2017年4月22日土曜日

アドルノ『美の理論』7



芸術作品をして芸術作品たらしめている即自存在とは、現実的なものの模倣ではなく、いまだまったく存在することがない即自存在の先取り、つまり未知のものであって、主観を通して規定されるものの先取りにほかならない。芸術作品は何かが即自的に存在していると語ることはあっても、その何かについて明確に語ることはない。芸術は事実最近の二十年間に精神化という事態に遭遇し、精神化することによって成熟したものとなったが、芸術は物象化した意識が主張したがるように、自然から疎外されたものではなく、それ自身の形態に従って自然美へと接近したものにほかならない。芸術理論によっては、芸術の主観化の傾向を主観的理性に従って進行しつつある科学の発展と単純に同一視する向きが見られるが、こうした理論はつじつまを合わせるために芸術の運動の内容をなおざりにしたものにすぎない。芸術は非人間的なものが語る言葉を、人間的手段によって現実化しようとする。

 自然とここでいわれているのが、いわゆる花鳥風月的な自然ではなく、非人間的なもの一般をあらわしているのがわかる。科学の発展は、テクノロジーのように功利的でなくとも、対象がはっきりしているだけに方向付けられる。つまり、数値化されていないものを数値化しようとする。いわば人間的な意味に変換する。それゆえ、科学は客観的なものだと言われるが、限りなく無意味に近い未知なものは、客観的操作から生じることはなく、主観にしか生みだすことはできない。

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