2017年10月3日火曜日

滝沢馬琴訳『水滸伝』(冒頭ちょっと)4



初編 巻之三

○九紋龍大いに史家村を騒がす

 九紋龍史進は、王進と別れた後も、武芸の稽古を怠ることなく、毎日気力を漲らせ、ひたすら弓を射、馬を走らせて、半年ばかりも過ごしていたが、父の大公はふとした病に治療や看病の効果もなく、最後に亡くなってしまったので、史進は非常に悲しんで、西山のほとりに埋葬し、追善その他、すべてを心を尽くして行った。

 もともと九紋龍は、農業のつとめを嫌っていたので、史大公が亡くなってからは、耕作を監督するものもなく、いたずらに月日がたって、六月中旬になった。

 ある日、史進はあまりの暑さに耐えかね、床几を麦打ち場の柳陰に持ちだして、蝉の声も騒がしいばかりで、松吹く風を待って、一人涼んでいたところ、向こうの木に隠れて屋敷のなかを覗くものがあるので、「なんだ、怪しい奴だな」と独り言をしつつ、跳ね起きて木の後ろを見ると、以前から知っている猟師の李吉なので、史進は彼を呼び止め、「お前がこそこそと屋敷を覗くのは、こちらの足下を見てのことか」と咎めると、李吉は近寄ってきて腰をかがめ、「史進さま、お疑いなされるな、ここの召使いであるチビの丘乙郎を誘って、酒でもいっぱいやろうかと来たのですが、史進さまが涼んでいるのをはばかって、彼が出てくるのを待っていたのです、無礼はお許しください」とわびたので、史進は聞いて、「それはそうでもあろう、お前はいつも我が家に狩りの獲物をもってきて売っているが、少しも損をさせたことはない、それなのに、この頃は一羽の兎さえもってこない、俺に銭がないと思い侮っているのか」と言えば、李吉が答えて、「何で私が史進さまを侮りましょう、最近は獣を獲ることがないので、もって参らぬのです」という。

 「嘘をつくな、この広い少華山に獣がいないことがあるか、いい加減なことをいいやがって」と史進が一切まともに請け合わなかったので、李吉がまたいうに、「史進さまはまだご存じありませんか、近頃あの山には三人の山賊がいて砦を構え、五百から七百の子分たちを集め、百頭以上の馬をもっています、その頭目を神機軍師朱武と呼び、第二に、跳澗虎陳達、第三に、白花蛇楊春がおり、この三人を頭目として、火を放ち、家に押し込むのですが、華陰の県守護も守ることができず、三千貫の報奨金を出し、人を集めて捕らえさせようとしています、そのために私も渡世の道を塞がれ、山に入ることもできないので、獣を獲ることもできないというわけです」と物語れば、史進はこれを聞いて、「少華山に盗人が住むという話は聞いていたが、そんなことになっているとは思わなかった、ともかくこれからも獣の肉があるときは、必ず売りに来いよ」というと、李吉は心得て帰っていった。

 このとき史進が思うに、「山賊は多くの手下を集め、県守護さえ恐れぬほどだから、やがてこの村にもきて、乱暴を働くだろう、早く奴らを防ぐ用心をするに超したことはない」と屋敷内に戻り、下僕に命じて、村の者たちを残りなく呼び集めさせ、酒を準備し、牛を殺し、待っていると、三、四百の者たちがすべて集まり、座敷に列座した。

 史進はみなに酒をつぎ、勧めて、「聞くところによると、少華山に三人の山賊が住んで、子分たちを集め、したい放題にものを盗み、傍若無人の有様だそうだ、きっと奴らは我が村へもきて、乱暴狼藉に至るだろう、そこで、みなを招いて話しておこうと思う、もし山賊が来たら、拍子木を合図とする、その折りにはそれぞれ槍、鎌、棒などをもって駆けつけて欲しい、誰かが危ない目にあったら互いにそうして救いあい、みなで村を守ることにしよう、たとえ山賊が何百人来ようと、正しく対処すれば、恐れる必要はない」と説き示せば、みなは言葉をあわせて、「わたしたちは愚かですので、とにもかくにも史進様の命に従い、拍子木が鳴ったらいち早く駆けつけることにしましょう」と請け合って、よく合図を定め、史進の屋敷を出て行った。

 史進は打ち物を用意し、門や垣を堅固に修復し、戦服を用意し、馬や刀を整えて、賊を防ぐ用意、露たりとも油断しなかった。

 そもそも少華山に砦を構える第一の頭領、神機軍師朱武は、もとは定遠の人で、両刀を使った。

 剣術の腕はそれほどではなかったが、陣のひき方にくわしく、謀略にも通じていた。

 その姿は、棕櫚の葉の道服を着て、鹿の革の冠をかぶっていた。

 まぶたは紅で鋭い目つきをし、白い顔に細い髭が垂れ、陣法は孔明に、陰謀は笵蠡に較べられた。

 第二の頭領、跳澗虎陳達はもと鄴城の人で、独特に鍛えた槍を使った。

 その姿は、力は強く声は猛々しく、生まれつき粗暴で、二メートルを越える槍を振り回すと雨あられのようだった。

 第三の頭領、白花蛇楊春は、もと蒲州解良県の人で、大薙刀を使った。

 その姿は、腰が長く、痩せてはいたが、力は強く、刀を取って敵に向かえば、花を散らすかのように敵を倒した。

 朱武、ある日陳達、楊春に語るには、「花陰県では、三千貫の報酬を出し、人を招いて我々をつかまえようとしているようだ、もし多人数で押し寄せられると、本格的な戦になる、となれば、砦に兵糧を蓄え、官軍を防ぐ用意をしなければならない、どう思う」と問えば、陳達が進み出て言うには、「兄貴の言うことは、もっともだ、いまから花陰県に押し寄せ、兵糧をもらってこよう」とこともなげに答えれば、楊春はしばらく思案して、「花陰県で糧を得るのは容易ではない、蒲城県に押し寄せる方が過ちはあるまい」と言ったが、陳達は聞き入れもせず、「蒲城県は民がすくなくて、蓄えも多くはない、花陰県は民も富んでいて、蓄えも沢山ある、それなのに大を捨てて小を取ろうとするのは納得できない」というのを、楊春は押し戻して、「花陰県を打つときは、史家村を通るが、そこにいる九紋龍史進という者は、並びなき英雄で虎よりも強いと言うぞ、彼がその村にいながら、どうして我々を好きにさせておこう、考え直すべきだ」と諫めたが、陳達は聞き入れようとしない。

 「お前は意気地のない奴だな、ただ一人の史進を恐れる位なら、数多くの官軍をどう相手にする、誰がいようと、我々は花陰県を打つべきだ」というのを、朱武はつくづく聞いて、「史進の武勇は私もだいたいのことは聞いている、花陰県に向かうことは止めて、蒲城県をおそうことにしよう」と言い終わらぬうちに、陳達は腹を立てて、「そうかそうか、両人は人の武勇を賞めて、自分の威勢をおとしめるのか、たとえ九紋龍が三つの頭をもち、六本の手をもっていたとしても、それがなんだ、俺は人なき道を行くように、史家村を打ち過ぎて、花陰県を襲ってやる」とあくまで広言を吐き散らし、座を立とうとするのを、朱武、楊春が押しとどめて、再三再四諫めたが、陳達は聞く耳を持たず、点呼し、鎧を身にまとい、馬にひらりとまたがり、百四五十人の子分たちを引き連れて、銅鑼を鳴らし鼓を打ちながら、まっしぐらに山をくだり、史家村へと走り去った。

 史進の下僕は、銅鑼鼓の音を聞きつけ、主人に注進すると、史進は下知して、拍子木を叩かせれば、東西南北、四五百人の史家の民たちが、槍や棒をひっさげ、合図に違わず走り集まり、史進の屋敷に充ち満ちた。

 史進のその日の出で立ちは、頭に平らな頭巾を戴き、身に緋縅の鎧を着て、上に青錦の陣羽織を羽織り、萌葱の靴を履き、腰に革の袋を結び、前後に鉄の胸当て、一張りの弓、一壺の矢を携え、手には三尖両刃、四竅八環の刀を持ち、燃えるような赤毛の馬にゆらりとうち乗り、手綱を取って、若い者は前に、老いた者は後に下げて、ときの声を上げて、村の北口に押し出せば、陳達も人馬を率いて既に間近く迫っていた。

 史進が敵を見渡すと、跳澗虎陳達は、紅のくぼんだ頭巾をいただき、金の裏地の黒金の鎧を着て、その上に紅の陣羽織をまとい、靴には戦闘用、二メートルあまりの紐を結んで丈の高い白馬にはませて打ちまたがり、四メートルはあるかという鋼の鉾を横たえ、百五十人の子分たちを前後左右に従えて、一斉に鬨の声を上げ、両軍がひしめくなかを、二人の大将が馬を乗りだすと、陳達は馬上で身を低くし、僅かに礼儀らしきものを見せると、史進は大声で叱りつけ、「お前たちは人を殺し火を放ち、家を襲い村を脅かす盗賊だ、天の責めを受けて死すべき罪人だ、お前も耳があるなら、私の名は知っているだろうに、自ら虎の髭を引っ張りに来るとは身の程を知らぬ愚か者だな」と罵った。

 陳達はこう罵声を浴びせられても、なお言葉を和らげ、「それがしがここに来たのは他でもありません、私たちの砦に兵糧が乏しくなったので、花陰県に行って食料を借りようというのです、もしここを通してもらえますれば、草一つ動かすことなくかの県におもむき、帰りには厚くお礼を致しましょう」と言葉を低くして述べ立てたが、史進はからからとうち笑い、「我が家は代々村長を務め、こっちから出向いて捕らえようと思っていたのに、お前が自ら出向いてきたのをどうして逃がすものか、無用のことばかり言っておらずに、早く縛につけ」と言えば、陳達がまた「四海のうちはみな兄弟というではありませんか、なんで一筋の道を惜しんで、恨みあう必要がありましょう、曲げてお見逃しください」と請い求めれば、史進は頭を左右に振り、「私が許そうとしても、ただ一人納得しない者がいる、その者に問うてこの道を通れ」と言う。

 「それはどなたですか」と問うと、史進は「我が刀がお前を許すことがならぬと言っておる」と言い返すと、陳達もこれにはいよいよ大いに怒り、「言わせておけば言ってくれるものよ、負かされて後悔するなよ」と罵れば、史進もまた大いに怒り、刀を廻して打ってかかる。

 陳達も馬に鞭を入れ、鉾をひねって迎え撃ち、一進一退、上下する切っ先から火花を散らし、一対一で撃ち合った。

 一進一退する様子はまさに龍が水底に遊ぶとき、玉に戯れる風情があった。

 上下に舞う切っ先は、まさに虎が山中で飢え、食物を取りあうようだった。

 九紋龍が打ち込めば、刀は宙に飛び、跳澗虎が突けば、矛先が閃いて、撃ち合うこと数十回に及んだが、史進が偽って太刀筋が次第に乱れるかのようにあしらえば、陳達は機会を得たものと鉾を取り直し、心臓めがけて貫こうとするのを、史進は腰をひねって身をかわし、陳達の槍が宙を裂き、馬人ともに雪崩かかるところを、史進は腕を伸ばし、陳達の帯をつかんで高く差し上げ、大地にどうと投げつければ、村人たちが走り寄り、あっという間に縛り上げ、勢いに乗じて打ちかかると、陳達の子分たちは道を失い、四方八方に逃げ失せた。

 史進は逃げるものを深追いはせず、陳達を引き立てさせて屋敷に帰り、彼を柱にくくりつけ、残る二人の首領も生け捕りにした後、お上に訴え奉り、褒美にあずかることにしよう、と村人ともに酒を飲み、喜びをともにしたので、史家村の村人たちは彼の武勇を誉め、みな頼もしく思った。

 さて、少華山の砦では、朱武、楊春の二人が、陳達のことを心配して、どうしたものか、と言い合っていたが、そのとき子分たちが逃げ帰り、「陳達頭領は、お二人の諫めを聞かずに、果たして史進に生け捕りにされました」と告げ、史進の武勇、戦いの有様などを見たままに語れば、朱武、楊春は大いに驚き、「我々は始めから、陳達では史進の相手にはならないことがわかっていたので、何度も止めたのに、いうことを聞かないものだから災いを招いてしまった」と言って狼狽した。

 楊春は、「こうなっては全員引き連れ、史進と雌雄を決して陳達を奪い返すか、共に討ち死にするかのどちらかしかない、どうであろうか」と問うと、朱武は「無駄なことだ、史進の武勇は力をもっては打ち勝つことはできない、ただこれこれのはかりごとをもってすれば、救い出すことができるかもしれない」といって額を合わせて囁けば、楊春はもっともなことだと合点し、二人して山を下り、史家村を目指して急いだ。

 このとき、史進はまだ怒りが冷めやらずにいたが、村民が走り込み、「少華山の朱武、楊春が来ました」と注進したので、史進は再び馬に乗り、門外で賊たちを待ち受けていると、朱武、楊春は思っていたのと異なり、子分たちも引き連れず、ただ二人だけで歩いて史進のもとまで来て、馬の前にひざまずき、ひたすら涙を流しているので、史進は疑い惑いながら、馬から下りて「お前たち二人は、ここまで来てなにを訴えるのだ」と問うと、朱武はさらに涙を流し、「私たち三人、役人たちに責め立てられ、やもえず山に登り、山賊となったときに、もろともに誓いを立て、同じ日に生まれたわけではないが、願わくは同じ日に死のう、劉備、関羽、張飛の義心には及ばないとしても、その志は同じであるべきだ、と約束しました、それなのに、今日、陳達が我々の諫めを聞かずに虎穴に陥り、たちどころに捕まってしまいました、とても彼を救う力はないと知っておりますので、我々もまた英雄の手にかかって、潔く死のうと思い定め、二人そろって参りました」と滂沱の涙に咽んでいるので、史進はこれを聞いて、ここまで義に深い彼らをなまじいに役人に引き渡して褒美を貰ったりすれば、天下の好漢たちに笑われてしまう、昔から、虎は小さな獣は食べないという、憐れみを乞うものをむざむざ殺すのも忍びがたい、と腹の内で料簡し、「お前たちとりあえず私とともに来い」と言い、屋敷に伴い、「私も一個の男だ、お前たちの義の心を空しくするのは気が済まないので、陳達を許そうと思うがどうだ」と言えば、朱武、楊春は声を揃え、「もしそうしていただければ再生の恩を被り、喜ばしい限りですが、おそらくは若様も巻き添えにしてしまうでしょう、ただただ三人もろとも縛り上げ、役人に引き渡して、褒美を受けてください」と思いつめた様子なので、史進は心に深く感激し、「お前たちは盗人ではあるが、義の心は却って深い、そんな者たちを役人に引き渡し、褒美を乞うことは、大丈夫の恥とするところだ、二度とそんなことを言うな」と言いながら、陳達の縄を解いてやったので、三人は深く喜んで、史進を神か仏のように伏し拝むので、史進は微笑んで、「お前たち酒は飲むか」と問うと、朱武が「死ぬことさえ覚悟しておりましたところ、いただけるものがあるというのをどうして断ることがありましょう」と答えたので、史進は大いに喜んで、三人に酒を勧め、みな許して帰してやれば、朱武、陳達、楊春は始めて蘇った心地がして、史進の恩を喜び、少華山に帰った。

 かくて三人の頭領は砦に戻り、陳達と楊春はひたすら朱武のはかりごとを賞賛したが、朱武は「私はたまたま苦しいはかりごとで陳達を救い出すことができたが、九紋龍がもし義の心に優れていなければ、我々を許して帰すことはなかっただろう、誠に史進は当世の豪傑である」と褒めそやしたので、陳達、楊春も彼の義心が堅いことを感じた。

 さて十日あまりを経て、朱武等三人は、史進に命を助けられた報いをせねばなるまいと、金三十両を二人の子分にもたせ、月のない夜に紛れ、史進の家に向かわせれば、二人の子分は夜の始めに屋敷に到着し、密かに史進に対面して言うには、「三人の頭領、先に命を助けられた恩を忘れることができず、いささかなりとも礼をいたすために、僅かではありますが、これをお送りしますとのことです」と述べて、金を差し出すと、史進は思いもかけないことだ、と受け取らないので、使いの子分たちは懇ろに薦めて、「もしお受けくださらなければ、我々が立ち帰って、告げるべき言葉もありません」というので拒みがたく、それではしばらく預かっておこう、と金を納め、二人に酒を飲ませ、銀一両を渡して帰した。

 その後も、半月あまりを経て、朱武等三人は、また史進の屋敷へ、一連の大粒真珠を贈った。

 史進はこれを受けて、彼等三人が私を敬い重んじて、しばしばものを贈ってよこすのに、こちらもなにか返さねばなるまいと思い、錦の小袖三着を新たに縫わせ、三頭の羊を煮て大きな盆に盛り、誰を使いにしてこれを贈ろうかと思っていると、年来使っている王四というものがいる、気の利いた者で、伯当と呼ばれていた。

 これは唐の始めに、伯当という弁者がおり、王四がそれに似ていたからである。

 史進は使いにはこの王四がよかろうとくわしく使いの旨を命じて、他にもう一人をつけて品物を少華山の砦に贈れば、三人の頭領は深く喜んで、王四等に銀十両を与え、酒食でもてなせば、彼等は十四五杯の酒を飲み、機嫌良く山を下りた。

 こうして史進は、いったんその義を感じると、分け隔てなく朱武たち三人と交わり、ものを贈りまた貰って、日々を過ごし、既に八月になり、十五夜の月を一人で眺めても興がない、この夜には昇華山の三人の頭領を招こうと、その前の日、一封の手紙をしたため、王四を少華山に使いにやった。

 王四は命を受けて史進の手紙を差し出すと、朱武等三人は読み終えてひたすら歓び、返事を書いて王四に渡し、五両の銀を与えて、酒を散々飲ませ、もてなしがいつにもなく手厚かったので、すっかり酔っ払って山を下りているとき、この頃使いに来て時々史進の屋敷に来る子分に行き会い、この子分が王四を麓の酒屋に誘い、また十五杯の酒を勧めたので、王四はさらに酔っ払い、酒屋を出て子分と別れて史家村に帰ろうとしたのだが、山風に吹かれて一層酔いがひどくなり、千鳥足で、林を通るとき、木の株につまずいてはたと倒れて、そのまま前後を知らず眠り込んでしまった。

 そんなところに、兎を追って林の中を徘徊する狩人の李吉が行き会い、前から知り合いの王四が酔い臥しているのを見て、起こそうとすると、腰の袋から朱武等が与えた五両の銀があらわれた。

 李吉はこれを見てたちまち欲を出し、密かに探ってみると朱武等の書簡と銀とが出てきた。

 この李吉はもともと少しは字も読めたので、その書を開いて読んでみると、上書きに少華山、朱武、陳達、楊春とあって、その他のことは文武兼ね備わった文章なので、読めなかったが、かの三人の名前があることに大いに喜び、思いがけず大金にありついた、近頃お上から三千貫の賞金が出て、人を集めて三人の山賊をつかまえようとしている、そもそも俺は前日チビの丘乙郎に会おうと、史進の家を訪ねていったが、史進は盗人と俺をののしった、そのきゃつが盗人と交際しているとは、証拠を得た上は、訴えて出てやると銀と書簡を奪い取り、すぐに逃げ去ったのを、王四は夢にも知らずに、夜も十時を過ぎた頃に始めて覚め、腰の袋がなくなっている、どうしたことかとあちこち探ってみると草のなかに袋はあったが、なかには銀も書簡も見えなかった。

 王四はいよいよ当惑して、銀は失ってもあきらめはつくが、返書を失ってはいいわけがつかない、正直に言ってしまえば、若様はどれほどお怒りになることか、返事はないと偽って言い逃れるしかないな、と思案して、飛ぶように走り帰ったが、夜はもう随分更けていた。

 史進は王四の遅い帰りを見て、「何を手間取っているのだ」と問うので、王四は、「三人の頭領に酒を飲まされ、様々にもてなしをされて、放してくれません、それで心ならずも夜遅くになってしまいました、しかしそれも若様のおかげです」と言えば、「返書はないのか」と史進が聞くので、王四はまた「三人の頭領は返事を書こうとしたのですが、私がどうも酒を過ごしてしまったので、返事を賜り、道中に誤りがあってはいけません、きっと十五日に来てくださるなら、返事には及びませんと申したので、ならばよいように計らってくれ、その夜は必ず伺うからとおっしゃいました」と日頃の弁舌を振るって欺けば、史進はますます喜び、「世間でお前を伯当と称しているのももっともなことだ」と言って、ひたすら彼を褒めあげた。

 かくて仲秋の十五夜になり、史進は様々な酒を用意し、羊一頭、鶏、鵞鳥百羽を煮させて、三人を待っていると、この日は天も晴れ渡り、一輪の月が煌々と昇り、昼のように影に満ちた。

 少華山の頭領、朱武、陳達、楊春は三四人の子分を率いて、史進の屋敷に入ってきたので、史進は下僕に命じて門を固く閉ざさせ、朱武たち三人を奥の座敷に伴い、主客四人で円座して月を賞翫し、羊をとりわけ、酒を勧め、四方山話に興じていると花陰県の知事、馬上に勇ましくうち乗り、二人の将校と三四百人の士卒を率い、松明はさながらきら星のように、史進の屋敷の四面を取り囲み、異口同音に呼ばわるには、「少華山の三人の山賊ども、今夜ここに会合すると訴えによってわかっておる、自ら出て縛めを受けるか、踏み込んで生け捕りにするか、どちらか決めよ」と叫ぶ声が谺に響くほどおびただしい。

 史進は、一点の邪な思いもなく、ただ義に応じて朱武たち三人と親しく交わり、災いが身に及ぶこと、もともと、天罡地煞星がひとつに集ったことによる。

 史進と三人の頭領がいかにしてこの窮地を逃れるか、それは次の巻で。

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