「長谷川伸と文身」という文章によると、長谷川伸に「刺青奇遇」という戯曲があるそうだ。主人公の半太郎というやくざ者の二の腕に、稚拙なサイコロの刺青がある。半太郎の博打好きを諫めるために死んでいく女房が遺言がわりに彫ったのだという。
この戯曲が「俺の刺青芸術観を変えた。ハンチクな刺青によさがあるのではないか。」と平岡正明は書いている。そういえば、昔よく銭湯に通っていた頃、中途半端ななんの図柄かもわからない彫りものをした人がいたものだった。要は、「歩く美術館」になるために彫っているわけではないということだ。美的感覚や趣味とは別に、日常的な問題も絡んでくる。
刺青を途中で投げだすのは、痛さに我慢できないからではないそうだ。金がつづかないのだ。総身彫りで二百万円くらいだ。一気に仕上げるというのではなく、体調をみながら長い人で一年ほどかける。通うたびに刺青師に五万、十万と支払う。名人彫よしの芸術を二百万円で全身に負うことは、絵はがき大の絵に何十万円もとる表の絵描き世界にくらべたらべらぼうに安いが、それでも職人衆や、ハクをつけてこれから売り出そうとするやくざには安い金額ではない。通いきれなくなるというケースが多い。総身彫りを仕上げる人は十人に一人くらいという。
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