2017年10月30日月曜日

オルダス・ハックスレー「九十年代の幽霊(アーネスト・ダウソンの詩と散文。アーサー・シモンズの序文付き)」



 1919年10月に発表された。「九十年」とは1890年代のこと。

 かつては、おそらくはいまも、ある種のお茶には「四十年前のかぐわしいブレンドが思い起されます」と宣伝されていたものだ。「世界文学ライブラリー」のこの小巻にも同じようにかぐわしい、より最近の調合が思い起される――三十年が過ぎ去った文学的な酒や麻薬である(九十年代をお茶の生産と較べても侮辱にはならないだろうが)。我々は「このうえなく柔軟な皮の」入口を通り過ぎるように感じ――出版社のやり方は時代特有の異国風の色合いがあるようだが――ダウソンの『成功者の日記』の主人公とともが「いつでも秋である」都市ブリュージュを再訪し、「サン・ソウヴェールを散策し、薄暗くほこりっぽい通りをさまよい、やがて高い祭壇に腰を掛けるとむっとするような香の香りで空気は重くなり、回顧に耽る」ように感じる。すべてのページに我々はかつては強かった香の幽霊を呼吸し、回顧に耽ることは次のような詩を読むときに涙を催させる。

        君の完璧な口にある赤い石榴よ!
        私の唇の果実はそれを味わい死ぬことだろう
        香る南風が苦悶を抑えつける
        ここ、君の庭においては
       
        ひとつの長い接吻で君の活き活きした唇は死を収穫し
        君の眼は私の死を見取り休らう
        私にとって生がこれほど甘美なことがあろうか
        君の胸ですみやかに死ぬことをおいて?
       
        それがかなわぬなら、愛のために、親愛なるものよ!
        沈黙を守り、我々が横たわっていると夢みよう
        赤い口と口がからみ合い、つねに
        南風の調べが聞えている。

気の抜けた香と回顧、我々はそれをシモンズ氏の魅力的な序文にも呼吸する。「それ以前に、彼と会ったという漠然とした印象があったが、たしかに夜だったと思うが、どこで会ったかは忘れてしまった。そのときにも、その外見や振る舞いに哀愁を帯びた魅力、ある種キーツのような顔、非道徳的なキーツのような顔に、奇妙なのは見事に洗練された作法と、なにか荒廃したものが見てとれた。・・・私は時折気分転換に彼に会うことを好んだが、コーヒーやお茶より強いものは飲まなかった。オックスフォードで彼が好んだ酔いはハシシュによるものだったと私は信じている。後に彼はそれが幻視的な感覚の手の込んだ実験というよりも、よりたやすく忘却に通じることを感じて諦めた。おそらくは常に、多少意識的に、少なくとも常に真面目に、新たな感覚を探求しており、私の友人は彼にとって最上の感覚は情熱と心のこもった崇拝の対象であることを見てとっていた・・・」我々は「なにかしら」、「少々の」「繊細な」「無限に」などといった一節を無限に引用し続けることができるが、それらは不在によって最後に目立ってくるものである。この本にあるすべて、シモンズ氏の序文、ダウソンの詩、ダウソンの散文は、一緒になって忘れられたかぐわしいブレンドの香気を思い起させる。実際、そんな具合なので、批評家のように質問に答える代わりに、物事のはかなさの感傷に浸りきってしまう危険がある。どんな正当性によってダウソンの詩が世界文学のなかに加えられるのだろうか?しかし、多分、このシリーズをあまり真剣に受け取るべきではなく、世界の最良の作家としてエレン・ケラー、オスカー・ワイルド、ロード・ダンセイニ、ウッドロウ・ウィルソンが含まれているのだ。我々の疑問をより穏当なものに変えよう。二十五年の後に、世界が異なったむしろ彼に敵意のある文学的流行に支配されているときに、ダウソンの詩は十分に生気をもち、出版社が再版する価値があるのだろうか。

 ダウスンはマイナーな詩人だった――本人なら「無限に」マイナーだと言ったかもしれない。彼はたった一つの感情しか表現できず、たった一つの調べしか知らなかった。しかし、その限界に彼の強みがある。というのも、メランコリーばかりを常に歌い続けることで、最終的に彼は小さいが独特の完成に到達したからである。そして、完成というのは、たとえそれが小さく限定されたものであっても、常に詩人の地位を保証し、読み捨てられることはなくなる。

 ダウスンはヴェルレーヌ流派のセンチメンタリストであり、英国におけるノスタルジアの使徒である。彼は悲しみを郷愁にまで洗練させた――自ら知ることのない家郷へ焦がれる病いである。それはノスタルジアに対するノスタルジアであり、確かな対象をもつ切望に対する切望である。彼が一風変わった服で飾り立てた美は、その人工的な装飾ではかなさを強調している。彼は、苦痛がある種の痛ましさまで、愛がちょっとした熱気になるまで、あらゆる感覚や感情を薄め蒸発させた。

 芸術には様々な方法で感情の表現ができる。民謡のように単純で直接的なものもあれば、直接的で身体的に影響を与える原初的な感情が知的で精神的意味合いを豊かにさせ、交響曲の複雑さになることもある。他の芸術作品を引き合いにだしたり、習熟した技法の変化を告げるデカダンス的なものもある。ダウソンは交響曲も民謡も書けなかった。彼は自発的な生やそれを送るための心的能力を持っていなかった。彼は感傷的な悲哀を高度に複雑な形式で、連想豊かに表現した。フランスの宮廷の洗練され人工的な生が旧体制の最後の日にも完璧にまがい物のメランコリーを見せたように、連想も形式の複雑さも感傷的な効果に付け加えられるだけだった。結局のところ、次のように書くことになんの達成もない

        私は多くを忘れてしまった、シナラよ!風とともに去ってしまった
        玉座にはあふれんばかりの薔薇また薔薇が投げつけられる
        君の心から青ざめた失われた百合を取り出すために踊りながら
        しかし私はわびしく、古い情熱に病んでいる
        そう、いつでも、踊りが長いものだから
        私はシナラよ!君に忠実だ、私なりの流儀で
       
イメージや隠喩は古く、技術も古く、すべてが非常に人工的である。だが、詩は心を動かす。ダウソンは自分の人工的な感情に完璧な表現を見いだした。純粋な沈黙の主音域から傷心の不調和を通じて、手の込んだ「死への墜落」を発見した――すべてが無に終わり、無しかない。

 非存在の主題変奏は精神が望み、必要とする――身体的に疲労し、精神が物憂いとき、それが感傷性の真の親であり、ヴェルレーヌのノスタルジアはあまりに微妙に立ちこめており、ラフォルグは知的であまり真価が認められておらず、死へ墜落するダウソンは、、そのゆったりと整えられたリズム、いかなる重要な意味づけもなく落ちついている彼だけが詩人にふさわしい。我々は感傷性に襲われて苦しむことがある。同種療法の一環として次に寝るときにはダウソンの詩を用意しよう。

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