2017年10月16日月曜日

滝沢馬琴訳『水滸伝』(冒頭ちょっと)8



 『水滸伝』の(冒頭ちょっと)もこれが最後。

 魯智深は『水滸伝』のなかで私がもっとも愛する登場人物である。

 それにしても、きたないなあ。


初編 巻之六

○魯智深大いに五台山を騒がす

 魯智深は泥酔して騒ぎを起こしてから、三四ヶ月は寺内を出なかったが、二月のある日、いかにも長閑な日であったので、足に任せて山門を出て、五台山の風景を眺め、その見事さに見入っていると、麓の方からかんかんと響く音が風に乗って手に取るように聞こえてきたので、僧坊に戻って僅かの金を懐にし、音を頼りにして山を下っていくと、そこには五六百軒の家が建ち並ぶ街があり、肉屋、野菜屋、酒屋、うどん屋もあった。

 魯智深は街の様子を見て、ここに酒屋があることを知っていたら、酒桶を奪うこともなかったろうし、長い間禁酒することもなかったろうになどとぶつぶつ言いながら、悪い癖が再びわき起こり、ちょっと酒でも引っかけるか、とうろうろしていると、例のかんかんと響く音が近くなり、見てみると鍛冶屋であった。

 隣には旅籠屋の看板が出ている。

 魯智深は鍛冶屋に入り、店の者に「ここにはよい鋼はあるか」と尋ねると、槌をふるっていた者は始めて魯智深を見て、顎のあたりに生え始めた髭が針のように突き立ち、いかにも猛々しい様子なので、怪しくもあり怖くもあり、「まず入ってお休みください、鋼をなににお使いで」と問うた。

 智深は「禅杖と戒刀を打って貰いたいのだが、どうだ、よい鋼はあるか」と言うので、職人は「幸い上等の鋼が入っております、その禅杖と戒刀の長さと重さはどのように致しましょうか」と問い、魯智深は「戒刀は普通の長さでよい、ただし禅杖は重さ百斤は欲しいところだ」と答えたが、職人は笑って「それではあまりに重すぎで動かすことができますまい、いにしえの関羽の青竜刀も八十二斤だったと聞いております」と言いも終わらぬうちに、魯智深はいらだって「俺がなんで関羽に劣ることがある、彼も同じ人間ではないか、無駄なことは言わぬがいい」と言い張るので、職人はまた「お任せくだされば、四五十斤の重さで打ちましょう、それでも相当に重いものです」と返したが、魯智深は頭を振り、「俺は百斤にしたいところだが、お前がそこまで言うなら関羽の偃月刀に倣って八十二斤で打て」と言えば職人はさらに返して、「禅杖のあまり重いのは使い勝手が悪いものです、その中間を取って六十二斤で打ちましょう、ただしもし動かすことができなくても私を責めないでください」と言うので、魯智深はようやく納得し、「それでは六十二斤で打ってくれ、二品でいくらになる」、「掛け値なしで五両いただきます」と答えた。

 魯智深は「値切るつもりはもとよりない、とにかくよい鋼で打ってくれ、意に適ったものなら別に褒美をやろう」と言って懐中から金を出して渡し、上機嫌で「酒を買ってお前と呑もうと思うがどうだ」と言えば、職人は「ご覧のように生業にいとまのない身ですから、ご相伴にはあずかれません」と固辞するので、魯智深も強いては勧めず、店を出て、二三十歩も行かないところに、酒玉をさげ幟を立てた店がある。

 智深はそれを見て、暖簾をかき分けつつっと入り、座る間もなく卓を叩いて、「酒を持ってこい」と呼べば、主人が出迎えて「五台山のお坊さんとお見受けします、この店は元手も寺から借り受けて生業を致しておりますが、かねて長老様からのお達しで、寺内のお坊さんに酒を売れば、元手を取り上げられ、店も追い出されてしまいます、なのでお坊さんにはお売りできません」と言うので、魯智深は「それはそうでもあろうが、ちょっとでいいから呑ませてくれ、ここで呑んだとは誰にも言わないから」と再三頼みこむのだが、主人は一切受け付けないので、「頑固な親父だな、どっかで思う存分呑んでからとっくり言い聞かせてやろう」と呟いてまださほど歩かぬうちにまた一軒の酒屋を見つけ、すぐに入り「酒を」と頼むが、その店の主人も長老の法度がありますので、と売ってくれない。

 仕方なく魯智深はそこを出て、四五軒の酒場をまわったが、どこも同じである。

 そこで魯智深ははかりごとを企て、町外れの桃の花が咲き乱れた門に酒玉を吊した家に入り、小さな窓の側の床几に座ると、「行脚の僧だが、長い道のりで喉が渇いてしまった、酒を持ってきてくれ」と言った。

 ここの主人は百姓も兼ねていると見えて、いぶかしげな男を出迎えて「五台山のお坊さんでしたら、お酒を売ることはできませんが」というのを聞き終わるまでもなく「遠方から来た者だ、五台山の僧ではない、早く酒を持ってこい」、主人がよくよく魯智深を見てみると、その様子や話し方がいつも見ている五台山の僧とは全然違っているので、少しも疑わずに「どのくらいお持ちしましょう」、魯智深は「どのくらいもなにもない、どんどん持ってこい」、やがて十本ほどのお銚子を持ってきたので、それを呑みながら、「肉があるなら持ってきてくれ」、「先ほどまで牛肉がちょっとございましたが、みな売れてしまいました、野菜が少しありますから持ってきましょうか」と主人は言うが、魯智深の鼻は肉の香りをかぎつけ辿ってみると、土間の片隅の鍋のなかに犬を煮ていた。

 魯智深は元の席に戻り、「いい肉があるのに、なんでないというのか」、主人は微笑んで、「出家の方なので、犬はお召し上がりにならぬと思っていました、よろしければお持ちします」と答えた。

 魯智深はうなずいて「金のことは心配するな、先に払っておいてやる」と懐中の金を渡すと、主人はそれを受け取り、よく煮た片身の犬に、にんにくを添えて持ってきたので、魯智深は大いに喜び、犬の肉を引き裂き、にんにくと一緒にほおばりながら、続けざまに十本の銚子を空にした。

 主人は呆れ果てた顔で、見ていると魯智深は「もう一桶酒を持ってこい」というので、主人はいよいよ呆れて、酒を持ってくると、魯智深はすぐにそれを空にして、食い残した犬の足を懐にし、「余った金は明日また来るからその分だ」と門から駆けだしたので、主人は口をあんぐり開けて答えることもできない。

 魯智深は五台山を駆け上り、やがて休息所に着いたので一休みしていると、酒によって眠っていたものがぐんぐん沸いてくるようなので、それに身をゆだねて身体を起こし、しばらく身体を動かしてないので体力が衰えているようだ、ちょっと力試しをしてみるかと、亭の柱に腰を入れて当たってみると、たちまち木の裂ける音が響き渡り、柱は中程から折れて庇が地面にめり込んだ。

 寺の門番はその音を聞いて、なんの音かと見下ろしてみると、魯智深がひょろひょろと山を登ってくる。

 二人の門番は驚いて、門のかんぬきを下ろし、隙間から覗いてみると、魯智深が拳を挙げて鼓のように門を叩き、「開けろ、開けろ」と叫んだが、門番は答えなかった。

 魯智深は身をよじり、左に金剛像が立っているのを見て、「そこの大男、俺を手伝って門を叩こうともせず、拳を振り上げて威しても、お前のことなどちっとも怖くはないぞ、相手になってやる」と台の上に躍り上がり、葱を抜くようにその頭を引っこ抜き、腿のあたりをてやっと叩けば、塗料がすべてはげ落ちた。

 門番はこの光景を見て慌てふためき、とにかく長老に知らせようと急いで駆けだしたが、魯智深は今度は右手に立つ仁王を見つけ、「俺を見て大口開けて笑ったな、ただではすまぬぞ」と罵りながら足のあたりを殴りつけると、地面が震えるような響きを上げて仁王は台から転げ落ち、魯智深はからからと笑った。

 二人の門番はこの有様を長老に申し上げたが、長老は「騒ぎを起こして彼を怒らせてはならぬ、早く戻れ」と命じたときには既に、首坐、監寺、都寺といった役につく僧たちがみな方丈に集まって、「彼奴は今日もまた酔っ払い、休息所と山門の金剛像を壊してしまいました、どうすればいいでしょう」と異口同音に訴えたが、長老は「昔から天子様でさえ、酔っ払いには関わらないようになさる、まして私のような老僧がどうすることもできまい、休息所も金剛像も超員外になおさせればよい、下手に関わるとどんなことになるか先日のことを思いだすがよい」とおっしゃるので、僧たちもどうすることもならず、門番を呼び、とにかく門を開けるな、と命じた。

 魯智深はしばらく門前に立っていたが、門が一向に開かないので、いらいらが募り、「この馬鹿坊主ども、入れないつもりなら山門を焼き払ってくれるぞ」と息巻いているので、僧たちはびっくりして、再び門番を呼び、「入れなかったらなにをしでかすかわからない、とにかく門を開いて様子を見ておれ」と命じたので、門番は恐る恐るかんぬきを引き抜き、飛ぶように身を隠し、僧たちも遠くから見ていると、魯智深はかんぬきを抜く音を聞いて一押しに門を開けると力が余って地面に倒れ込んだが、すぐ身を起こして僧堂へ駆けいったので、座禅をしていた僧たちは驚いて顔を伏せていた。

 魯智深はいつも寝るところに着くと、喉をごろごろいわせながらあちらこちらに吐き散らし、その耐えがたい臭気に僧たちは目を閉じ鼻を覆い、ともに吐き出すかに見えた。

 魯智深は吐くだけ吐くと、着物の帯を解くのももどかしくずたずたに破り捨て、懐から犬の足が落ちた。

 魯智深はそれに気づいてからからと笑い、「吐くだけ吐いたら少し腹が減った」といいながら拾い、食い始めたので、僧たちは見ていられなくなって、顔を袖に押し当ててそろりそろりと逃げだそうとしたが、魯智深は手近の僧を引き留め、「お前もちょっと食うがいい」と戯れて、犬の肉を口に押し当ててきたので、僧は袖でしっかりと口を覆い、命に賭けて食うまいとしているので、別の僧の口に押し当てて「食え、食え」と責め立てて、防ぎきれないと床から飛び降りようとしても、むんずと捕まれていてふりほどけず、僧たちが四五人走り寄って、謝り宥め賺すと、魯智深は肉を放り投げ、栄螺の如き拳で剃り上げた僧たちの頭をぽこぽこと殴りつければ、道内の僧たちは右に左に逃げ惑い、隠れようとするのを逃すまじと追いかけてくる。

  都寺、監寺たちは長老には告げずに、手に手に棒を持ち、鉢巻きを巻いた執事の僧たち、大工、人夫、玄関番、籠かきなど二百人あまりを寄せ集め、問答無用で捕らえようとする。

  魯智深はこれを見て怒り心頭に発し、武器になるものもないので、仏前にある机の脚二本を引っこ抜き、まっしぐらに躍りでた。

  頭上に火焔が湧き上がり、口からは雷がほとばしる有様である。

  まさに矢が当たり崖を駆け抜ける虎、槍をつけて谷を飛び越える狼であり、東を向いては西を打ち、南を向いては北を打つ、その勢いは燦然と輝くようで、抵抗しても無駄なこと、あっという間もなく十数人が傷ついた。

  魯智深は荒れたぎるままに法堂近くまで進んだが、ふと見ると長老がおいでになり、「智深、無礼は控えよ、お前たちも手を動かすな」とみなを制したので、みな退き身を隠したので、魯智深も机の脚を投げ捨てて、「長老様、お裁きをお願いいたします」と申し上げたが、そのとき酒は七八分は醒めてしまった。

  長老は魯智深を近くに招き、「お前はどうしてこの老僧を幾度となく苦しめるのだ、先にも酒に酔って良からぬ行いがあったと、超員外に知らせたところ、書簡が来て言葉を尽くして僧たちに詫びて寄こしたので、大目に見ておいたが、また酔っ払って休息所や山門の仁王を壊すだけでなく、寺の者まで傷つけた、その罪は大きいぞ、この五台山は文殊菩薩の道場であり、千百年清浄を保ってきた霊地である、どうしてお前のような汚れた者を置いておくことができよう、お前をどこにやるか算段するから、ついてきなさい」と仰せになり、魯智深を方丈に伴い、傷ついた者を介抱させ、次の日、長老は首座と相談し、まずは超員外にことの次第を伝えると、員外はびっくりして、休息所と仁王は私がすぐに修復いたします、魯智深のことは長老の裁きにお任せし、寺の法度に従います、と返事を寄こしたので、長老は侍者の僧を呼んで、墨染めの着物、一足の草鞋、十両の金を用意させ、魯智深を呼びだして、それらを賜り、「お前は二度も霊山で騒ぎを起こし、仏法を蔑ろにした、その罪は大きいが、施主である超員外の面目を潰すことも本意ではないので、お前にわし自らの手紙を贈り、受け入れてくれるところを算段した、お前のことを一晩中考えて、四句の偈を説き示すので、死ぬまでその言葉を忘れず、後の戒めとなさい」とおっしゃったので、魯智深はかしこまって深くその慈悲を感じ取り、「是非その偈をお説きください」と申し上げた。

  まさにこの長老、透徹した眼をもちながら人を憐れむこと深く、道に通じ知恵に富んで、未来を見通して過つことがない。

  魯智深が禅杖をもって天下の英雄豪傑と戦い、怒りをもって戒刀をひとたび抜けば世の悪者逆臣を斬り殺し、その名は三千里に広がり、悟りを江南において得ること、長老の視界のうちにあった。

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