2014年10月11日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻35

三日の花鸚鵡尾長の鳥軍 重五

 前句を、一人はすけの局か一人は某の内侍かと、左右に立ち別れたる人をいうものと見立てた曲齋の解釈は非常によい。「三日の花」は鶏合わせ[鶏を戦わせた宮中の行事]がある三月三日に花をかけている。鶏合わせは確かな節会ではないので、すでに貞徳は「季を定めずに雑とするべきか」、といっている。

 鶏合わせ、雛遊びなどは、実際に三月三日に決められていたものではなく、『三代実録』には元慶三年二月二十八日天皇弘徽殿で闘鶏を見たという記事があり、『日本紀略』には萬壽二年三月十七日内大臣藤原範通の家で闘鶏があった記事があり、また北村李吟の『山の井』にはある記事を引いて、朱雀院の天慶元年三月四日闘鶏十番があったと注している。そうだとすれば、闘鶏に決まった日はなかったことになるが、足利氏の頃からか、いつとはなく三月三日に、もとは臨時の遊興に過ぎなかったものが礼式と定められたようである。「鸚鵡尾長」のたぐいは鶏とは違い、戦わすものではないが、ここはただ作意で、それらの鳥を戦わしめるようにいっているものの、鸚鵡と尾長鳥とつつき合いの勇を競うものではない。

 旧解に、今日は宮家たちの鶏合せがあるので、こちらもと皇后の宮中に籠の飼い鳥をだし、官女をして闘わせた様子であるといっている。そのような愚にもつかぬことをさせるような皇后があるだろうか、もしあったとしても、すけの局、某の内侍など、それを諫めないことがあろうか、唖然として言うべきことがわからないほどのまずい解釈である。その解が正解であったら、そのような句を斥けなかった芭蕉もまた妄人であり狂客であって、『冬の日』も伴天連高政の輩が、「とゝろやするらん天の逆鉾」などとつくったなんら突出したところのないものと同じようなものだと酷評されても弁護できないだろう。

 みなこの一句の性質を理解せず、古人が詩を作るときには、杜甫はやせ、李賀は苦しみ、賈島は狂気に陥るほどなどを思わないで、おろそかに見過ごしてしまうことによって、下世話な妄想、思いつきに任せてこうしたことを言い出すのである。鳥いくさとあり、鸚鵡の日とあれば、すぐに鳥を闘わせると思うのは、子供がすぐにわかった顔をするようなものであって、俳諧を知らないにもほどがある。一句の風合いを見て取れば、どこに鶏冠を立ててつつきあう戦いの様子があろうか。鳥いくさというのは鳥を闘わせることではなく、花いくさが花を闘わせるものでないのと同じである。闘花、闘草、闘詠など、文字には闘とあるが、それはいずれも勝とうとするあらわれで、花、草、詩で打ち合うわけではない。花を闘わすのは、春の頃様々な花が開くときに、士女が互いに様々な花を持ち寄り、その美しさ、色艶を争い、すぐれたものを勝ちとするもので、開元、天保の頃の書にそのことがあらわされている。我が国でもそれを学んで、花いくさという言葉があって、すでに歳時記のような手近なものにものせられているだろう。

 鳥いくさという言葉はないが、重五がここで新し味を見せて言いだしたもので、語法がまったく花いくさと同じなので間違いというべきではない。鸚鵡も、尾長も美しい鳥で、これらの鳥を東西より持ち寄って、どれが姿がよく色が麗しいかと勝負を挑むのを、ここでは「鸚鵡尾長の鳥軍」と言ったので、美しい色とりどりの花があふれたような宮廷のさまを言い取ったのがこの句である。花という言葉に気をつけてみるがいい。三日はもともと鶏合せの日であるが、毛を飛ばし血を流す有様は女性の喜ぶべきことではなく、ここではただ美しさを較べる鳥いくさがあったという作意で、鶏合せに因むこの日の遊び、花いくさに学ぶ鸚鵡尾長の品定め、春の長閑な日に、宮女は花のごとく、鳥は花のごとく、簾や帳越しに喜ぶ声がさざめき渡る趣がある。だからこそ「三日の花鸚鵡尾長の鳥軍」という句にしたので、よく味わえば温庭筠、李商陰の詩にも較べられるような象眼細工のような細やかな字配り、言葉づくり、重五もまた一作家であることを感じさせるだろう。前句に典侍の局が内侍かとあるのを取って、多くの宮女たちがいる場所に一転した上手い活用、巻末になってもなお力を出し切っている。『冬の日』のとき、みながいかに勤め励んだかを見るべきである。

2014年10月10日金曜日

ブラッドリー『論理学』83

 §59.しかし、この種の問題は推測では解決されない。二方向に働く先入観があると言える。単称判断においては、それが事実であり、その判断は定言的だと言われる。形容される内容に現実の存在を認め、実在に明らかな性質を帰しているがゆえに、それが唯一の真の判断とはいわないまでも、仮言的判断よりは真であるとされる。これが単称判断の主張であり、この主張がある点において非常にしっかりしたものであることは否定できない。つまり、それはその内容の存在を主張し、直接に実在を肯定している。しかし、我々が返さねばならない答えとは、そうした主張や肯定にもかかわらず、一般的な考え方から離れて事物の真理をより近くから見ると、その主張や肯定は間違っており、その発言は誤解に基づいている、ということである。我々は単称判断の主張を試験にかけてみなければならず、思うにそれは致命的なものとなろう。

2014年10月9日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻34

一人は典侍の局か内侍か 杜國

 旧註では、『平家物語』を引いて、建礼門院の小原の寂光院に法皇がお忍びで御行のとき、院の有様をご覧になって、「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」とおつくりになった歌を万里小路が書き留めた、と記している。しかし、万里小路が書き取ったということなど『平家物語』には見えず、註者のつくりごと、偽りであってみだりに信じてはならない。また池水の歌も、『千載集』巻二にでていて、「皇子であったとき、鳥羽殿に移られた頃、池上花という心を読まれた」と前書きが確かにあるので、鳥羽殿で詠まれたのであり、小原でのものではない。これは『平家物語』の作者の誤りまたはこじつけである。

 前句で「硯をひらき山陰に」とあるのをどう解釈するかといえば、『平家物語』および『源平盛衰記』によって、御行のお供にしたがった後徳大寺左大将実定卿が、女院の哀れさに耐えきれずに、御前の席を立っておられたが、「朝に紅顔ありて世辞に誇り、夕べに白骨となりて郊原に朽ちる」という古詩を詠じられて、庵室の柱に、「いにしへは月にたとへし君なれど光うしなふ深山ベの里」と書きつけられたことを引くべきである。平家が亡びてのち、平相国の女である建礼門院は、一度は国母と仰がれていた身を寂光院で過ごされ、法皇が忍んで尋ねられていたことは『平家物語』灌頂の巻に見えて、もっとも人を感動させる部分であるが、文章が非常に長いのでここには引用しない。

 本文によれば、女院に扈従した阿波の内侍の尼がまず法皇に謁し、やがて上の山より濃い墨染めの衣を着た尼二人が、岩の崖道を難儀しながら降りてくるようなのを見て、法皇があれは何ものかと尋ねると、老尼は涙を抑えて、花籠を肘にかけ、岩躑躅を取っているのが女院で、蕨をもっているのが鳥飼の中納言維実が女、五条の大納言国綱の養子、先帝の御乳母、大納言の、すけの局と言い終わるまでもなく泣いてしまった。阿波の内侍の尼は少納言入道信西の女で、当時女院に仕えたもの、典侍の局とただ二人だけで会った。

 これで句のでたところは明らかだが、一人はすけの局か内侍かとつくったのは、本文と異なっていると疑いをもつものもあるかもしれない。だが、詩歌は事実を伝え記すためにつくるものではなく、句が必ずしも本文をそのまま引用することはない。この句は法皇御行の日のことを記そうとしたのではなく、ただ寂光院の面影を用いただけである。女院に仕えるののは典侍の局と阿波の内侍のみだから、女院が仏に供える花を摘みに出かけるときに、いつも典侍の局を召し連れるとも限らず、内侍を連れて行ったこともあっただろう。これはただ女院のある日のことをいっただけで、文治二年卯月二十三日の法皇御幸のその日のことを折り込んだわけではなく、つまりは女院ともう一人はすけの局か阿波の内侍かといっている。

 すべて昔の面影を取ってつくる句は、のちに芭蕉が、「葉分けの風よ矢箆きりに入る」という句について、「あるいは中将などの鷹をすえて小野に入り、浮船を見つけたなどということがあったのだろうが、その故事にしたがったわけではなく、その余情がこもっているところに意味があるといえよう」といったように、故事をいうわけではなくその風情をあらわしている。そのまま故事を述べるのは詩歌の本意ではなく、そうであればその次の句もその周辺の出来事に閉じ込められて、動きがとれなくなる。句作にはこの心得があるべきであり、解釈でもそれを理解しておくべきである。

2014年10月8日水曜日

ブラッドリー『論理学』82

 §58.このことから、我々はある推測を引き出せる。もし単称判断がより事実に近く、それを去ることで、実際に実在から遠ざかっているにしても、少なくとも、科学ではそうしたことは感じられない。我々を力づけてくれるもう一つの推測がある。通常の生活において、ある一つの事例から別の事例に移っても同じような態度で臨む傾向があることは我々の皆が経験することである。我々はあるときと場所において真であるものをどんなときと場所でも常に真であるととる。一つの例から一般化するのである。この傾向を根絶することのできない非哲学的精神の悪徳として遺憾に思うこともできるし、あらゆる経験に不可避の条件であり、あらゆる推論の必要条件(第二巻を見よ)として認めることもできる。しかし、認めるにしろ遺憾に思うにしろ、その過程をより強いものからより弱いものへ、より実在に近いものから遠いものへ向かう試みだとは感じられない。だが、疑いなく、それは個的なものから普遍的、仮言的なものへの移行である。

ブラッドリー『論理学』73

 §48.普遍的判断はすべて仮言的である、という結論は我々を再び以前からの難点に陥らせる(§6)。判断は常に真を意図するもので、真理は事実についての真を意味しなければならなかった。しかし、ここで我々が出会うのは事実に関するものとは思えない判断である。というのも、仮言的判断は仮定を扱わねばならないからである。それは我々の頭のなかにある観念の必然的なつながりを主張するが、頭の外側のことは言わない。しかし、もしそうなら、それは判断ではあり得ないだろう。単に主張はするにしても、それが真や偽ではあり得ない。

 我々はこの結論にとどまることはできないが、前提を取り消すこともできない。そこで、問題により近づき、判断に含まれているものをより限定して調べてみることにしよう。まず第一に、仮定がなんであるかを知るまでは我々は成功を期待できない。

 第一に、仮定が観念であること、多分事実から分岐したものであることは知られていよう。あらゆるものが事実である(第一章参照)精神の低次の段階ではそれは存在できない。というのも、仮定されたものは観念内容として知られねばならず、加えて、判断なしに心に保持されねばならないからである。それは肯定的にであれ否定的にであれ、形容として実在を指し示すものではない。別の言葉で言えば、実在はそれを当てられることによってもそれから排除されることによっても性質づけされない。しかし、判断しないといっても、仮定は(それ自体として)欲望や情動を排除するので、知的なものである。そしてまた、注意によって銘記され同じ内容のまま保持されるべきものなので、単なる想像以上でもある(第三巻第三章§23,24を見よ)。これですべてのようにも思えるが、まだそうではない。というのも、キメラのことを考えるのはキメラを仮定するのとは同じではないからである。

 仮定とはある特別な目的に向かい、特殊な方法で考えることを意味する。それは単にある意味に注意を向けることではないし、その要素を分析することでもない。それは実在の世界を参照し、何が起っているかを見ようという欲望を含んでいる。別の使用法から例を引けるだろう。「議論でのことに限って言えば」、「こう言えばあなたにもわかるだろうが」というのは、「そうであると仮定すると」と同じである。つまり、仮定というのは観念の実験である。それは実在についてある内容を当てはめることだが、それによってその帰結がどうなるかを見、実際の判断を暗黙のうちに保留にしている。仮定というのは、ある仕方で性質づけられたときに実在がどう振る舞うかを見るために、実際それがあるものとして考える。

 判断を控えている間も、思考に存在の観念がつけ加えられていると言われるかもしれない。考えないというだけでは十分ではないのである。使用されているのは単なる存在の観念ではないからである。我々が使っているのは常に我々の心と直接的に接している実在であり、多様な判断において我々が既にある内容で性質づけている。我々はそれに別の観念を継ぎ足し、結果がどうなるか見ているわけである。

2014年10月7日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻33

袂より硯を開き山陰に 芭蕉

 一句も、前句とのかかりも明らかで注を必要としない。連歌師など風雅に心を寄せて修行して歩くものが、よい景色の地に興を感じて、藤の実に伝う雫を硯に受けた。山陰はやまかげであるが、山陰という文字はまた景色のいいところをいうこともある。

2014年10月6日月曜日

ブラッドリー『論理学』81

  第二章(続き)

 §57.我々はどこにたどり着いたのだろうか。我々は判断は、もし真であるなら、実在について真であるに違いない、という仮定から出発した。他方で、あらゆる抽象的普遍的な判断は仮言的でしかないことを見いだした。条件判断がどのように、どのような拡がりにおいて事実を言明しているかを示すことによってこの相反する考え方を調停しようとした。しかし、単称判断は離れたところに立ち、自らを定言的で、事実について真であると主張した。それゆえ、所与を普遍的判断よりも上位に置くことを要求している。我々はこの要求を精査しなければならない。時間における出来事の系列を越えた個的な判断について考慮するのは先延ばしにしなければならない。現象の系列についての判断に限定して、次のように問うてみよう、つまり、それらは定言的なのだろうか。それは、事実、仮言的である普遍的判断よりも高い地位にあり、実在の世界に近いのだろうか。恐らく我々は歓迎されざる結論を迎える準備をしておいたほうがいいだろう。


 単称判断から普遍的判断に移ることで、我々は実在から遠ざかったように思える。現在の知覚とつながった現実の現象の系列の代わりに、我々があえてその存在を主張しかねるような形容物の連接だけを手にすることになる。一方では、堅固な事実と思われるものを手にしている。他方では、潜在的性質以外にはなにもなく、名前だけで我々を居心地の悪い気分にする。実在との関係をまったく失ったわけではないが、遠く離れてしまったように思える。捕らえどころがないほどの糸で、覆いがかかりぼやけた対象とつながっている具合である。

 しかし、我々がたどり着いた辺りを見まわしてみると、我々の考えは違った色合いをとることになろう。最初はいかに奇妙に思われるにしても、影に向かい事実からは遠ざかっていた我々の行程は、最後には科学の世界に行き着くのである。科学の目的は、我々みなが教えられたように、諸法則の発見である。法則とは、仮言的判断以外の何ものでもない。それは形容の総合を主張する命題である。普遍的であり抽象的である。そして、結びつける諸要素の存在を求めることはない。「これ」を含むこともあり得るが(§6)、それは本質的ではない。例えば、数学では、我々の言明の真理は主語や述語の存在とは完全に独立している。物理学や化学では、真理は現在の瞬間における諸要素やその関係の事実上の存在には依存しない。もしそうなら、法則はある一瞬には正しく、次の瞬間には間違いだということになろう。生理学者が、ストリキニーネは神経中枢にある種の影響をもたらすと語るとき、彼は、ストリキニーネが世界のどこかで使われていることが確かめられるまで、その法則の発表を差し控えるわけではない。また、その保証がなくなるやいなや、急いで発言を撤回することもない。この点にとどまってもなんら進展はないだろう。確かな結論として認められるのは、あらゆる普遍的法則は、厳密に表現すると、「もし」で始まり、「そのとき」と続かなければならない、ということである。