2017年12月9日土曜日

部分と全体――ドゥニ・ヴィルヌーヴ『ボーダーライン』(2016年)



 ドゥニ・ヴィルヌーヴの『メッセージ』は、異星人とのコミュニケーションという大好きなテーマだったにもかかわらず、期待しすぎたせいでもあろうか、それほど満足のいくものではなかった。こうしたテーマでは、タルコフスキーの『惑星ソラリス』を思い起こすのは自然なことだが、『メッセージ』の異星人には、彼らはなにを望んでいるのか、という大きな謎はなく、また彼らとの意思疎通が『ソラリス』ほどには切実なものとは感じられなかったのである。

 『ボーダーライン』も大きく括れば、『メッセージ』と同じテーマの映画である。FBIの女性捜査官(エミリー・ブラント)がメキシコの麻薬組織壊滅作戦のチームに抜擢される。麻薬がらみで大量の死体を発見したばかりの彼女は、その作戦に加わることを希望する。作戦の指揮をとっているのは、会議にもサンダル履きで参加するようないかがわしい男(ジョシュ・ブローリン)と、組織に精通しているらしい南米系の男(ベニチオ・デル・トロ)である。捜査官はいかにもアメリカで活動してきたFBIの職員らしく、証拠を固め、法律に従って事件を解決しようとする。だが、組織の中心である二人は、黙ってみてれいればそのうちわかるさというばかりだ。ある人物を逮捕するや、四方から狙撃手がわらわらと集まってきて、メキシコ警察は信用してはいけないと教えられる。この巨大で目に見えない組織にどう働きかければいいのか彼女は最後まで理解することはできない。いや、自分のFBI捜査官としての倫理観、道徳観からいえば、拒否すべきだということはわかるのだが、拒否したところで、どう対処すればいいのかわからないのである。

 グーグル・アースのようにはるか上空から見下ろした町や、西部劇でしか見ないようなロング・ショットの連続が印象的である。また、カフカの『城』を思い起こさせる映画でもある。『城』では、巨大な城の存在は見まがうまでもないが、そのなかに入るのに誰に連絡し、なにをすればいいのかわからない。同じように、夜のロングショットで、山の中腹で、拳銃のものらしい火花がちかちかと起こるが、遠くから見ているものには、それをどう調停し、あるいは関与すればいいのかさっぱりわからない。それは、作戦行動が一応の成功を収め、捜査官が自分がなんのために招集されたのか理解したのちもそう変わりはしない。麻薬組織を逃れるかのように不法移民しようとするメキシコ人たちや、ボスといわれる人物も登場するのだが、それはあくまでも部分であって、麻薬カルテルの全体をあらわすものではない。ここにあるのはその両者を媒介するもののない部分と全体だけの世界である。

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