第一部 古代哲学
第一時代 宇宙の本性についての思弁
第一章 物理学者
§1.タレス
その生涯の出来事、哲学の正確な教義は神秘に包まれ、伝説の領域に属しているが、にもかかわらず、タレスはギリシャの思弁の父祖にあたると正当に考えられる。彼は一時代をつくった。ギリシャ哲学の礎石を置いた。彼の踏みだした一歩は小さなものだったが、決定的だった。従って、ほんの僅かの教義しか残っていないにしても、そしてそれが断片的で、不整合なものだろうと、我々はある程度の確かさで、語ることができる程度にはその教えの一般的方向を知っている。
タレスは小アジアのギリシャ植民地であるミレトスで生まれた。生まれたときはきわめて疑わしい。しかし、36回目のオリンピアの最初の年(紀元前636年)が一般的に正確だと受け入れられている。彼はフェニキア人のなかでももっとも著名な一族の一員で、政治的要職のすべてを務めた――それは市民たちからの高い声望から来たものだった。彼の政治での精力的な活動は、プラトンによって描きだされたその生涯を孤独と瞑想に送ったという言い伝えに反するものとして、孤独を愛することは政治的な活動の根拠を疑問にふすものとして、後の作者たちには否定されている。両者は完全に両立可能であると思える。瞑想は行動的人間に必ずしも合わないわけではない。活動的な生活を送ったからといって、瞑想のためにまったく時間が残されていないわけではない。賢人は行動する前に瞑想によって自分を強くすることもあるだろう。自分の見解の真理を検証するために行動することもあろう。
ミトレスはギリシャの植民地のなかでももっとも繁栄していた。当時はまだペルシアやリディアによる束縛もなかったので、精神の発達にはこの上ない条件が整っていた。海路、陸路による通商は莫大なものだった。政治制度は個人の発達にもっとも素晴らしい機会を与えた。タレスは生まれつき、また教育によって、定着し、十分な根拠があっていわれているわけではないが、研究を完成させるためにエジプトやクレタに旅をすることもなかっただろう。そうした推測の唯一の根拠は、タレスが数学的知識に堪能だったという事実である。ヘロドトスに見られるように、歴史の最初期から、ほとんどあらゆる知識がエジプトに起源をもつことは流行のようなものだった。そうすると、旅行の途中で、ピラミッドの高さをその影によって示してエジプト人を驚かせたという話にはほとんど信頼性はないことになる。もっとも単純な数学上の問題で容易に驚くような国民が、教えることのできるものなどほとんどなにもないだろう。おそらく、彼がエジプトに旅をしなかったというもっとも強力な証拠――あるいは、旅をしたとしても、司祭たちと会話はしなかっただろう――は、タレスの哲学のなかに、自国にいたら見いだせないようなエジプトの教義がまったく欠けているという点にある。
第一の時期におけるイオニア学派の際だった特徴は、タレスがはじめた宇宙の成り立ちに対する問いかけにある。「タレスはあらゆる事物の原理は水にあると教えた」と通常いわれている。一見すると、これは単なる突飛な考えに思えるだろう。あわれみの笑いをもって迎えられ、そんなばかげたことは受け入れられないと思われることだろう。しかし、まじめな学生なら、先人の説を単に馬鹿馬鹿しいとして非難を急ぐことはあるまい。哲学の歴史は間違いの歴史かもしれない。しかし、愚劣さの歴史ではない。受け入れられたあらゆる体系は豊かな意味をもっており、そうでなければ受け入れられなかっただろう。その意味は時代の尺度に見合ったものであり、そうしたものとして考察の価値がある。タレスは歴史上でももっとも非凡なひとりであり、非凡な革命を行った。そうした人間が子供でも反駁するような哲学を発言したとは思えない。少なくとも彼にとっては、その考えには深い意味があった。とりわけ、事物の起源を発見する試みにおいては深い意味合いをもっていた。彼の考えの意味するところを考察してみよう。彼の精神のなかでそれがどのように生じ、育っていったか、たどれないものか見てみよう。
想像しうるあらゆる多様性を一つの原理に還元するのは哲学的精神に特徴的なことである。多神論が一神論に還元されるのが宗教的考察の避けられない傾向であるように――すべての超自然的な力が一つの表現へと一般化される――あらゆる可能な存在の様態がひとつの存在そのものに一般化されるのが初期の哲学的思弁の傾向だった。
宇宙の成り立ちを考えたタレスは、一つの原理――初源的な事実――すべての特殊な存在がその様態に過ぎないような実体を発見するよう努めざるを得なかった。周囲を見回すと常に変容が――誕生と死、形、大きさ、存在のあり方の変化――あり、その存在のありようを一つの存在と見なすことはできなかった。それゆえ彼は自問した、常に変化がある状態で、変わることのない存在とはなんだろうか。一言で言えば、事物のはじまりとはなんであろうか。
こう問うことは、哲学探究の時代を開くことだった。それまでは、自分が見いだした世界を受け入れることで満足していた。見たものを信じ、見ることができないものを崇拝していた。
タレスは、事物のはじまりに関して答えることがきわめて重大な問題だと感じていた。周囲を観察し、瞑想をした結果、水分こそがはじまりだと確信するにいたった。
彼は地球の成り立ちを検証するという考えにとらわれた。至る所に水分を見いだした。彼が見たすべてのものは水分によって養われていた。暖かさそのものが水分の働きによって生まれたものだった。水は凝縮されると地表となった。水が普遍的に存在することが確信されたので、彼はそれを事物の始まりだと宣言した。
タレスは容易にこの考えを古代のものの見方と調和させることができた。たとえば、ヘシオドスの『神統記』では、オーケアノスとテーテュースが自然に関係する神々の親だとされていた。「彼は現代科学が『創世記』に行ったことを当時の一般的な宗教について行ったことになろう。以前には謎であったことを説明したのである。」
このことによってタレスは哲学に地歩を占めた。アリストテレスは、彼を、神話の助けを借りずに、初めて物理的な始まりを確立しようとした人物だと呼んだ。結果的に彼は現代の作家たちによって無神論者として責められている。しかし、無神論はずっと後になって発達したものであり、タレスにその名を負わせるとしたら、アリストテレスの沈黙という否定的な証拠しか、つまり、タレスが水よりも深く、また水より先んじて信じていたり、また信じていないことがあったら、アリストテレスが黙っているはずはないという推測によるのである。水はすべてのものの始まりだった。タレスの時代から遠く離れて影響を受けたり与えたりしていたキケロが、彼は「水をすべての始まりだとし、神は水から事物を創造する精神である」と言うとき、アナクロニズムに陥っている。我々はヘーゲルとともに、タレスは知性としての神の概念を持てなかったとするが、それはより進んだ哲学の概念だからである。造形的な知性、あるいは創造的力の概念があったかどうかも疑われる。アリストテレスははっきりと、古代の物理学者たちは物質とそれを動かす原理、あるいはそれを生み出す原因と区別していたことを否定している。さらには、造形的な知性という考えに最初に到達したのはアナクサゴラスだと付け加えている。タレスは神々を、神々の系譜を信じていた。他のものと同じく、彼らも水に起源をもっていた。それが何を意味するのであれ、これは無神論ではない。彼がすべての事物が生きており、世界が霊や神々で充満していると理解していたのが本当だとしても、それは起源、出発点、第一存在としての水分に矛盾しているものではない。
しかしながら、無批判的な伝統のなかで、断片しか残っていない思想家の見解を議論しても無益なことである。我々が確実に知っているのは、タレスが二つのことでもたらした影響である。――第一に、始まりを、あらゆる事物の第一物質を発見すること。第二に、もっとも潜在能力があり、偏在する要素を選択すること。人間精神の歴史を知悉すると、両者がまったく新しい時代においても意味深いものであることがわかる。
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