湖南先生
1.内藤湖南の本の読み方。京都大学、中国研究の黄金時代の話。おそらく、「大ていの書物」というのは、学者として読んでおかなければならないが、それほど強い関心をもっていない本のことを指すのだろう。ちなみに、幸田露伴は京都大学に呼ばれ、一年間教鞭を執ったが辞めてしまった。その理由は、生徒に教えるともなると、自分が興味をもたない本も読まなければならないから、というものだった。
先生は大ていの書物はまず序文を丹念に読み、それから目次を十分にらんだ
上、本文は指さきで読み、結論を熟読すれば、それで値打はわかるはずだと漏
らされたというが、それでなくては一流の学者とはいえまい、と当時の私はい
たく感服したものであった。
君山先生
2.狩野直喜の辞書の引き方。私は漢和辞典は本で引いた方が早いので使っているが、そのほかは電子辞書に頼っており、辞書をひきつぶした経験もない。全然関係ないが、外国語を習得するにはエロ本を読むにしかず、という説があって、もっともいまでは活字でオナニーをするものもほとんどいないだろうから、この説そのものが意味を失っているのだが、種村季弘はどこかで、この説は間違っており、エロ本にはその国特有の俗語が満載されており、普通の小説を読むより難しいといい、例としてあげているのがよりにもよって永井荷風の『四畳半襖の下張』なのだからそれは難しいだろうさ、と思ったものだが、私も若い頃には英語のエロ本を読んだことあって、いちいち辞書を引きながら読んでいたのだが、出てくる単語の意味が「湿った」、「びしょびしょの」、「潤んだ」などばかりなのでばかばかしくてやめてしまった。
・・・驚いたのは先生の『康煕字典』の引き方である。そばにいる私に字典を
もって来させ、それをといわれるので指ざされた巻をお渡しすると、先生はい
きなり両手で何かものを割るように本をやや乱暴にぐっと開かれる。求める字
はそのページになくても、必ずその数ページ前後のうちにある。一、二回成功
しなかったこともあったが、その際ももう一度同じ操作をくり返すだけで、指
で字を書いてみて字画を勘定されることは殆どなかった。字典が先生に忠実に
つかえているという感じがして、はなはだ見事だった。
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