ところが森鷗外の背後には山県がいた、ということは、鷗外先生なかなかそこは如才ないので、山県のキンタマをしっかりつかんでいた。だから山県の景気がいいときと、それほどでないときによって、鷗外さんの地位が変わるんだ。山県に勢力があるときには東京におられる。山県がちょっと退くと小倉に左遷されるというようなことがあったわけだね。
幸田露伴先生は、とにかく森鷗外先生が小倉くんだりまで行くということは文人の面汚しだと思っている。ここらでそろそろ禄を去って、鷗外ともあろうものは筆一本で立てるじゃないか。わざわざ小倉くんだりまで行きやがって・・・・・・といって軽蔑の念を抱いた。本当か嘘かわからないが言えないことだ。
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