかもしれない。彼らは創造は神が活動することによって起こり、その行為によって尽きることはないという。別の言葉で言えば、創造は神のごく日常的なありかたである。有限な事物は永遠な運動、全体のあらわれに過ぎない。
アナクシマンドロスは抽象に具体的なものよりもより高次の意味を与えることによってタレスと自分を区別した。この傾向において、我々はしばしば数学学派と呼ばれるピタゴラス派の起源を見る。タレスの思弁は宇宙の物質的構成を発見することに向けられていた。それらはいかに帰納が不完全なものだろうと、観察された事実からの帰納によってある程度見いだされた。アナクシマンドロスの思弁は完全に演繹的である。そして、そうしたものとして、純粋な演繹の科学である数学に向けられていた。
この数学的傾向の一例として、我々は彼の物理的考えを例に引くことができる。宇宙の起源の中心的な点は地球にある。というのも、底部と高さが1:3の円筒となっており、中心部は世界の果てまでの等しい距離によって支えられているからである。
上述の説明から、読者はアナクシマンドロスをタレスの後継者と位置づける一般的な歴史的議論の妥当性を判断できるだろう。彼が思弁的探求の偉大な系列の一つから現れ、その系列はおそらく古代を通じても最も風変わりなものだったことは明らかである。タレスにとって、万物の根源である水は実在の物理的要素として捉えられていたが、後継者たちには徐々に、まったく異なったもの(生命あるいは精神)の代表的な証票でしかなくなった。そして、代表として名を貸しているその要素は、それが標章である一次的力から派生した二次的な現象と見なされるようになった。水はタレスにとっては真の一次的要素だった。ディオゲネスでは、水は(それ以前に空気に取って代わられていたが)精神の標章に過ぎなかった。アナクシマンドロスの全体は、抽象的であるが、にもかかわらず、多くの点で物理的である。それはすべての事物である。彼の無限の概念は観念的なものではない。それは象徴の状態に移ることはなかった。それは単に存在の一次的な事実の記述であった。とりわけ、日常的な有限な事物を例外として、知性の概念を含んでいなかった。彼の先験的なものとは無限の存在であり、無限の精神ではなかった。このことの後の発展は、エレア派においてみることになろう。
§1.ミレトスのアナクシマンドロス
「ここで、ギリシャ哲学の歴史においてはじめて、我々は同時代的な発展に出会うのであり、観察してみれば、哲学の最初期において、相互影響の歴史的な証拠が、どちらの系譜も完全に間違ってもいなければ、信用に値する価値がないと余計なことを考えることもないだろう。他方において、内的な証拠は非常に限定された価値しかなく、というのも、他方において進化し活用された観念がもう一方においては完全に無視されていることを理解することは不可能だからである。古い哲学者は共通の源泉から、同じ考え方の習慣に従って考えを導いているので、知悉されたことから出発する議論は広範囲にわたるものでもなければ、容易に理解することもできない。実際、これら二つの方向がとことん追求されたなら、自然と宇宙に対する正反対の見方について活発な争いの十分な証拠が見られただろう。実際には、初期の哲学者たちが自分の考えを伝える不適切な方法のことを思えば、それぞれの体系は長い間非常に狭い仲間内でしか知られていなかった。しかしながら、当時の哲学的衝動が真に国家的な欠如感の結果だと想定すると、多様な要素がほぼ同時期にイオニアに、独立して、外的な関わりなく姿をあらわしはじめたことはありそうなことである。」*
*リッター、I.265
我々が考察しようとする学派の長は、ミレトスのアレクシマンドロスで、42回オリンピア(紀元前610年)に生まれたとされる。彼はタレスの友人とも、また弟子とも言われる。前者の関係の方が好ましい。少なくとも歴史を見る限り弟子ではない。政治的、科学的知識についての評判は非常に高かった。多くの重要な発明が彼によるものであり、そのなかには日時計や地図がある。天体の大きさと距離の計測について小冊子が書かれたが、それはもっとも早い哲学的著作だとされている。彼は情熱的に数学に熱中していて、一連の幾何学的問題を心に抱いていた。彼はアポロニアの植民地のリーダーだった。また、ピタゴラスとアナクレオンが住むサモスに専制君主ポリクレトスの宮殿を建てたと伝えられている。
アナクシマンドロスの教義については、どの歴史家も一致していない。実際、相応の歴史的位置についてもほとんど同意されていない。
アナクシマンドロスは事物の起源にアルケーαρχηという語を用いたとされている。この言葉、根本原理でなにを意味していたのか、古代の作家たちによって様々に解釈されている。彼がそれを無限と呼んだことについては一致しているが、無限によって彼がなにを理解していたかについてはいまだ決定されていない。*
*リッター、i.267.
一見したところ、この教義「無限が万物の根源である」にはなんら理解できるところはない。ずっと後の一神論のようにも思えるし*、神秘主義の言葉遊びのようにも思える。我々の精神には、多かれ少なかれ、タレスの「水は万物の根源である」という説よりは理解するのが困難である。想像力によって当時に戻り、こうした意見が起きた理由を考えられないか見てみよう。
*それがあり得ないことは確かである。この種の誤解を防いでおくために、それは、制限のない力でもなければ、現代の概念に含まれているような制限のない精神でもないことを言っておこう。一世紀後に生まれたアナクサゴラスでは、τεαχειτονは巨大さでしかない。――シンプリシアス『物理学』83,b、リッターによる引用を参照。
アナクシマンドロスを、偉大な先行者であり、友人でもあるタレスの傍らに置いてみると、彼の思考の際だった抽象性に衝撃を受けざるを得ない。沈思黙考する形而上学者の代わりに、我々は幾何学者を見る。タレスは、その有名な警句「汝自身を知れ」によってもわかるように本質的に具体的であり、「無限は万物の根源である」と言い、究極的な努力によって抽象にいたったアナクシマンドロスとは対照的である。こうした傾向を認めよう。彼のうちにモラリストや物理学者よりも幾何学家を見てみよう。いかに万物が彼の精神に抽象的な形をとってあらわれるのか、いかに数学が諸科学の科学であるかを理解しようとすれば、おそらく彼の説を理解することができるだろう。
万物の起源を探したタレスは、すでに見たように、水が起源だと考えた。しかし、抽象的に物事を見ることに慣れていたアナクシマンドロスは、水のように具体的な事物を受け入れることはできなかった。分析にはより究極的ななにかが必要とされた。タレスとともに、水が宇宙の材料だと考えたとしても、それは諸条件に従うものではないだろうか。それらの諸条件とはなにか。万物がそこから成り立つ水分は、多くの場合水分であることを止めているのではないか。あらゆるものの起源が常に変化し、個別の事物において常に混乱するものだろうか。水自体は事物である。しかし、ある事物がすべての事物であることはできない。
タレスの教義に対するこうした反論が彼をしてこの説を捨てさせた、あるいは変更させた。彼は、アルケーが水ではないといった。それは制限のないすべてξο απειρουでなければならない。
この理論が曖昧で、無益なことは間違いなく明らかだろう。「すべて」という抽象は言葉の上の単なる区別であるように思える。しかし、我々は繰り返し気づくことになるが、ギリシャ哲学において、言葉の上での区別は一般的に事物についての区別と等しい。数学者が自分の科学の本性に従って、いかに抽象を実在とみるか――形式を切り離し、それだけが物体を構成しているかのように扱う――を読者が考えてみるなら、アナクシマンドロスの有限な事物と無限な全体との区別を考えることは難しいことではなかろう。
かくして、我々が彼の説を説明できるのはただひとつの方法による。この説明はアリストテレスとテオフラテスの証言によるもので、それによれば、無限とは、分離によって生じた個物の基本的な部分の多数を意味するという。「分離によって」という箇所は意味深い。それは抽象から具体への過程を意味している――そして全体は無限な事物の内に実現するのである。無限を存在の名で呼び、「存在そのものとなにかの存在がある。前者が存在で、多様な存在する事物がいつまでの流れ出る源泉である。」こうしてみれば、おそらくアナクシマンドロスの意味が理解可能なものとなるだろう。
リッターのいうところを聞こう。アナクシマンドロスは「第一実体が無限だとし、我々を取り巻く制限なく多様な事物を生み出すのに十分だと論じるものの代表である。アリストテレスはこの無限を混合物として特徴づけたが、我々は単にそれを多数の一次的要素だと考える必要はない。というのも、アレクシマンドロスにとっては、それは不死で滅することがなく――永久に生産し続けるエネルギーだからである。この個物の生産から彼は無限の永遠の運動を引きだした。」
アナクシマンドロスによれば、第一存在は疑問の余地なく統一である。それは一者であるだけでなくすべてでもある。そこにはすべての日常的なものが構成される多数の要素がある。それらの要素は自然の異なった現象としてあらわれるときに分離される必要があるに過ぎない。創造は無限の分解である。どうやってこの分解は生じるのか。無限の条件である永遠の運動によってである。「常に始まりの状態にある無限は、無限の要素が常に分泌しては凝固するものでしかない、と彼は見ている。それゆえ、全体の部分は常に変化し、全体は変化し得ないものだということができる。」
抽象が存在――あらゆる事物の起源である――にまで高められるという考えは十分な根拠がない。それはこういっているようなものである、「1,2,3,20,80,100という数がある。そしてまた抽象的な数があり、これらの個別の数はその具体的な実現化に過ぎない。数がなければ、どんな数字も存在しないだろう。」と。だが、人間精神から抽象を除き、それを抽象に過ぎないと考えることは困難であり、この欠点は哲学体系の大多数の根に存在する。現代において賞賛されているヘーゲルやその他にも、幾分言葉は異なるにしろ、同じ特徴が残っていることを学べば、アナクシマンドロスの間違いに対してある種寛容の心を抱く助けとなるかもしれない。彼らは創造は神が活動することによって起こり、その行為によって尽きることはないという。別の言葉で言えば、創造は神のごく日常的なありかたである。有限な事物は永遠な運動、全体のあらわれに過ぎない。
アナクシマンドロスは抽象に具体的なものよりもより高次の意味を与えることによってタレスと自分を区別した。この傾向において、我々はしばしば数学学派と呼ばれるピタゴラス派の起源を見る。タレスの思弁は宇宙の物質的構成を発見することに向けられていた。それらはいかに帰納が不完全なものだろうと、観察された事実からの帰納によってある程度見いだされた。アナクシマンドロスの思弁は完全に演繹的である。そして、そうしたものとして、純粋な演繹の科学である数学に向けられていた。
この数学的傾向の一例として、我々は彼の物理的考えを例に引くことができる。宇宙の起源の中心的な点は地球にある。というのも、底部と高さが1:3の円筒となっており、中心部は世界の果てまでの等しい距離によって支えられているからである。
上述の説明から、読者はアナクシマンドロスをタレスの後継者と位置づける一般的な歴史的議論の妥当性を判断できるだろう。彼が思弁的探求の偉大な系列の一つから現れ、その系列はおそらく古代を通じても最も風変わりなものだったことは明らかである。タレスにとって、万物の根源である水は実在の物理的要素として捉えられていたが、後継者たちには徐々に、まったく異なったもの(生命あるいは精神)の代表的な証票でしかなくなった。そして、代表として名を貸しているその要素は、それが標章である一次的力から派生した二次的な現象と見なされるようになった。水はタレスにとっては真の一次的要素だった。ディオゲネスでは、水は(それ以前に空気に取って代わられていたが)精神の標章に過ぎなかった。アナクシマンドロスの全体は、抽象的であるが、にもかかわらず、多くの点で物理的である。それはすべての事物である。彼の無限の概念は観念的なものではない。それは象徴の状態に移ることはなかった。それは単に存在の一次的な事実の記述であった。とりわけ、日常的な有限な事物を例外として、知性の概念を含んでいなかった。彼の先験的なものとは無限の存在であり、無限の精神ではなかった。このことの後の発展は、エレア派においてみることになろう。
2017年12月18日月曜日
アポロニアのディオゲネス――ルイス『哲学史列伝』
§III.アポロニアのディオゲネス
アポロニアのディオゲネスは、無批判的に師の説を採用したことで、自分の時代を形成しなかったが、アナクシメネスの正統な後継者である。かくして、テンネマンは彼をピタゴラスの後に置いた。ヘーゲルは、奇妙な見逃しによって、ディオゲネスについては名前以外に何も知らないといっている。
ディオゲネスはクレタのアポロニアに生まれた。それ以上確かなことはいうことはできない。しかし、アナクサゴラスの同時代人だといわれているので、80回オリンピア(紀元前460年)の頃に全盛を迎えたと推定できる。彼の作品『自然について』はシンプリキウスの時代(六世紀)には存在していて、いくつかの文章が書き抜かれている。
ディオゲネスは事物の起源が空気であるというアナクシメネスの説を採用している。しかし、彼は魂との類推により惹かれ、より大きく深い意味を与えている。*この類推の力によって、彼は究極的なところまで結論を推し進めた。空気を事物の起源たらしめているのは何であろうか、と彼は自問した。明らかにその生命力である。空気は魂である。それゆえ、それは生きており、知性を持っている。しかし、この力、あるいは知性は空気よりも高次の存在であり、空気を通じて自らの姿を現す。結果的に時間の点に先行したものでなければならない。それは哲学者が探していた実体であるはずである。宇宙は自発的に進化し、生命力によって変容する生きた存在である。
*魂によって、我々は現代的な意味における精神よりも、むしろもっとも一般的な意味における生命と理解するべきである。かくして、アリストテレスの魂についての論考は、精神を含んだ生命原理に関するものであり、心理学的論考ではない。
この考えにおいて、二つの顕著な点があり、どちらも考察の大きな進歩を示している。第一に、αρχη第一実体が与える知性という属性である。アナクシメネスは第一実体を生気のある実体だと考えた。彼の体系では、空気は生命であるが、生命は必然的に知性を含むわけではない。ディオゲネスは生命は力であるのみならず、知性だとみた。彼のなかにかき立てられた空気は刺激するだけではなく、教え導くものでもある。あらゆる事物の起源である空気は必然的に永久で、破壊し得ない実体である。そして、魂として、必然的に意識も備わっている。「それは多くを知っており」、この知識が第一実体であることのもう一つの証拠である。「というのも、理性なしには」と彼はいう、「すべてを適切に、均衡をもって配列することが不可能である。そして我々がどんな対象を考えようと、最良に、最も美しいやり方で配列され秩序づけられているのが見いだされるだろう。」秩序は知性から生じうる。それゆえ、魂が第一にある。この考えは間違いなく偉大なものである。しかし、読者はその重要性を過大評価し、ディオゲネスの残りの教えも同じように、正当で深遠なものだと思わないように、また、歴史的真理を守るためにも、この考えの適用の仕方にも言及しなければならない。つまり、
生命ある統一体である世界は他の個体のように、生命力を全体から引き出さねばならない。それゆえ、彼は世界に呼吸器官に当たるものを与え、それを星々にも発見したと空想した。あらゆる創造と物質的運動は呼吸の作用でしかない。水分が太陽に引かれ、鉄が磁石に引かれるように、呼吸の過程を同じように見た。人間が獣より知性において優れているのは、地面に顔を垂れている獣よりも人間のほうがより純粋な空気を吸っているからである。
現象を説明しようとするこうした素朴な試みを見れば、ディオゲネスが大きい一歩を踏み出してはいたが、旅を達成するにはほど遠いことがわかるだろう。
彼の体系の第二の顕著な点は、タレスが開いた探求の道を閉じたそのやり方にある。四要素のひとつが世界の起源であるという確信から出発したタレスは、水をその要素だとし、アナクシメネスはそれに続き、空気が水よりもより普遍的な要素であるばかりか、それは生命でもあり、普遍的な生命に違いないとした。それに続いたディオゲネスは、空気は生命であるばかりではなく知性でもあり、知性が事物の最初であるに違いないとした。
それゆえ我々はリッターとともに、物理学的な方法を用いた哲学者としてはディオゲネスが最後だとすることに一致する。彼の体系において、この方法はその達成を見た。かくして、思索の大きな流れをたどってきた我々は、同時期に別の方向に進化を遂げたものたちに目を向けねばならない。
アポロニアのディオゲネスは、無批判的に師の説を採用したことで、自分の時代を形成しなかったが、アナクシメネスの正統な後継者である。かくして、テンネマンは彼をピタゴラスの後に置いた。ヘーゲルは、奇妙な見逃しによって、ディオゲネスについては名前以外に何も知らないといっている。
ディオゲネスはクレタのアポロニアに生まれた。それ以上確かなことはいうことはできない。しかし、アナクサゴラスの同時代人だといわれているので、80回オリンピア(紀元前460年)の頃に全盛を迎えたと推定できる。彼の作品『自然について』はシンプリキウスの時代(六世紀)には存在していて、いくつかの文章が書き抜かれている。
ディオゲネスは事物の起源が空気であるというアナクシメネスの説を採用している。しかし、彼は魂との類推により惹かれ、より大きく深い意味を与えている。*この類推の力によって、彼は究極的なところまで結論を推し進めた。空気を事物の起源たらしめているのは何であろうか、と彼は自問した。明らかにその生命力である。空気は魂である。それゆえ、それは生きており、知性を持っている。しかし、この力、あるいは知性は空気よりも高次の存在であり、空気を通じて自らの姿を現す。結果的に時間の点に先行したものでなければならない。それは哲学者が探していた実体であるはずである。宇宙は自発的に進化し、生命力によって変容する生きた存在である。
*魂によって、我々は現代的な意味における精神よりも、むしろもっとも一般的な意味における生命と理解するべきである。かくして、アリストテレスの魂についての論考は、精神を含んだ生命原理に関するものであり、心理学的論考ではない。
この考えにおいて、二つの顕著な点があり、どちらも考察の大きな進歩を示している。第一に、αρχη第一実体が与える知性という属性である。アナクシメネスは第一実体を生気のある実体だと考えた。彼の体系では、空気は生命であるが、生命は必然的に知性を含むわけではない。ディオゲネスは生命は力であるのみならず、知性だとみた。彼のなかにかき立てられた空気は刺激するだけではなく、教え導くものでもある。あらゆる事物の起源である空気は必然的に永久で、破壊し得ない実体である。そして、魂として、必然的に意識も備わっている。「それは多くを知っており」、この知識が第一実体であることのもう一つの証拠である。「というのも、理性なしには」と彼はいう、「すべてを適切に、均衡をもって配列することが不可能である。そして我々がどんな対象を考えようと、最良に、最も美しいやり方で配列され秩序づけられているのが見いだされるだろう。」秩序は知性から生じうる。それゆえ、魂が第一にある。この考えは間違いなく偉大なものである。しかし、読者はその重要性を過大評価し、ディオゲネスの残りの教えも同じように、正当で深遠なものだと思わないように、また、歴史的真理を守るためにも、この考えの適用の仕方にも言及しなければならない。つまり、
生命ある統一体である世界は他の個体のように、生命力を全体から引き出さねばならない。それゆえ、彼は世界に呼吸器官に当たるものを与え、それを星々にも発見したと空想した。あらゆる創造と物質的運動は呼吸の作用でしかない。水分が太陽に引かれ、鉄が磁石に引かれるように、呼吸の過程を同じように見た。人間が獣より知性において優れているのは、地面に顔を垂れている獣よりも人間のほうがより純粋な空気を吸っているからである。
現象を説明しようとするこうした素朴な試みを見れば、ディオゲネスが大きい一歩を踏み出してはいたが、旅を達成するにはほど遠いことがわかるだろう。
彼の体系の第二の顕著な点は、タレスが開いた探求の道を閉じたそのやり方にある。四要素のひとつが世界の起源であるという確信から出発したタレスは、水をその要素だとし、アナクシメネスはそれに続き、空気が水よりもより普遍的な要素であるばかりか、それは生命でもあり、普遍的な生命に違いないとした。それに続いたディオゲネスは、空気は生命であるばかりではなく知性でもあり、知性が事物の最初であるに違いないとした。
それゆえ我々はリッターとともに、物理学的な方法を用いた哲学者としてはディオゲネスが最後だとすることに一致する。彼の体系において、この方法はその達成を見た。かくして、思索の大きな流れをたどってきた我々は、同時期に別の方向に進化を遂げたものたちに目を向けねばならない。
2017年12月15日金曜日
アナクシメネス――ルイス『哲学史列伝』
§II.アナクシメネス
アナクシマンドロスは、多くの歴史家によって、タレスよりも後の人だとされている。我々はリッターとともに、その場所をアナクシマンドロスに与えることに同意する。我々がこの順番を基礎にする理由は、第一に、そうすることによって我々はもっとも安全な案内役、アリストテレスに従うことができるからである。第二に、アナクシマンドロスの教義は、タレスのものの発展だからである。アナクシマンドロスはまったく異なった思弁に従っているが。実際、イオニア学派の通常のあり方としては、弟子は師匠に反対するだけでなく、師匠の先生の教義に立ち戻るのだった。かくして、アナクシマンドロスは、正反対の考えだったが、タレスを引き継いだ。そして、アナクシメネスはタレスの原則を実行して、アナクシマンドロスの弟子になった。212年の間、つまり六、七世代の間に、4人のもの、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、アナクサゴラスが教師と弟子の関係にあったといえば、読者も伝統を継承する関係の価値が評価できるだろう。
本当は、哲学の偉大な先導者の名前だけが守る価値がある。教えを応用したり拡大しただけのものは、忘却にゆだねられるべきである。それはまた、現在歴史が構成される際の原則でもある。それゆえ、アナクシメネスをタレスの次に置いたからといって非難するものはいないだろう。彼の弟子だからではなく、歴史的な後継者としてである。タレスとその弟子たちが残した思弁をより発展した形で後継者に伝えたからである。
アナクシメネスの生涯で知られているのは、おそらくは63回オリンピアの際(紀元前529年)ミレトスで生まれ、58回オリンピアのときだというものもあるが、正確に日付を決定することはできない。日時計によって日食の黄道傾斜角を発見したと言われている。
タレスの方法を追求し、彼は自分の教義の真理に満足できなくなった。水は彼にとってはもっとも意味深い要素ではなかった。彼は自分の内部に、どうしてだか、またなぜだかわからないが、彼を動かすものを感じた。それは彼よりも高次のものだった。目に見えないがずっと存在していた。それを彼は生命と名付けた。その生命は空気だと信じられた。内部ばかりでなく、外部においても、常に動き、常に存在するのが目に見えない空気ではないか。空気が内部にあるときには生命と呼ばれ、それは彼がいなくとも空気の一部なのではないか。もしそうなら、この空気こそが事物の始まりではないか。
彼は周囲を見回し、自分の推測が肯定されると考えた。空気は普遍的なものであるようだ。*地上は幅広く、草が生い茂っている。あらゆるものはそこから生み出された。あらゆるものがそこで分解する。息をすると、普遍的な生命の一部を取り込むことになる。あらゆるものは我々と同様空気によって養われている。
*アナクシメネスが空気について語るとき、タレスが水について語る場合のように、それらの要素を地上であらわれるときのあれこれの限定的な形で理解するべきではなく、エネルギーに満ち、無限の変化が可能な生命力に満ちたものとして捉えるべきである。
古代人の多くにとってと同じように、アナクシメネスには、吸って吐かれる空気はまさしく生命の流れであり、身体を構成する異質な実体をまとめ上げ、それらに統一ばかりでなく、力、生命力を与える。生きている世界についての信念――つまり、有機体としての宇宙――は非常に古いもので、個人の生から普遍的な生へ一般化したアナクシメネスは、どちらも空気に依存するのだとした。多くの点でこれはタレスの教えより進んでおり、読者は現代科学との一致を見いだして喜ぶかもしれない。デュマのような厳粛な化学者は「植物と動物は空気から生じ、空気が凝縮したものではないが、空気によって生き、そこに帰って行く」というかもしれないし、リービッグは『化学書簡』のよく知られた一節で、同じ考えを雄弁に表現している。
アナクシマンドロスは、多くの歴史家によって、タレスよりも後の人だとされている。我々はリッターとともに、その場所をアナクシマンドロスに与えることに同意する。我々がこの順番を基礎にする理由は、第一に、そうすることによって我々はもっとも安全な案内役、アリストテレスに従うことができるからである。第二に、アナクシマンドロスの教義は、タレスのものの発展だからである。アナクシマンドロスはまったく異なった思弁に従っているが。実際、イオニア学派の通常のあり方としては、弟子は師匠に反対するだけでなく、師匠の先生の教義に立ち戻るのだった。かくして、アナクシマンドロスは、正反対の考えだったが、タレスを引き継いだ。そして、アナクシメネスはタレスの原則を実行して、アナクシマンドロスの弟子になった。212年の間、つまり六、七世代の間に、4人のもの、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、アナクサゴラスが教師と弟子の関係にあったといえば、読者も伝統を継承する関係の価値が評価できるだろう。
本当は、哲学の偉大な先導者の名前だけが守る価値がある。教えを応用したり拡大しただけのものは、忘却にゆだねられるべきである。それはまた、現在歴史が構成される際の原則でもある。それゆえ、アナクシメネスをタレスの次に置いたからといって非難するものはいないだろう。彼の弟子だからではなく、歴史的な後継者としてである。タレスとその弟子たちが残した思弁をより発展した形で後継者に伝えたからである。
アナクシメネスの生涯で知られているのは、おそらくは63回オリンピアの際(紀元前529年)ミレトスで生まれ、58回オリンピアのときだというものもあるが、正確に日付を決定することはできない。日時計によって日食の黄道傾斜角を発見したと言われている。
タレスの方法を追求し、彼は自分の教義の真理に満足できなくなった。水は彼にとってはもっとも意味深い要素ではなかった。彼は自分の内部に、どうしてだか、またなぜだかわからないが、彼を動かすものを感じた。それは彼よりも高次のものだった。目に見えないがずっと存在していた。それを彼は生命と名付けた。その生命は空気だと信じられた。内部ばかりでなく、外部においても、常に動き、常に存在するのが目に見えない空気ではないか。空気が内部にあるときには生命と呼ばれ、それは彼がいなくとも空気の一部なのではないか。もしそうなら、この空気こそが事物の始まりではないか。
彼は周囲を見回し、自分の推測が肯定されると考えた。空気は普遍的なものであるようだ。*地上は幅広く、草が生い茂っている。あらゆるものはそこから生み出された。あらゆるものがそこで分解する。息をすると、普遍的な生命の一部を取り込むことになる。あらゆるものは我々と同様空気によって養われている。
*アナクシメネスが空気について語るとき、タレスが水について語る場合のように、それらの要素を地上であらわれるときのあれこれの限定的な形で理解するべきではなく、エネルギーに満ち、無限の変化が可能な生命力に満ちたものとして捉えるべきである。
古代人の多くにとってと同じように、アナクシメネスには、吸って吐かれる空気はまさしく生命の流れであり、身体を構成する異質な実体をまとめ上げ、それらに統一ばかりでなく、力、生命力を与える。生きている世界についての信念――つまり、有機体としての宇宙――は非常に古いもので、個人の生から普遍的な生へ一般化したアナクシメネスは、どちらも空気に依存するのだとした。多くの点でこれはタレスの教えより進んでおり、読者は現代科学との一致を見いだして喜ぶかもしれない。デュマのような厳粛な化学者は「植物と動物は空気から生じ、空気が凝縮したものではないが、空気によって生き、そこに帰って行く」というかもしれないし、リービッグは『化学書簡』のよく知られた一節で、同じ考えを雄弁に表現している。
2017年12月14日木曜日
タレス――ルイス『哲学史列伝』
ルイスはしばしばボルヘスがエッセイで言及している。
第一部 古代哲学
第一時代 宇宙の本性についての思弁
第一章 物理学者
§1.タレス
その生涯の出来事、哲学の正確な教義は神秘に包まれ、伝説の領域に属しているが、にもかかわらず、タレスはギリシャの思弁の父祖にあたると正当に考えられる。彼は一時代をつくった。ギリシャ哲学の礎石を置いた。彼の踏みだした一歩は小さなものだったが、決定的だった。従って、ほんの僅かの教義しか残っていないにしても、そしてそれが断片的で、不整合なものだろうと、我々はある程度の確かさで、語ることができる程度にはその教えの一般的方向を知っている。
タレスは小アジアのギリシャ植民地であるミレトスで生まれた。生まれたときはきわめて疑わしい。しかし、36回目のオリンピアの最初の年(紀元前636年)が一般的に正確だと受け入れられている。彼はフェニキア人のなかでももっとも著名な一族の一員で、政治的要職のすべてを務めた――それは市民たちからの高い声望から来たものだった。彼の政治での精力的な活動は、プラトンによって描きだされたその生涯を孤独と瞑想に送ったという言い伝えに反するものとして、孤独を愛することは政治的な活動の根拠を疑問にふすものとして、後の作者たちには否定されている。両者は完全に両立可能であると思える。瞑想は行動的人間に必ずしも合わないわけではない。活動的な生活を送ったからといって、瞑想のためにまったく時間が残されていないわけではない。賢人は行動する前に瞑想によって自分を強くすることもあるだろう。自分の見解の真理を検証するために行動することもあろう。
ミトレスはギリシャの植民地のなかでももっとも繁栄していた。当時はまだペルシアやリディアによる束縛もなかったので、精神の発達にはこの上ない条件が整っていた。海路、陸路による通商は莫大なものだった。政治制度は個人の発達にもっとも素晴らしい機会を与えた。タレスは生まれつき、また教育によって、定着し、十分な根拠があっていわれているわけではないが、研究を完成させるためにエジプトやクレタに旅をすることもなかっただろう。そうした推測の唯一の根拠は、タレスが数学的知識に堪能だったという事実である。ヘロドトスに見られるように、歴史の最初期から、ほとんどあらゆる知識がエジプトに起源をもつことは流行のようなものだった。そうすると、旅行の途中で、ピラミッドの高さをその影によって示してエジプト人を驚かせたという話にはほとんど信頼性はないことになる。もっとも単純な数学上の問題で容易に驚くような国民が、教えることのできるものなどほとんどなにもないだろう。おそらく、彼がエジプトに旅をしなかったというもっとも強力な証拠――あるいは、旅をしたとしても、司祭たちと会話はしなかっただろう――は、タレスの哲学のなかに、自国にいたら見いだせないようなエジプトの教義がまったく欠けているという点にある。
第一の時期におけるイオニア学派の際だった特徴は、タレスがはじめた宇宙の成り立ちに対する問いかけにある。「タレスはあらゆる事物の原理は水にあると教えた」と通常いわれている。一見すると、これは単なる突飛な考えに思えるだろう。あわれみの笑いをもって迎えられ、そんなばかげたことは受け入れられないと思われることだろう。しかし、まじめな学生なら、先人の説を単に馬鹿馬鹿しいとして非難を急ぐことはあるまい。哲学の歴史は間違いの歴史かもしれない。しかし、愚劣さの歴史ではない。受け入れられたあらゆる体系は豊かな意味をもっており、そうでなければ受け入れられなかっただろう。その意味は時代の尺度に見合ったものであり、そうしたものとして考察の価値がある。タレスは歴史上でももっとも非凡なひとりであり、非凡な革命を行った。そうした人間が子供でも反駁するような哲学を発言したとは思えない。少なくとも彼にとっては、その考えには深い意味があった。とりわけ、事物の起源を発見する試みにおいては深い意味合いをもっていた。彼の考えの意味するところを考察してみよう。彼の精神のなかでそれがどのように生じ、育っていったか、たどれないものか見てみよう。
想像しうるあらゆる多様性を一つの原理に還元するのは哲学的精神に特徴的なことである。多神論が一神論に還元されるのが宗教的考察の避けられない傾向であるように――すべての超自然的な力が一つの表現へと一般化される――あらゆる可能な存在の様態がひとつの存在そのものに一般化されるのが初期の哲学的思弁の傾向だった。
宇宙の成り立ちを考えたタレスは、一つの原理――初源的な事実――すべての特殊な存在がその様態に過ぎないような実体を発見するよう努めざるを得なかった。周囲を見回すと常に変容が――誕生と死、形、大きさ、存在のあり方の変化――あり、その存在のありようを一つの存在と見なすことはできなかった。それゆえ彼は自問した、常に変化がある状態で、変わることのない存在とはなんだろうか。一言で言えば、事物のはじまりとはなんであろうか。
こう問うことは、哲学探究の時代を開くことだった。それまでは、自分が見いだした世界を受け入れることで満足していた。見たものを信じ、見ることができないものを崇拝していた。
タレスは、事物のはじまりに関して答えることがきわめて重大な問題だと感じていた。周囲を観察し、瞑想をした結果、水分こそがはじまりだと確信するにいたった。
彼は地球の成り立ちを検証するという考えにとらわれた。至る所に水分を見いだした。彼が見たすべてのものは水分によって養われていた。暖かさそのものが水分の働きによって生まれたものだった。水は凝縮されると地表となった。水が普遍的に存在することが確信されたので、彼はそれを事物の始まりだと宣言した。
タレスは容易にこの考えを古代のものの見方と調和させることができた。たとえば、ヘシオドスの『神統記』では、オーケアノスとテーテュースが自然に関係する神々の親だとされていた。「彼は現代科学が『創世記』に行ったことを当時の一般的な宗教について行ったことになろう。以前には謎であったことを説明したのである。」
このことによってタレスは哲学に地歩を占めた。アリストテレスは、彼を、神話の助けを借りずに、初めて物理的な始まりを確立しようとした人物だと呼んだ。結果的に彼は現代の作家たちによって無神論者として責められている。しかし、無神論はずっと後になって発達したものであり、タレスにその名を負わせるとしたら、アリストテレスの沈黙という否定的な証拠しか、つまり、タレスが水よりも深く、また水より先んじて信じていたり、また信じていないことがあったら、アリストテレスが黙っているはずはないという推測によるのである。水はすべてのものの始まりだった。タレスの時代から遠く離れて影響を受けたり与えたりしていたキケロが、彼は「水をすべての始まりだとし、神は水から事物を創造する精神である」と言うとき、アナクロニズムに陥っている。我々はヘーゲルとともに、タレスは知性としての神の概念を持てなかったとするが、それはより進んだ哲学の概念だからである。造形的な知性、あるいは創造的力の概念があったかどうかも疑われる。アリストテレスははっきりと、古代の物理学者たちは物質とそれを動かす原理、あるいはそれを生み出す原因と区別していたことを否定している。さらには、造形的な知性という考えに最初に到達したのはアナクサゴラスだと付け加えている。タレスは神々を、神々の系譜を信じていた。他のものと同じく、彼らも水に起源をもっていた。それが何を意味するのであれ、これは無神論ではない。彼がすべての事物が生きており、世界が霊や神々で充満していると理解していたのが本当だとしても、それは起源、出発点、第一存在としての水分に矛盾しているものではない。
しかしながら、無批判的な伝統のなかで、断片しか残っていない思想家の見解を議論しても無益なことである。我々が確実に知っているのは、タレスが二つのことでもたらした影響である。――第一に、始まりを、あらゆる事物の第一物質を発見すること。第二に、もっとも潜在能力があり、偏在する要素を選択すること。人間精神の歴史を知悉すると、両者がまったく新しい時代においても意味深いものであることがわかる。
第一部 古代哲学
第一時代 宇宙の本性についての思弁
第一章 物理学者
§1.タレス
その生涯の出来事、哲学の正確な教義は神秘に包まれ、伝説の領域に属しているが、にもかかわらず、タレスはギリシャの思弁の父祖にあたると正当に考えられる。彼は一時代をつくった。ギリシャ哲学の礎石を置いた。彼の踏みだした一歩は小さなものだったが、決定的だった。従って、ほんの僅かの教義しか残っていないにしても、そしてそれが断片的で、不整合なものだろうと、我々はある程度の確かさで、語ることができる程度にはその教えの一般的方向を知っている。
タレスは小アジアのギリシャ植民地であるミレトスで生まれた。生まれたときはきわめて疑わしい。しかし、36回目のオリンピアの最初の年(紀元前636年)が一般的に正確だと受け入れられている。彼はフェニキア人のなかでももっとも著名な一族の一員で、政治的要職のすべてを務めた――それは市民たちからの高い声望から来たものだった。彼の政治での精力的な活動は、プラトンによって描きだされたその生涯を孤独と瞑想に送ったという言い伝えに反するものとして、孤独を愛することは政治的な活動の根拠を疑問にふすものとして、後の作者たちには否定されている。両者は完全に両立可能であると思える。瞑想は行動的人間に必ずしも合わないわけではない。活動的な生活を送ったからといって、瞑想のためにまったく時間が残されていないわけではない。賢人は行動する前に瞑想によって自分を強くすることもあるだろう。自分の見解の真理を検証するために行動することもあろう。
ミトレスはギリシャの植民地のなかでももっとも繁栄していた。当時はまだペルシアやリディアによる束縛もなかったので、精神の発達にはこの上ない条件が整っていた。海路、陸路による通商は莫大なものだった。政治制度は個人の発達にもっとも素晴らしい機会を与えた。タレスは生まれつき、また教育によって、定着し、十分な根拠があっていわれているわけではないが、研究を完成させるためにエジプトやクレタに旅をすることもなかっただろう。そうした推測の唯一の根拠は、タレスが数学的知識に堪能だったという事実である。ヘロドトスに見られるように、歴史の最初期から、ほとんどあらゆる知識がエジプトに起源をもつことは流行のようなものだった。そうすると、旅行の途中で、ピラミッドの高さをその影によって示してエジプト人を驚かせたという話にはほとんど信頼性はないことになる。もっとも単純な数学上の問題で容易に驚くような国民が、教えることのできるものなどほとんどなにもないだろう。おそらく、彼がエジプトに旅をしなかったというもっとも強力な証拠――あるいは、旅をしたとしても、司祭たちと会話はしなかっただろう――は、タレスの哲学のなかに、自国にいたら見いだせないようなエジプトの教義がまったく欠けているという点にある。
第一の時期におけるイオニア学派の際だった特徴は、タレスがはじめた宇宙の成り立ちに対する問いかけにある。「タレスはあらゆる事物の原理は水にあると教えた」と通常いわれている。一見すると、これは単なる突飛な考えに思えるだろう。あわれみの笑いをもって迎えられ、そんなばかげたことは受け入れられないと思われることだろう。しかし、まじめな学生なら、先人の説を単に馬鹿馬鹿しいとして非難を急ぐことはあるまい。哲学の歴史は間違いの歴史かもしれない。しかし、愚劣さの歴史ではない。受け入れられたあらゆる体系は豊かな意味をもっており、そうでなければ受け入れられなかっただろう。その意味は時代の尺度に見合ったものであり、そうしたものとして考察の価値がある。タレスは歴史上でももっとも非凡なひとりであり、非凡な革命を行った。そうした人間が子供でも反駁するような哲学を発言したとは思えない。少なくとも彼にとっては、その考えには深い意味があった。とりわけ、事物の起源を発見する試みにおいては深い意味合いをもっていた。彼の考えの意味するところを考察してみよう。彼の精神のなかでそれがどのように生じ、育っていったか、たどれないものか見てみよう。
想像しうるあらゆる多様性を一つの原理に還元するのは哲学的精神に特徴的なことである。多神論が一神論に還元されるのが宗教的考察の避けられない傾向であるように――すべての超自然的な力が一つの表現へと一般化される――あらゆる可能な存在の様態がひとつの存在そのものに一般化されるのが初期の哲学的思弁の傾向だった。
宇宙の成り立ちを考えたタレスは、一つの原理――初源的な事実――すべての特殊な存在がその様態に過ぎないような実体を発見するよう努めざるを得なかった。周囲を見回すと常に変容が――誕生と死、形、大きさ、存在のあり方の変化――あり、その存在のありようを一つの存在と見なすことはできなかった。それゆえ彼は自問した、常に変化がある状態で、変わることのない存在とはなんだろうか。一言で言えば、事物のはじまりとはなんであろうか。
こう問うことは、哲学探究の時代を開くことだった。それまでは、自分が見いだした世界を受け入れることで満足していた。見たものを信じ、見ることができないものを崇拝していた。
タレスは、事物のはじまりに関して答えることがきわめて重大な問題だと感じていた。周囲を観察し、瞑想をした結果、水分こそがはじまりだと確信するにいたった。
彼は地球の成り立ちを検証するという考えにとらわれた。至る所に水分を見いだした。彼が見たすべてのものは水分によって養われていた。暖かさそのものが水分の働きによって生まれたものだった。水は凝縮されると地表となった。水が普遍的に存在することが確信されたので、彼はそれを事物の始まりだと宣言した。
タレスは容易にこの考えを古代のものの見方と調和させることができた。たとえば、ヘシオドスの『神統記』では、オーケアノスとテーテュースが自然に関係する神々の親だとされていた。「彼は現代科学が『創世記』に行ったことを当時の一般的な宗教について行ったことになろう。以前には謎であったことを説明したのである。」
このことによってタレスは哲学に地歩を占めた。アリストテレスは、彼を、神話の助けを借りずに、初めて物理的な始まりを確立しようとした人物だと呼んだ。結果的に彼は現代の作家たちによって無神論者として責められている。しかし、無神論はずっと後になって発達したものであり、タレスにその名を負わせるとしたら、アリストテレスの沈黙という否定的な証拠しか、つまり、タレスが水よりも深く、また水より先んじて信じていたり、また信じていないことがあったら、アリストテレスが黙っているはずはないという推測によるのである。水はすべてのものの始まりだった。タレスの時代から遠く離れて影響を受けたり与えたりしていたキケロが、彼は「水をすべての始まりだとし、神は水から事物を創造する精神である」と言うとき、アナクロニズムに陥っている。我々はヘーゲルとともに、タレスは知性としての神の概念を持てなかったとするが、それはより進んだ哲学の概念だからである。造形的な知性、あるいは創造的力の概念があったかどうかも疑われる。アリストテレスははっきりと、古代の物理学者たちは物質とそれを動かす原理、あるいはそれを生み出す原因と区別していたことを否定している。さらには、造形的な知性という考えに最初に到達したのはアナクサゴラスだと付け加えている。タレスは神々を、神々の系譜を信じていた。他のものと同じく、彼らも水に起源をもっていた。それが何を意味するのであれ、これは無神論ではない。彼がすべての事物が生きており、世界が霊や神々で充満していると理解していたのが本当だとしても、それは起源、出発点、第一存在としての水分に矛盾しているものではない。
しかしながら、無批判的な伝統のなかで、断片しか残っていない思想家の見解を議論しても無益なことである。我々が確実に知っているのは、タレスが二つのことでもたらした影響である。――第一に、始まりを、あらゆる事物の第一物質を発見すること。第二に、もっとも潜在能力があり、偏在する要素を選択すること。人間精神の歴史を知悉すると、両者がまったく新しい時代においても意味深いものであることがわかる。
2017年12月2日土曜日
ガストン・バシュラール『瞬間と持続』(抜き書き)
1.ベルグソンとバシュラール。いまから見ると、両者は互いにそう違ってはいないように感じる。ベルグソンにしても、純粋持続の意識が創造的な瞬間であることは否定しないだろうし、バシュラールは、生によって豊かにされた瞬間の積み重ねが純粋持続の創造的な面であることを拒否しないだろう。要は二人とも時間に創造性を認め、それを生において最も重大なことと見ていることについては完全に一致しており、そうした究極的な目的のもとでは、方法の相違などたいしたことではないように感じられる。
ベルグソン氏とわれわれとの間には、常に変わらない方法の相違が存在する。すなわち彼は、出来事にみちた時間を、それらの出来事の意識の水平そのものにおいてとらえ、ついでそれらの出来事、したがってそれらの出来事の意識をだんだんと消していく。思うにそのようにして彼は、出来事のない時間、つまり純粋持続の意識に到達するのであろう。これに反してわれわれは、意識する瞬間を積み重ねるときにしか、時間を感覚することはできないと考える。たとえわれわれの怠惰が、思索を生ぬるいものにしているとしても、持続しているという、多少とも漠然とした感情を持つのに充分な、感覚や肉体の生によって豊かにされた瞬間が、なおわれわれに残されうることはいうまでもない。しかし、われわれとしては、その解明はただ思考の積み重ねの上にしか見出しえないだろう。時間の意識とは、われわれにとっては常に、「瞬間」の利用の意識であり、それは常に能動的であってけっして受動的ではない。言いかえれば、われわれの持続の意識とは、我々の内部存在の進歩ーーたとえその進歩が実効あるものであれ、見かけだけのものであれ、あるいは単に夢想されただけのものであれ、--の意識のひとつである。
2017年12月1日金曜日
ガストン・バシュラール『新しい科学的精神』(抜き書き)
バシュラールにはイメージの原型を探ろうとする著作と、科学哲学に関する著作とがある。私が読み始めたのはイメージに関するものだったが、惹かれたのは科学哲学に関する作品だった。
1.デカルトの蜜蝋。デカルトが『方法序説』でコギトを導きだした蜜蝋が問題にされている。しかし、感覚がコギトと同一視されるなら、諸感覚に散乱することのない私、蜜蝋が変化している「その瞬間」に私をまとめ上げているものはなんなのだろうか。と、問題が先送りされることになる。感覚だろうと思惟だろうと、私がそれを感覚、思惟することを感覚し、思惟する私、と無限後退に進んでしまう。
もし蜜蝋が変化するなら、私も変化するのである。私は私の感覚といっしょに変化する。そしてこの感覚は、私がそれを思惟しているその瞬間には、私の全思考にほかならない。なぜなら、感覚するとは思惟すること、コギトのデカルト的な広い意味において思惟すること、だからである。しかしデカルトは、実体としての魂の実在性にひそかな信頼をよせている。コギトの一瞬の光に眩惑されて彼は、われ思うの主語であるわれの永続性を疑ってみることはしなかった。だが、かたい蜜蝋を感覚する存在とやわらかい蜜蝋を感覚する存在とが、なぜ同一の存在であるのか?一方では、この二つの異なった経験において感覚される蜜蝋が、同一の蜜蝋ではないとされているのに。もし仮に、コギトが受身の形に言いかえられて、私によって思惟されてあるcogitatur ergo estとなっていたとしたら、能動的主語は印象の不確かさや曖昧さといっしょに霧散してしまったであろうか?
2.リズム・時間。リズムは持続的なものと著しい対照を示す。我々は、たとえば、ラモンテ・ヤングの音楽の持続音にもリズムを感じ取る。バシュラールのここでの仮想敵はベルグソンである。
リズムが構造に働きかけることをよく示している実証的な実験が、いくつかある。・・・もしフォスゲンCOCL2に、振動数がちょうど<塩素三五>の帯スペクトルに入るような紫外線をあてたとすると、このフォスゲンから<塩素三五>だけを分離してとりだすことができる。<塩素三七>のほうは、あてた紫外線のリズムに同調せず結合状態のままとり残される。この例で分かるように、輻射は物質を解きはなつのである。リズムに支配されるこれらの反応をそのあらゆる細部にいたるまで理解することが無理だとしたら、それは時間にたいするわれわれの直観がまだ相当に貧しいことによるのである。われわれは絶対的な始まりと、連続的持続についての直観をもっている程度にすぎない。この無構造の時間は、最初に見たときには、あらゆるリズムを自分に受け入れる能力をもっているように見える。しかしそう見えるのは見かけだけで、それは時間の実在性を連続的なもの、単純なものと見込んでいるからなのである。これにたいして、ミクロ物理学というこの新しい領域では、時間の驚異的な作用のすべては明らかに非連続的なものと関係している。ここでは、時間は持続によるよりも、反復によって作用することが多い。
2017年11月23日木曜日
A・J・エイヤー『言語・真理・論理』(抜き書き)
1.意味のある文章。詩も小説もない論理だけのこうした世界にはいまではまったく興味がない。かつては、一つには意味と無意味の相違に興味があったのと、もうひとつは、どちらにしろ無意味は産出されるのだから、論理だけの世界にどうやって無意味がしみだしてくるのかに興味があって、エイヤーなどにまで手を出した。しかし、ラッセルなどはまだ、怠惰についてのエッセイや、神秘主義を論じるなど、狂気につながるような論理の追求があって面白いが、その追随者は概してつまらない。
我々は、次のような場合、そしてただこの場合にのみ、文章は、任意の人間に
対し、実際に意味を持ちうるものとする。その場合というのは、その人間が、
その文章の表現しようとしている命題を検証する方法を知っている場合、いい
かえれば、一定の条件の下において、どんな観察をしたら、その命題を真なり
としてうけいれることが、あるいは、逆に偽なりとしてしりぞけることが出来
るか、を彼が知っている場合である。もし反対に、想定されている命題が真で
あると仮定してもあるいは偽であると仮定してもそのいずれの仮定も、彼の未
来の経験の性質についての如何なる仮定とも両立するものであるようなものな
らば、それは、彼に関する限り、同語反復でなければ、単にまがいものの命題
であるにすぎない。このまがいものの命題を表現する文章は、彼にとって、情
緒的には意味があるかも知れないが、字義上からは無意味である。
2017年11月16日木曜日
マイケル・エイヤーズ『ロック』(抜き書き)
1.経験論から概念―経験論への移行。概念ー経験論というのは耳慣れない言葉だが、経験というのはむきだしの対象と向き合うのではなく、経験は概念と混然している。
ロックの認識論が早くに発展を遂げているなら、それはエピキュロスに帰せ
られ、十七世紀には早くにピエール・ガッサンディによって説かれた経験論か
ら、概念―経験論といういくつかの点で経験論に対立する理論を組み合わせた
ものに移行したと言える。我々に伝わり、ガッサンディが提示し、発展させた
エピクロスの認識論では、我々の言葉に意味を与える概念を感覚を通じて得る
ことと、理知と科学の出発点となる定義や公準を形作る命題的な知識を得るこ
ととがはっきり区別されていないように思われる。どちらも、個別的なものを
繰り返し経験することで得られると思われる。それゆえ、ガッサンディは我々
の知識はすべて知覚的な知識に依り、「普遍的な命題からくる明証や確実性は
すべて個別的な例からの帰納によっている」と主張することができた。他方、
ロックは、その後期の思想に至り、観念の獲得と知識や信念の獲得との相違、
帰納と普遍的、あるいは抽象的観念との相違により重きを置くようになって、
知覚的な知識とは異なり、それとは独立したアプリオリな普遍的知識のことを
考えることができるようになった。かくして、彼は、必然的な真理の直感的な
理解を確実な知識の範例とするデカルトや、デカルトとガッサンディ双方の友
人であるマラン・メルセンヌのような哲学者に同意することができた。もちろ
ん、ガッサンディのように、彼は、デカルトはよりもずっと感覚に重要な役割
を、すべての観念の源泉、知識の「材料」であり、「直接的な対象」であるば
かりでなく、いかなる推論からも独立した個物の存在の「感覚的知識」の源泉
としての役割を与え続けた。だが、ガッサンディとは異なり、またメルセンヌ
に同じく、彼は「感覚による知識」が最高度の「明証」よりも低いことを認め
たのである。
2.実体は複雑観念。ギリシャ以来の伝統では、日常的な慣例と同様、人間や馬などを実体と見なし、それらをもって基本的な観念が構成されるとした。しかし、ロックにおいては、こうした実体は、単純観念ではなく、色、形、重さといった観念が集まった複雑観念だとされた。
伝統的なカテゴリーの教義では実体と他のカテゴリーとの間に根本的な相違が
あるが、ロックにおいては単純観念とその他の相違が最も重要である(「単純
様相」は特別扱い、限られた意味でのみ単純である)。伝統的論理学は「人
間」や「馬」といった実体を「単純名辞」の範例とする。複雑性の範例は、実
体がそれを形容するものと、偶然的なものと結びついたときにあらわれる。他
方、ロックはその認識論において、我々のもつ実体の観念は複雑観念だと主張
した。
3.因果関係と力能。因果関係を認めることは慣習に過ぎないとしたのはヒュームであり、カントからポパーに至るまで大きな影響を与えた。しかし、不思議なことに、ロックにおいては、さほど論じられていない。
後の懐疑論に照らせば、また、生得観念の教義に反対していることを見れ
ば、特に驚くべきことに思われるが、ロックの力能と原因結果の観念の扱いは
別のもので、議論の最後の方にあらわれ、さほど強調されてもいない。力能に
ついての章のほとんどは人間の行動と自由に関するもので、原因結果について
の簡単な議論は関係観念の章のほとんど補遺のような場所に押し込められてい
る。どちらの議論も、ある観念の経験からの発生ということについては不満足
なもので、循環論法だという非難を招くもののように思える。というのも、我
々は、基本的、永続的で、因果的作用を及ぼす構造のしるしとして、不連続的
ではあるが、「定期的な」観察される振る舞いを論理的にいって取らざるを得
ないという示唆は、受け入れることのできるものに思えるが、それは因果性の
概念ばかりでなく、ある因果的秩序が存在することを仮定しているように思え
る。それは、出来事というのは単に起こることではなく、出来事の経験は、あ
る法則が支配する世界についての、またその内部での経験だということを仮定
している。しかし、ロックは因果性の観念を力能の観念に先行するものとは見
ておらず、因果性を力能と全く同じ用語で説明している。
およそ私たちの感官は事物の絶えまない変転を覚知するが、そのさい私たちは、個々のいろいろな性質や実体がそのどちらも存在し始めること、ならびに、それら[性質や実体]のこうした存在を他のある存有者の適正な適用・作用から受けとることを、観察せずにはいられない。この観察から私たちは、原因結果についての私たちの観念をえる。・・・たとえば、私たちが蝋と呼ぶ実体のうちに流体性という、前には蝋になかった単純観念が、一定程度の熱の適用[ないし熱を当てること]によっていつもきまって産みだされるのを見いだすと、私たちは熱の単純観念を、蝋の流体性との関係で流体性の原因と呼び、流体性を結果と呼ぶ。 第2巻第26章1
繰り返して言えば、「絶え間ない変転」の経験がある種の仮定を確かなもの
として受け入れるのを余儀ないものとするのは、観察される規則性が観念の発
生を促すときである。だが、原因は通常「感覚できないような仕方で働いて」
結果を産み出すので、観念はその指示対象を観察できないものにおいているこ
とになる。ロックは、知られてはいないが、論理的に仮定される原因と結果を
結びつけるメカニズムを「modus operandi」あるいは「作用のしかた」と呼んだ。
しかし、単に「原因結果の観念をもつには、ある単純観念ないし実体が他のある単純観念ないし実体の作用によって、その作用し方はわからずに存在し始めると考えれば、じゅうぶんなのである」と言う。かくして、原因結果の観念は力能の観念と同じように説明され、その関係そのものを知ることはできない
が、にもかかわらず、思考に表象されるのである。同じことは、特殊な因果、
寒気のような「活動」の観念についても言える。というのも、「ある活動を表
現するように見える多くのことばは、活動ないし作用様相についてどんな事物
もまったく意味表示せず、働きかけられる主体あるいは作用する原因の諸事情
を伴った結果だけを意味表示する」からである。こうした議論はすべて循環論
法だという非難を招くように思える。我々が経験する比較的規則的な連鎖があ
るだけの世界の基に、完全に法則に支配された過程やメカニズムが存在するこ
とを経験がどうして保証してくれようか。批評家は、真の問題は、どうもロッ
クが考えたらしいように、そうしたメカニズムがどのように思考に表象される
かではなく、いかにして我々は表象されるべきものとしてその概念を知るよう
に、あるいはそこに至るのかにあるのだと感じているらしい。たとえ、あらゆ
るものには原因があるというのを必然的な真理として受け入れるにしても、精
神が、因果関係を得る前に、普遍的な因果関係の原理に訴えることは想像でき
ることではない。そのうえ、因果関係の発生において恒常的な結合の観察に帰
せられる役割と、ある特殊な場合において、因果関係が直接的な覚知としてあ
るという感覚による知識についての教義の間には矛盾が存在するように思え
る。
こうした批判は、明らかに限定された目的をもち、明らかに仮定的であるロ
ックの力能と原因の観念形成についての考察から正当な結論を導き出せば、釣
り合いの取れた見方に置き直すことができる。というのも、彼がこの手早い言
及によって、我々がいかにその最も一般的な意味において、因果的な用語で考
えるようになったかの説明を提供するつもりでいると仮定することはとても考
えられないからである。結局、彼の「史的」認識論と表象理論のすべては、我
々の世界についての知識はまだその第一歩をも踏み出せていないこと、多分我
々は、我々自身と他の事物との因果関係についてのなんらかの覚知なしには、
真の意味において考えることはできないのだということを納得させようとして
いる。この点において、彼の表象理論に反対する批判がどんなものであろう
と、ロックは間違いなく正しい。我々は彼の因果関係についての考察を額面ど
おりに読む必要がある。即ち、我々はいかに思考においてある種の偽装品、あ
るいは変数を用い、それによって非常に特殊な方法で考えることが、またそれ
自身経験の範囲からはみ出す限られた知識をもつことが可能になる、そのこと
の説明としてである。こうした標識は、経験に対する精神の対応から生じたも
ので、単純観念をその原因の記号として用いるのと同じほど自然で合理的であ
る。「なぜなら、どんな変化が観察されても、心は、事物自身が変化を受ける
可能性ばかりでなく、どこかにその変化をさせることのできるある力能を推断
しなければならないからである。」ロックからみれば、この対応は、自然は法
則に支配されているという明示的に表わされた、あるいは(彼にとっては意味
のないことであるが)暗黙の考えによるのだと仮定する必要はない。というの
も、既に見てきたように、デカルト派その他が生得原理、生得概念として説明
したものを、ロックはその特徴通り、我々の心的能力の単純な修練として説明
したからである。従って、その原因の自然な記号として単純観念を用いること
は、彼にとっては、普遍的な因果性の原理を採った推論の結果でもないし、同
じ条件で同じ結果ならば同じ原因をもつという法則に訴えているのでもない。
ただ最も単純で最も基本的なレベルでの思考と経験に過ぎないのである。
4.感覚経験と力能の世界。我々の知覚する世界がそれ自体空間的だという明証をロックは与えてくれない。それ故に、我々は常に生きているこの世界が夢ではないかと疑うことができる。また、バークレー流の観念論への道も開いた。
彼の議論は、感覚経験を通じて直接に知られる世界は、完全に力能の世界であ
るということが含意されている。まさしくこの説によって、バークレーは、力
能が属する実在、即ち、非空間的で精神的な実在についての敵対する論点へ進
むよう導かれるよう感じたのだった。我々の知覚する世界がそれ自体空間的だ
という直接的な我々の知識を正当化するためには、ロックが我々に与えてくれ
なかったなにかが必要である。事物の存在が空間的であり、空間的に知覚さ
れ、それらの知覚的知識の可能性そのものであることを含意するような議論で
ある。
2017年11月15日水曜日
ジョシア・ロイス『現代哲学の精神』(冒頭)
ロイスは19世紀後半から、20世紀前半にかけて活動したアメリカの哲学者で、ドイツ観念論の影響を受け、絶対的精神や永遠なるものが、諸個人間の矛盾を解消するために必要だと考えた。ウィリアム・ジェイムズの論敵としてなじみのある方もあろうかと思う。
第一講義 一般的序論
これからの講義で、私は一般学生に適ったような仕方で、現代哲学の歴史のなかで、限られてはいるが、もっとも代表的で、私にとってもっとも興味深く思われる人物、問題、事柄について述べようと思う。この仕事をするには時間と力の限界について鋭い感覚を持つことが必要である。私としては、哲学の大きな問題に学生の何人かでも関心を持ってくれたらと望んでいるだけなのだと弁解しておく。
I.
講義が基づいている仮定について始めに述べておこう。哲学は、その適正な言葉の意味においては、世界の神秘をなんらかの超人間的な洞察や法外な巧妙さによって説明し、推測しようとする努力ではなく、生のより重要な事柄について、自らの個人的な姿勢に理に適った説明を与えようとすることにその起源と価値がある。あなた方が、世界で実際にしたことを批判的に反省するときに哲学をしている。最初にすることは、もちろん、第一に生きることである。生には情熱、信仰、疑い、勇気が含まれる。それらがなにを意味し、含んでいるかについて批判的に探求するのが哲学である。我々は生きる上で信仰をもっている。この信仰を反省的に批判しようとする。我々は法と意義のある世界にいると感じる。だが、なぜ我々は現実には過程にあるかのような感じを覚えるのか、この世界に価値を感じるのかは批評の問題である。そうした生の批評を洗練させ、徹底的に行うのが哲学である。
もし私の想定が十分納得のいくものなら、健全に哲学すること、徹底的に自己批評することは、まさしく人間的な、自然な仕事であり、頻繁に携わることはなくとも、誰もが時に応じてすることで、最初からある種の共感をいだくことだろう。意志しているかどうかはともかくとして、我々はすべて哲学をしている。専門的な哲学を愛する気質といわゆる形而上学になんら関心をいだくことができなものとの間の相違は、種類ではなく程度の差である。道徳的秩序、生における悪、良識の権威、神の意図、それらについて、また、思慮に富んだ批判的懐疑論について滅多に本を開かない人々からどれだけ頻繁に聞いたことだろう。哲学を専門にする学生は、他の人々が時折することをいつもの仕事にしている。非形而上学的な生活を送っている人たちにとっては、運命や生のもっとも深い真理について反省することは、音楽を楽しみ、アマチュアとして気晴らしをする程度のことでしかない。哲学の学生であることは、単に反省的に考える専門的な音楽家であるに過ぎない。彼は毎日のように、音階を練習するように、「論理を切り刻む」と馬鹿にされることに従事する。端的に彼は技術的な巧妙さに喜びを覚えるが、その熱意は生の分析に従事していないものにとっては理解不可能なものである。しかし、思弁への愛情は、幾分特殊化された自然な好みに過ぎない。彼はある種の吝嗇であり、他の人たちが社交の場の装飾品や、会話により重みをもたらすために使うものを財宝としてしまっている。専門的な哲学者ではなく、瞬間的な反省に限定するならば、友人との重々しい話や、無数の世界と気まぐれな心のままに、偉大で深遠な宇宙を夢見るようなまなざしで驚嘆し、束の間の瞑想に耽ることにとどまるだろう。そうした偶然の心の探究、束の間の普遍的なものとのふれあい、反省にまでは育っていない芽生えのようなものは、他の状況にあったら、哲学体系にまで発達したかもしれない。もし気を留めることがなかったなら、すぐに忘れてしまい、形而上学にちょっとした興味があったと空想することになるかもしれない。しかし、にもかかわらず、知的な人々はすべて、形而上学を嫌悪するものも含めて、自らに反してしばしば形而上学者なのである。・・・
第一講義 一般的序論
これからの講義で、私は一般学生に適ったような仕方で、現代哲学の歴史のなかで、限られてはいるが、もっとも代表的で、私にとってもっとも興味深く思われる人物、問題、事柄について述べようと思う。この仕事をするには時間と力の限界について鋭い感覚を持つことが必要である。私としては、哲学の大きな問題に学生の何人かでも関心を持ってくれたらと望んでいるだけなのだと弁解しておく。
I.
講義が基づいている仮定について始めに述べておこう。哲学は、その適正な言葉の意味においては、世界の神秘をなんらかの超人間的な洞察や法外な巧妙さによって説明し、推測しようとする努力ではなく、生のより重要な事柄について、自らの個人的な姿勢に理に適った説明を与えようとすることにその起源と価値がある。あなた方が、世界で実際にしたことを批判的に反省するときに哲学をしている。最初にすることは、もちろん、第一に生きることである。生には情熱、信仰、疑い、勇気が含まれる。それらがなにを意味し、含んでいるかについて批判的に探求するのが哲学である。我々は生きる上で信仰をもっている。この信仰を反省的に批判しようとする。我々は法と意義のある世界にいると感じる。だが、なぜ我々は現実には過程にあるかのような感じを覚えるのか、この世界に価値を感じるのかは批評の問題である。そうした生の批評を洗練させ、徹底的に行うのが哲学である。
もし私の想定が十分納得のいくものなら、健全に哲学すること、徹底的に自己批評することは、まさしく人間的な、自然な仕事であり、頻繁に携わることはなくとも、誰もが時に応じてすることで、最初からある種の共感をいだくことだろう。意志しているかどうかはともかくとして、我々はすべて哲学をしている。専門的な哲学を愛する気質といわゆる形而上学になんら関心をいだくことができなものとの間の相違は、種類ではなく程度の差である。道徳的秩序、生における悪、良識の権威、神の意図、それらについて、また、思慮に富んだ批判的懐疑論について滅多に本を開かない人々からどれだけ頻繁に聞いたことだろう。哲学を専門にする学生は、他の人々が時折することをいつもの仕事にしている。非形而上学的な生活を送っている人たちにとっては、運命や生のもっとも深い真理について反省することは、音楽を楽しみ、アマチュアとして気晴らしをする程度のことでしかない。哲学の学生であることは、単に反省的に考える専門的な音楽家であるに過ぎない。彼は毎日のように、音階を練習するように、「論理を切り刻む」と馬鹿にされることに従事する。端的に彼は技術的な巧妙さに喜びを覚えるが、その熱意は生の分析に従事していないものにとっては理解不可能なものである。しかし、思弁への愛情は、幾分特殊化された自然な好みに過ぎない。彼はある種の吝嗇であり、他の人たちが社交の場の装飾品や、会話により重みをもたらすために使うものを財宝としてしまっている。専門的な哲学者ではなく、瞬間的な反省に限定するならば、友人との重々しい話や、無数の世界と気まぐれな心のままに、偉大で深遠な宇宙を夢見るようなまなざしで驚嘆し、束の間の瞑想に耽ることにとどまるだろう。そうした偶然の心の探究、束の間の普遍的なものとのふれあい、反省にまでは育っていない芽生えのようなものは、他の状況にあったら、哲学体系にまで発達したかもしれない。もし気を留めることがなかったなら、すぐに忘れてしまい、形而上学にちょっとした興味があったと空想することになるかもしれない。しかし、にもかかわらず、知的な人々はすべて、形而上学を嫌悪するものも含めて、自らに反してしばしば形而上学者なのである。・・・
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