2017年10月9日月曜日

滝沢馬琴訳『水滸伝』(冒頭ちょっと)6



○魯提轄、拳をもって鎮関西を打つ

 九紋龍史進は少華山を出て、関西の渭州を目指したが、険しい山を越え、岐路に迷い、夜は荒涼とした林を宿にして月を眺め、昼は切り立った谷を渡って夕暮れの影を背負い、霜に身を横たえ、雨のなか休んで、およそ半月かけて渭州に着き、この近くに経略府があり、師匠の王進がそこにいると思うと嬉しさにたまらなくなり、その日のうちに城下に到着し、街のなかをさまよっていると、一軒の茶店が道の入り口にあった。

 史進がこの茶店の端に腰掛けると、主人が迎えて、「お客様はなにになされますか」と問うた。

 史進が「泡茶をくれ」と言うと、主人が茶をもってきたので、史進は茶をすすりながら、「経略の役所はどこにある」と問うと、「この向かいにあるのがそうです」と答えた。

 「それなら、その役所に東京八十万禁軍教頭の王進という方がいるのを知っているか。」

 主人はしばらく考えて、「この役所には教頭が非常に多いので、三四人王氏を名乗る方がいますが、どの方が王進であるかはわかりません」と語る折しも、一人の大男が大股に歩いてきて、茶店の椅子にどんと座った。

 史進がこの人物を見ると、軍官らしく、顔はまん丸で、耳は分厚く、鼻筋が通り、口は四角く、顎のあたりに髭がぼうぼうと生え、身の丈は二メートルは越え、腰回りも一メートルはあったろう。

 この人ここに来て茶を飲むとき、史進に向かい、「客人、教頭のことを尋ねるなら、この提轄に聞き給え、よく存じておる」というので、史進は急いで身を起こし、礼を述べれば、かの人物も史進が相貌堂々として好漢であるのを見て、会釈しつつ互いに席を勧め合った。

 史進は「率爾ではありますが、お名前をお聞かせ願いますか」と言えば、かの人物は答えて、「我はこの経略府の提轄を勤めております、姓は魯、名は達といいます、魯提轄とも呼ばれています、貴公はどこの御方で、名はなんとおっしゃる」と言うので、史進はますますへりくだり、「私は華州華陰県の者で、姓は史、名は進といいます。私には一人の師匠がおります、もとは東京八十万禁軍教頭の王進という御方です、いまはここの経略府におられるということなので、尋ねて参りました、どこにお住まいかお教え願いますか」と丁寧に尋ねると、魯達はそれを聞いて、「貴公は史家村の九紋龍史進ではないか」というので、史進は拝伏して「私がその九紋龍です」と言い終わりもしないうちに、魯達も急いで礼羲を返し、「名を聞くは面を見るにしかず、面を見るは名を聞くより勝れりとはいうが、貴公が尋ねる王教頭とは、東京で大尉高俅に憎まれた王進のことではないか」、史進はうなずいて、「おっしゃるようにその王進のことです、どうなされていますか、お教えください」と請い求めたが、魯提轄がいうには、「私もかねて王進の名は聞いているが、彼は延安府の鎮守である老公経略相公のところにいると聞く、この地は渭州であり、若殿経略相公の守っている州だ、貴公は聞き間違えて、訪ねてきたと見える、どれだけ探しても王教頭はここにはいない」、史進もようやく気がついて、ひたすら後悔した。

 魯達は史進が途方に暮れているのを見て、「貴公、長い旅でお疲れだろう、向こうで一杯やろう」と手を取って伴い、茶店を出るときに顔を向けて「金は明日持参するぞ」と言えば、主人は「提轄様がお飲みになった茶くらいよろしゅうございます」と答えるのを聞きながら、両人が四五十歩も来たところに人が大勢集まって大騒ぎになっているので、史進はなにがあったのかと人混みをかき分けて見てみると、囲みのなかに一人の男がいて、棒を使って膏薬を売っている。

 史進がよくその男を見ると、むかし始めて武芸を学んだ師匠打虎将李忠であったので、思わず声をかけて、名前を呼んだところ、李忠も史進を見つけて大いに驚き、互いに一別以来のことを語っていると、魯達はもどかしくなって、李忠に向かい「史進と師弟のよしみがあるなら、我々と一緒に一杯やろう」と言えば、李忠は「この薬を売って、後から参ります、史進を連れて先に行っていてください」と言い終わる間にも魯達はいらだって、「とにかく一緒に来い」と言いながら、集まった人々をかき分け、「馬鹿者ども、ものが見たいなら、屁ぐらいは出してみろ、早く立ち去らねば打ちのめすぞ」と罵ると、みなその勢いに驚き恐れ、四方に散り散りになったので、魯達は李忠も伴って潘家という飲み屋に入り、三人で酒を飲み交わす折しも、隣の座敷に人がいるらしく、しきりに泣き声が聞こえるので、魯達はむっとして、側にいた店の者をひょいとつまみ上げ、二階の板の上に投げつけたので、店の者たちはこの音に驚き、急いでやってくると、魯提轄は「俺はたまたまこの店に入って酒は飲んでいるが、酒代を借りているわけではないぞ、なんで忌々しい人の泣き声を聞かせて酒興をさまさせるようなことをする、俺を侮っているのか」と声を荒げて罵ると、店の者は恐縮して「まず怒りをお納めください、なんで人を泣かせて楽しみとすることがありましょう、隣にいるのは毎日うちの二階に来て生業をする父子ですが、あなたたちがいることに気づかず、差し迫った事情のために思わず泣いてしまったのでしょう、私の顔に免じてお許しください」と訳を語れば、魯達は「それだけでは訳がわからん、その父子を呼んできて見せてみよ」といらだちは収まらないので、店の者はおそるおそる隣の座敷に行き二人を連れてきた。

 前にいるのは十七八の娘で、後ろには五六十の父親が手拭いを持って従っている。

 娘は十人並みの器量というのではないが、なにか人の情を動かす顔つきをしていて、黒髪には玉の簪を挿し、柳腰に紅の帯を締め、雪を恥ずかしがらせるほどの白い肌で、眉をひそめ涙ぐんで珠を落すばかりの姿は、なにを憂いているのか、積もりに積もったものがあふれているのだと思われた。

 娘は涙を拭いしずしずと三人の前に立ち、「ご機嫌よろしゅう」と挨拶し、父親もお辞儀をしたので、魯達は「お前たちはどこの人間で、どんな理由があって泣いていたんだ」と聞けば、娘が「私たちはもともと東京のものですが、この渭州の親類を頼りにして親子三人で参ったのですが、思いがけずその親類が最近南京に引っ越したことがわかり、頼むものもなくしばらく逗留していると、母親が突然宿で亡くなり、悲しい日を送っていましたところ、鎮関西の鄭という金持ちが、どこかで私を見たのでしょう、仲立ちを立てて私を妾にすると言いくるめ、無理矢理三千貫の手形を書かせた上にそのお金も渡さず、私だけを屋敷に引き取りましたが、本妻が妬み深く三ヶ月もたたぬうちに私を追い出し、始めに身請けした店に預けて、三千貫を返せと日に幾度となく責め立てます、父は年老いてもともと臆病なものですから、言い争うこともできず、向こうは金持ちで勢いもありますから、一文も出していないお金を手形を証拠としてひたすら返せと言いつのり、事ここに至ってはどうしようもなく、幼いときに習った小唄を唄って、この店に来ては毎日僅かなお金を得て、そのほとんどを返すのにあて、僅かばかり残ったお金で父子で暮していましたが、ここ三日というものお客さんがほとんどおらず、期限のお金を返す当てもなく、どんな辱めにあうものかと浅ましさと悲しさに耐えきれず泣いてしまった声が外に漏れたようで、あなた様方に怪しまれ面目次第もございません」と言いながら小さな袖で顔を覆い、涙を滂沱と流すので、魯達はまた「お前の姓はなんという、どこの宿に泊まり、その鄭という奴はどこに住んでいるのか」と尋ねると、父親が「私たちの姓は金といい、私は次郎と申し、娘は翠蓮といいます、向かいの東門の裏にある魯家という宿におり、毎日ここに通っています、鎮関西の鄭は状元橋という橋の下で、肉屋を営んでおり、鄭屠という者ですが、鎮関西と呼ばれております」と淀みなく話せば、魯達は聞き終わって非常に腹立たしい様子で、「鎮関西の鄭なるもの、何奴かと思えば、経略府で豚を屠って世を渡る胸くそ悪い悪党じゃないか」とひたすら怒り罵り、史進、李忠を見返って、「君たち二人はここで待っていてくれ、鄭屠をぶち殺してくる」と言い終わるまでもなく走りだそうとするのを、史進、李忠は両脇から抱き留め、様々に宥めてようやく元の座につけたものの、怒りは収まらず、金親子に向かって「お前たちは安心して俺の言う通りにするがいい、旅費をやるから明日東京に帰れ」と言えば、親子は手を合わせ「もしそうしたお恵みをかけていただけますなら、私たちにとってはこの上ない恩情でございます、ですが、私たちが旅立ってしまうと、鄭は必ず店の主を責めて、金を返せと言うでしょう、それがわかっていますから主も旅立つことを許してはくれますまい」と言うので、魯達は声を励まし、「俺には俺の分別があるから、そんなことになりはしない」と言いながら懐を探って、五両の金を取り出し、卓の上に投げだし、史進に向かって「俺が今日持ち合わせているのはこれだけだ、お主金をもっているならちょっと貸してくれ、明日には必ず返すから」と言えば、史進は「お安いことです」と答えて、包みから十両を取り出し卓の上に置いた。

 魯達はまた李忠に向かい、「お主もちょっと貸してくれ」と言ったが、李忠が渋々二両を取り出すのを見て、そのけち臭さと、額が少ないのに腹を立て、二両を李忠に投げ返し、十五両を親子に与え「これでとりあえず、旅支度を調えよ、俺が明日朝一番で故郷に帰してやる、俺が一緒なら店の主も留めだてはすまい」と安心させれば、金親子は魯達を神仏のように伏し拝み、宿に戻っていき、魯達、史進、李忠もそれに続いて店を出て、史進、李忠はそれぞれの宿に帰っていった。

 金親子は思いがけず十五両を得たことを深く喜び、旅支度を調え、宿賃を残りなく清算し、次の日早く起きて朝食を食べ、魯達がくるのを待っていたが、魯達の方は前日、経略府の前の自宅に帰ったが、とにかく憤りが収まらず、夕食も取らず、夜の明けるのを待って、金親子の宿に行き、宿の者に金親子を呼んでくるよう命じると、親子は飛んできて、恩情の深さに感謝し、荷物を抱えて去ろうとしたが、店の者がそれを見て驚き、「どこに行く」と親子をしっかり抱き留めるが、魯達が脇から進み出て、「この二人に宿賃の借りでもあるのか、なんで行かせてやらない」と問うと、「宿賃は昨日残りなく清算しましたが、鄭さんのお金をまだ返し終わってないので、このまま行かせてしまってはうちに迷惑がかかります」と言うので、魯達は眼を怒らし、「鄭の金は俺が返す、それでも親子を止めるのか」と憤りを含み、店の者が恐る恐る再び口を開こうとするとき、拳で顔面を殴りつけ、二枚の歯が折れて飛びだした。

 顎を押さえた店の者からの報告を受けて、主人も驚いて出てきたが、金親子は既に街の彼方に消えていた。

 魯達は、いま自分が動けば、こいつ等きっと金たちを追いかけるだろう、しばらくここに留まって、店の者が動けないようにしておこうと思いながら、椅子に腰掛けてどこにも行く様子がないので、店の主人もその勢いに圧倒され、一言も口がきけず、空しく眺めているだけだった。

 魯達はしばらくそうしていたが、もはや追いかけても無駄だと思える時間まで居座ると、ようやく店を出て状元橋に向かっていった。

 その朝、鄭屠は門を開け放し、二つのまな板を並べ豚肉を捌きながら、店の者に指図などをしていたが、魯達が大股で入ってきたので、出迎え、「提轄様、お珍しいじゃございませんか、ご用はなんでしょう」と聞くので、魯達は「鄭屠、俺は経略相公の仰せを申し使ってきた、早く良い肉を十斤、骰子に刻んでもってこい、僅かでも脂身が入っていたらご用のお役には立たんぞ」と言いつけると、鄭屠は「承りました」と答えながら、魯達に椅子を勧め、店の者を呼んで肉を切らせようとすると、魯達は「あんなむさ苦しい奴に任せておけるか、お前自ら切らんか」といらだっているので、鄭屠は仰々しいことだなと思ったが、「仰せごもっともです、私が切りましょう」とまな板で十斤の肉を細かく刻んでいると、宿の者が手拭いをかぶり鄭屠に金親子が逃げたことを告げに来たが、魯達がいるのを見て近づくこともできず、軒下にたたずみながら遠くから眺めていた。

 鄭屠は肉を刻み終り、蓮の葉に包みながら「提轄様、店の者に持って行かせますので、どうぞ先にお行きください」というので、魯達はまた、「別の用事がある、十斤の脂身を同じく骰子状に切ってくれ、少しでも赤身が入っていたら、ご用のお役には立たんぞ」と言った。

 鄭屠は「赤身は包んで饅頭にできますが、脂身を骰子状に切ってどうしようというのです」と言えば、魯提轄は眼をかっと見開き、「相公の仰せに従ってきただけだ、なにに使うのは俺は知らぬ、さっさと切らんか」といらだっているので、鄭屠は仕方なくまた十斤の脂身を刻んで蓮の葉に包んだが、かれこれ手間取って二時間あまりたったので、宿の者は魯達が居座っているのでなかに入ることもできず、魯達は金親子が十分遠くへ去ったと思ったので、二つの包みを取り、鄭屠に向かい「まだ別の用がある、十斤の軟骨を骰子に切ってもらいたい」というので、鄭屠はいよいよあきれ果て、「提轄様、ご冗談を言ってもらっては困ります」と笑い出すので、魯達はさっと身を起こし、「俺がお前をなぶってなにが悪いか」と言い終わる間もなく、二包みの肉を鄭屠の顔に打ちつけたものだから、二十斤の骰子肉がぱらぱらと飛び散って、肉の雨が降った。

 もはや鄭屠も我慢できなくなり、爪先から頭まで怒りが駆け上り、骨切り包丁をひっさげて、まっしぐらに躍りかかってくるのを魯達は店の外で待ち受け、近隣の者、通りがかりの者大勢が囲んで見ていたが、魯達の勢いに圧倒されて、止めようとする者もなく、店の者も人々の背後に隠れてしまった。

 鄭屠は右手に刀を下げ、左手で魯達を捉えようとしたが、勢いづいた魯達はその左手を取りひしぎ、引き倒しながら胸を全力で踏みにじり、岩のような拳を挙げ鄭屠をにらみつけ「俺は老公に従い、関西五路の取り締まりをしていたが、鎮関西と称することはなかった、お前は肉屋の上に、犬にも劣る畜生なのに、なにを自慢げに鎮関西と自称する、それだけではなく、翠蓮親子を騙し三千貫の借金を負わせた天罰を思い知れ」と鼻柱を殴りつけると、鼻は歪み桶をひっくり返したかのような鮮血がほとばしり、鄭屠は苦痛に耐えられず持っていた刀を落し、魯達は再び拳を挙げて眼を殴りつければ、眼球が糸を引いて飛びだした。

 見ていた者たちは魯達の怪力にたまげて、後ずさりする。

 鄭屠は虫の息で「許してください、許してください」と繰り返していたが、魯達の怒りはなおやまず、さらにこめかみを殴りつけると、鐘を突いたような響きを上げ、鄭屠は反り返り、唇の色がたちまちのうちに変わって、魯達は懲らしめてやるだけだと思っていたが、ただの三発で死んでしまったか、死なせたとなると俺も安穏にはしておれまい、まずここを抜けだそう、と秘かに思案し、去り際に死体を見返して、「死んだ真似をしたところで誰が信じるか、また来てとっくりと話をつけてやるからな、忘れるな」と罵りながらその場を離れ、自宅に帰って服を着替え、金を懐に、細い棒だけを携えて、南門からまっしぐらに駆けだした。

 鄭屠の家族や近隣のものは、鄭屠を助け起こして様々に手を尽くしたが、半日たっても生き返らなかったので、相談して役所に訴えを出したが、それを受けた奉行は、魯達は経略府の提轄なので、自分の一存では捕らえることはできないと、車に乗り経略府に赴き、門兵に取り次げば、経略公が書院で出迎えて対面し、奉行は礼を尽くして「殿に仕えまする提轄、魯達が、理由もなく鄭屠という町民を殴り殺しました、まずはそのことを殿にご報告してどうしたらよいかうかがおうと参りました」と告げると、老公は魯達は武芸には優れているが、無骨者で、人を殺したとすれば救うこともできまい、苦々しいことだ、と思いながら「魯達は元々私の父に仕えていた経略府の軍官だ、最近私に仕えることになって少しの過ちもなかったが、人を殺したとなれば法の裁きを受けさせねばなるまい、父は遠方におられるので、後で伝えておこう」と答えたので、奉行は心得ました、と役所に戻り、捕り手を呼びつけ、逮捕状を渡して魯達を捕らえるよう命ずると、王観察という者がそれを承り、二十人あまりの捕り手とともに魯達の自宅へ向かったが、魯達は今朝逃げ去って行方がわからないと聞いたので、手分けして探させたが、既に相当の時間がたっているので、すぐに捕らえられるはずもなく、仕方なく立ち返ってこれこれでと報告すれば、奉行は触れ状を各所に廻し、魯達を捕らえれば、賞金一千貫を与えると伝え、鄭屠の家族、庄屋、家主などを呼びだして経緯を申し渡せば、家族は棺を用意し、鄭屠を葬った。

 一方魯達は、その日のうちに渭州を離れ、群れを抜けた狐、網を逃れた魚の如くに、月の光を頼りに駆け、川をさかのぼり、遠い近い、高い低いに関わりなく、出陣した馬のようにいくつかの州を抜け、どこでも構うことなく宿にした。

 餓えるものは食を選ばず、寒いものは衣服を選ばず、恐れるものは道を選ばず、貧しきものは妻を選ばず、と昔から言われているが、いまは我が身のこととなり、やがて半月が過ぎて、代州鴈門県に到着し、賑わいのある街中を通っていると、一群の人々が四つ角に立って触れ状を読んでいた。

 それぞれ肩を触れあわし、賢い者、愚かな者、高貴な者、卑しき者が区別なく入り交じっている。

 ある者は学がなく文字が読めず、背の低いものは人の背中ばかりが見える。

 白髪の老人は杖を支えにして読み上げ、学生は筆を取りだして写している。

 魯達は近づいて札を見たが、元来無筆なので読むことができないが、人の読むのを聞いていると「渭州経略府の提轄、魯達は町人鄭屠を殺した犯人である。もしかくまう者がいれば同罪である。捕らえた者には千貫の賞金を賜るものなり。」とあるのを聞いていると、後ろから張殿、なぜここにおられるのか」と呼びかけて肩を叩く者がいる。

 この人物は何ものなのか。

 それは次の回で明らかになる。

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