市民意識は産業によって掘り返された景観を醜いものときめつけるが、こうした判断は素朴なものであるとしても、一つの関係を的確に捉えたものと言ってよい。つまり、自然が人間に、人間によって支配されていない顔を向けるところにおいて出現する、自然支配を捉えていると。掘り返された風景に対する憤激はそのため、支配のイデオロギーに順応することになる。もしいつか人間の自然に対する関係が、人間の抑圧を続けている抑圧的特性を持ちつづけることを断念することがあるなら、こうした醜さも消滅するかもしれないが、その逆はありえない。技術が平和的なものとなるなら、技術によって荒廃した醜い世界が消滅する可能性も生まれてくるかもしれないが、こうした世界のうちに計画的に自然保護地帯を作り上げたところで、そうした可能性が生まれることはない。
醜い景観は果たして日本に存在するのだろうか。風景が本来あるものではなく、近代とともに日本にもたらされ、「発見」されたことは柄谷行人が指摘することだが、自然と対峙するような姿勢、それによって「抑圧的特性」を生みだすような姿勢は日本には無縁なのではないか。醜さとして美に拮抗するよりは、ゴミだらけの富士山のように、馴れ合いによって腐食していくといえばいいだろうか。思いだされるのは吉田健一の小説、『東京の昔』の後半、登場人物が花見後の池を訪れる場面で、彼はそこでなんともつかぬ異様なものを見たように感じる。最後近く、もう一度その場所を訪れることで、彼は、あのときは見てはいけないものを見たのだ、と変な納得の仕方をする。吉田健一は、たとえば永井荷風のように、古い東京、というよりは江戸が失われていくことを呪詛して、過去に沈潜していくような態度を嫌っていた。ほとんど他の文学者の悪口など一切書かなかった吉田健一が、執拗に批判し続けたのが永井荷風だった。近くに本がないので確認できないが、「東京の昔」の昔というのは、 第二次大戦以前のことだったように記憶している。敗戦後、馴れ合うようにますます過去の東京は破壊されていくのを見ても、やがて時間がたち、その時間が澱のようにたまっていくことで、街が街らしい姿を取るようになるだろう、と最後まで主張していた。いまの東京を見て、それでもまだ吉田健一は呪詛しないでいられるのだろうか、と時々考える。
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