2016年2月15日月曜日

三月二日

晴れ。

唐菜をさっとゆで、塩を振って食べる。淡泊でうまい。

桜田門、和倉門、鍛橋門を過ぎ、霊巌橋、永代橋を渡り、右に曲がると、左右はみな娼家である。衣裳は派手だが、面貌はいかんともし難い。冷やかすまでもなく州崎に至ると、潮が引いていて、蛤を拾おうとする子供連れが虫が湧いたように集まっている。

先頃死んだ中村勘三郎がまだ勘九郎だったときの『一本刀土俵入』をみる。落語の『芝浜』『文七元結』も歌舞伎への脚色がされているが、よく意義がわからない。 落語の方がずっと洗練されているからだ。同じように、長谷川伸のこの作品も、たとえば新派などで公演した方がずっといいように思う。女形を使って演じられると、虚構の水位が原作と明らかに違っているように思える。ちなみに、桂三木助の同題の落語は、噺のなかで芝居の筋をすべて語ってしまうという妙なものだが、歌舞伎でみるよりはずっといい。

0 件のコメント:

コメントを投稿