袂より硯を開き山陰に 芭蕉
一句も、前句とのかかりも明らかで注を必要としない。連歌師など風雅に心を寄せて修行して歩くものが、よい景色の地に興を感じて、藤の実に伝う雫を硯に受けた。山陰はやまかげであるが、山陰という文字はまた景色のいいところをいうこともある。
2014年10月7日火曜日
2014年10月6日月曜日
ブラッドリー『論理学』81
第二章(続き)
§57.我々はどこにたどり着いたのだろうか。我々は判断は、もし真であるなら、実在について真であるに違いない、という仮定から出発した。他方で、あらゆる抽象的普遍的な判断は仮言的でしかないことを見いだした。条件判断がどのように、どのような拡がりにおいて事実を言明しているかを示すことによってこの相反する考え方を調停しようとした。しかし、単称判断は離れたところに立ち、自らを定言的で、事実について真であると主張した。それゆえ、所与を普遍的判断よりも上位に置くことを要求している。我々はこの要求を精査しなければならない。時間における出来事の系列を越えた個的な判断について考慮するのは先延ばしにしなければならない。現象の系列についての判断に限定して、次のように問うてみよう、つまり、それらは定言的なのだろうか。それは、事実、仮言的である普遍的判断よりも高い地位にあり、実在の世界に近いのだろうか。恐らく我々は歓迎されざる結論を迎える準備をしておいたほうがいいだろう。
単称判断から普遍的判断に移ることで、我々は実在から遠ざかったように思える。現在の知覚とつながった現実の現象の系列の代わりに、我々があえてその存在を主張しかねるような形容物の連接だけを手にすることになる。一方では、堅固な事実と思われるものを手にしている。他方では、潜在的性質以外にはなにもなく、名前だけで我々を居心地の悪い気分にする。実在との関係をまったく失ったわけではないが、遠く離れてしまったように思える。捕らえどころがないほどの糸で、覆いがかかりぼやけた対象とつながっている具合である。
しかし、我々がたどり着いた辺りを見まわしてみると、我々の考えは違った色合いをとることになろう。最初はいかに奇妙に思われるにしても、影に向かい事実からは遠ざかっていた我々の行程は、最後には科学の世界に行き着くのである。科学の目的は、我々みなが教えられたように、諸法則の発見である。法則とは、仮言的判断以外の何ものでもない。それは形容の総合を主張する命題である。普遍的であり抽象的である。そして、結びつける諸要素の存在を求めることはない。「これ」を含むこともあり得るが(§6)、それは本質的ではない。例えば、数学では、我々の言明の真理は主語や述語の存在とは完全に独立している。物理学や化学では、真理は現在の瞬間における諸要素やその関係の事実上の存在には依存しない。もしそうなら、法則はある一瞬には正しく、次の瞬間には間違いだということになろう。生理学者が、ストリキニーネは神経中枢にある種の影響をもたらすと語るとき、彼は、ストリキニーネが世界のどこかで使われていることが確かめられるまで、その法則の発表を差し控えるわけではない。また、その保証がなくなるやいなや、急いで発言を撤回することもない。この点にとどまってもなんら進展はないだろう。確かな結論として認められるのは、あらゆる普遍的法則は、厳密に表現すると、「もし」で始まり、「そのとき」と続かなければならない、ということである。
§57.我々はどこにたどり着いたのだろうか。我々は判断は、もし真であるなら、実在について真であるに違いない、という仮定から出発した。他方で、あらゆる抽象的普遍的な判断は仮言的でしかないことを見いだした。条件判断がどのように、どのような拡がりにおいて事実を言明しているかを示すことによってこの相反する考え方を調停しようとした。しかし、単称判断は離れたところに立ち、自らを定言的で、事実について真であると主張した。それゆえ、所与を普遍的判断よりも上位に置くことを要求している。我々はこの要求を精査しなければならない。時間における出来事の系列を越えた個的な判断について考慮するのは先延ばしにしなければならない。現象の系列についての判断に限定して、次のように問うてみよう、つまり、それらは定言的なのだろうか。それは、事実、仮言的である普遍的判断よりも高い地位にあり、実在の世界に近いのだろうか。恐らく我々は歓迎されざる結論を迎える準備をしておいたほうがいいだろう。
単称判断から普遍的判断に移ることで、我々は実在から遠ざかったように思える。現在の知覚とつながった現実の現象の系列の代わりに、我々があえてその存在を主張しかねるような形容物の連接だけを手にすることになる。一方では、堅固な事実と思われるものを手にしている。他方では、潜在的性質以外にはなにもなく、名前だけで我々を居心地の悪い気分にする。実在との関係をまったく失ったわけではないが、遠く離れてしまったように思える。捕らえどころがないほどの糸で、覆いがかかりぼやけた対象とつながっている具合である。
しかし、我々がたどり着いた辺りを見まわしてみると、我々の考えは違った色合いをとることになろう。最初はいかに奇妙に思われるにしても、影に向かい事実からは遠ざかっていた我々の行程は、最後には科学の世界に行き着くのである。科学の目的は、我々みなが教えられたように、諸法則の発見である。法則とは、仮言的判断以外の何ものでもない。それは形容の総合を主張する命題である。普遍的であり抽象的である。そして、結びつける諸要素の存在を求めることはない。「これ」を含むこともあり得るが(§6)、それは本質的ではない。例えば、数学では、我々の言明の真理は主語や述語の存在とは完全に独立している。物理学や化学では、真理は現在の瞬間における諸要素やその関係の事実上の存在には依存しない。もしそうなら、法則はある一瞬には正しく、次の瞬間には間違いだということになろう。生理学者が、ストリキニーネは神経中枢にある種の影響をもたらすと語るとき、彼は、ストリキニーネが世界のどこかで使われていることが確かめられるまで、その法則の発表を差し控えるわけではない。また、その保証がなくなるやいなや、急いで発言を撤回することもない。この点にとどまってもなんら進展はないだろう。確かな結論として認められるのは、あらゆる普遍的法則は、厳密に表現すると、「もし」で始まり、「そのとき」と続かなければならない、ということである。
2014年10月5日日曜日
幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻32
藤の実つたふ雫ほつちり 重五
前句を、初嵐の声が、蝉の鳴くような声がすると見立てて付けたと解するのは間違っている。初嵐の声がどうして蝉の鳴くようなものであろうか。前句はもともと理屈のない句であり、分別智の及ぶところではない句なので、付けるべき景も情もなく、どんな句を付けようとも、ここは必ず臨済に戻って「扉」となるべきである。
ただ前句を理があるかのように扱い、分別智のなかにたぐり込めば、そこには付けるべき景も情もあり、自分の句の位置も定まって、しかも禅臭を脱し、扉付けという難題を逃れることもできる。俳諧は本来そうした扱いを得意としたものである。たとえば、「阿弥陀は水の下にこそあれ」という前句はなんのことをいっているのかもわからないが、これに「南無といふ声のうちより身を投げて」と付ければ、前句に理を与え、情の問題に取り込んでおり、それは俳諧の扱いである。「あまり烟の立つぞ悲しき」という混沌とした前句に、「高き屋にあがりて見れば焼けにけり」と付け、「あの宮で堂この宮で堂」という無理な句に「乗りつけぬ馬に神主のけそりて」と付け、「地をくゞりても天へ登れる」に「鼴鼠[えんそ、モグラのこと]黒焼になる夕けぶり」と付け、「余り寒さに風を入れけり」に「賤の女があたりの籬を折焼きて」と付けたのなどは、みな山崎宗鑑『犬筑波集』の句で、俳諧の濫觴にはこうしたものがあった。
荒木田守武に至っても、『飛梅千句』をみると、「唐の帝や水鶏なるらん」という前句に「楊貴妃の頬ほと/\と打ちたゝき」と付け、「石榴なりけり命なりけり」というのに「鏡研小夜の中山今日越えて」と付けたたぐいがある。貞徳が出現して俳諧は進んだが、それでもこうした趣のものが少なくなかった。『冬の日』のときはすでに貞門の陳腐さはすたって、談林のでたらめさも飽きられようとしていた。しかし、「蝉の殻に声きく」などという前句に対しては、これに理を与え、情で理解できるようにしなければ次の句をだしようがなく、もしそうしないならば「障子の引手峰の松」といったとりとめのないところに形となろう。
ただ、この頃の俳諧はすでに向上していて、宗鑑守武の謎を解くような作り方をするはずもなく、理をもたせて前句を捌こうとするにしろ、ただ言葉の縁を取り綾を飾って付け流すほど幼稚ではなく、重五はここで「藤の実つたふ雫ほつちり」と付けた。一句は一句として十分に詩趣があり、物静かな情がくみ取られ、しかも前句の蝉の殻には声があり、ひからびた殻が薄紙のように松の枝について人の目を引くこともないのが、ほっちりとしたかすかな音に、その存在を知られる、静寂の境地が自ずから眼に浮かぶ。
宗鑑守武の頃の扱いに比べてどれくらい進んだか思ってみるがいい。それなのに、前句をよく見ることもなく、初嵐に蝉の声が吹きやられる体と見立てるなどというのは、病気の眼で花を見、病気の耳で泉を聞くたぐいのことである。ことに、静かさとあるのに、どこに嵐の響きがあるだろうか。また「藤の実つたふ雫ほつちり」の十四字に、風の景色があるだろうか、無風の景色が見られるだけだろう、よく味わってみるべきである。雫ははらはらと落ちるのではなくほっちりと一滴落ちる。荒々しくおおざっぱなものは詩を語るべきではない、細やかに文を論じること、とは詩聖もいっていることである。
前句を、初嵐の声が、蝉の鳴くような声がすると見立てて付けたと解するのは間違っている。初嵐の声がどうして蝉の鳴くようなものであろうか。前句はもともと理屈のない句であり、分別智の及ぶところではない句なので、付けるべき景も情もなく、どんな句を付けようとも、ここは必ず臨済に戻って「扉」となるべきである。
ただ前句を理があるかのように扱い、分別智のなかにたぐり込めば、そこには付けるべき景も情もあり、自分の句の位置も定まって、しかも禅臭を脱し、扉付けという難題を逃れることもできる。俳諧は本来そうした扱いを得意としたものである。たとえば、「阿弥陀は水の下にこそあれ」という前句はなんのことをいっているのかもわからないが、これに「南無といふ声のうちより身を投げて」と付ければ、前句に理を与え、情の問題に取り込んでおり、それは俳諧の扱いである。「あまり烟の立つぞ悲しき」という混沌とした前句に、「高き屋にあがりて見れば焼けにけり」と付け、「あの宮で堂この宮で堂」という無理な句に「乗りつけぬ馬に神主のけそりて」と付け、「地をくゞりても天へ登れる」に「鼴鼠[えんそ、モグラのこと]黒焼になる夕けぶり」と付け、「余り寒さに風を入れけり」に「賤の女があたりの籬を折焼きて」と付けたのなどは、みな山崎宗鑑『犬筑波集』の句で、俳諧の濫觴にはこうしたものがあった。
荒木田守武に至っても、『飛梅千句』をみると、「唐の帝や水鶏なるらん」という前句に「楊貴妃の頬ほと/\と打ちたゝき」と付け、「石榴なりけり命なりけり」というのに「鏡研小夜の中山今日越えて」と付けたたぐいがある。貞徳が出現して俳諧は進んだが、それでもこうした趣のものが少なくなかった。『冬の日』のときはすでに貞門の陳腐さはすたって、談林のでたらめさも飽きられようとしていた。しかし、「蝉の殻に声きく」などという前句に対しては、これに理を与え、情で理解できるようにしなければ次の句をだしようがなく、もしそうしないならば「障子の引手峰の松」といったとりとめのないところに形となろう。
ただ、この頃の俳諧はすでに向上していて、宗鑑守武の謎を解くような作り方をするはずもなく、理をもたせて前句を捌こうとするにしろ、ただ言葉の縁を取り綾を飾って付け流すほど幼稚ではなく、重五はここで「藤の実つたふ雫ほつちり」と付けた。一句は一句として十分に詩趣があり、物静かな情がくみ取られ、しかも前句の蝉の殻には声があり、ひからびた殻が薄紙のように松の枝について人の目を引くこともないのが、ほっちりとしたかすかな音に、その存在を知られる、静寂の境地が自ずから眼に浮かぶ。
宗鑑守武の頃の扱いに比べてどれくらい進んだか思ってみるがいい。それなのに、前句をよく見ることもなく、初嵐に蝉の声が吹きやられる体と見立てるなどというのは、病気の眼で花を見、病気の耳で泉を聞くたぐいのことである。ことに、静かさとあるのに、どこに嵐の響きがあるだろうか。また「藤の実つたふ雫ほつちり」の十四字に、風の景色があるだろうか、無風の景色が見られるだけだろう、よく味わってみるべきである。雫ははらはらと落ちるのではなくほっちりと一滴落ちる。荒々しくおおざっぱなものは詩を語るべきではない、細やかに文を論じること、とは詩聖もいっていることである。
2014年10月4日土曜日
ブラッドリー『論理学』80
§56.かくして、抽象的判断はすべて仮言的であることがわかったが、それとの関連において、仮定とはなにかを示し、あらゆる仮言的判断にある実在についての隠された主張をあらわなものとするよう努めてみよう。既に議論した単称判断は、分析的なものだろうと総合的なものだろうと、一見したところ定言的に思われることはわかった。それらは単に実在に隠された性質を当て、それが非実在的な関係においてあらわになる、というのではなく、判断にあらわれる実際の内容によって実在を性質づけるのである。それは単なるつながりではなく、存在すると宣言されている要素そのものである。
我々にはまだ、もう一つの種類の判断が残っているが(§7)、先へ進む前に、我々が得た結論について考えておいたほうがいいだろう。恐らくその結論は修正が必要だろうし、単称判断をカテゴリーに関するものとして位置づけることは維持され得ないだろう。
我々にはまだ、もう一つの種類の判断が残っているが(§7)、先へ進む前に、我々が得た結論について考えておいたほうがいいだろう。恐らくその結論は修正が必要だろうし、単称判断をカテゴリーに関するものとして位置づけることは維持され得ないだろう。
2014年10月3日金曜日
幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻31
秋蝉の虚に声きく静かさは 野水
秋蝉は秋の夕陽に鳴く赤褐色の羽をした蝉で、俗に油蝉というものである。その殻に声を聞くとは、「闇の世に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの母ぞ恋しき」という禅歌のように、また「片手の音を聞いて見よ」という公案のように、ただ禅の問答のおもむきを秋の季をもたせてつくったものである。前句とのかかりも自然に理解される。この句の意味がわかりにくいなどといえば、まったく野水に翻弄されてしまっている。
秋蝉は秋の夕陽に鳴く赤褐色の羽をした蝉で、俗に油蝉というものである。その殻に声を聞くとは、「闇の世に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの母ぞ恋しき」という禅歌のように、また「片手の音を聞いて見よ」という公案のように、ただ禅の問答のおもむきを秋の季をもたせてつくったものである。前句とのかかりも自然に理解される。この句の意味がわかりにくいなどといえば、まったく野水に翻弄されてしまっている。
2014年10月2日木曜日
ブラッドリー『論理学』79
§55.それゆえ、形容する内容が明らかになっていないので、我々にあるのはこのあるいはあの事例についてのはっきりしない指示だけなので、我々が扱うべきなのは個物なのだと考える誤りに落ちこんでしまう。しかし、分析してみると、我々の真の主張は決して「あれ」、「いま」、「これ」に限られるものではない。それは常に我々が主張する内容ではある。しかし、我々にはその内容がなんであるか明確ではないために、それが仮定された個的なもののなかに見いだされることを知っているために、いわば一発の弾丸の代わりに弾倉を使い、個的なものを我々の仮定が限定される実在の地点だとみなしているのである。このようにして、実在そのものが仮定的だという誤った観念を生じさせることになる。既に見たように、事実とは、ある内容が、我々が主張する形容的な条件であるか、あるいはその部分をなすことにある。しかし、その内容は分析されていないので、それを固まりで得ることのできる個的なものに赴くことになる。真の判断は個的なものの性質にしか関わらず、形容のつながり以上のことを主張しない。あらゆる場合において、それは厳密に言うと、仮言的であると同時に普遍的なのである。
2014年10月1日水曜日
幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻30
恋せぬ砧臨済をまつ 芭蕉
旧註は、漆桶もないような水漏れしたものが多い。黄蘖希運禅師が閩の国にいたり、老婆に足を洗わせた面影というものがある。そうであれば、なんで「恋せぬ砧黄蘖を待つ」とつくらなかったのか。老婆の公案をひねりだしたものもある。それではなぜこの句を「皺手の砧禅僧を打つ」などとつくらなかったのか。臨済義玄禅師からの音信がないのに、刑氏の母親が深く嘆いて砧打ちつつ待っているとするものもある。義玄禅師が刑氏のでであっても母親が必ず刑氏にいるとは限らないし、また、禅師の母が待ち焦がれたという事実はない。
臨済義玄禅師の伝は『景徳伝燈録』巻十二にでているが、砧を打って待っている女のことなどはでていない。かつ、臨済禅師というのも、臨済禅苑に趙人に請われていってからの称号で、臨済禅苑に住んでいたときにはつまり故郷に帰っていたのであるから、なんで母親が待っているということがあろうか。事実を見て、情を察することがいずれもはなはだ雑だといえる。
こうした作りごとの解を下すくらいなら、臨済を悟らせたのが高安大愚で、大愚の参徒に筠洲末山の尼に了然があったことを思いだし、了然のまだ得度していないとき、大きな疑いが胸中を往来して安らかではなく、臨済がきたら一つ問答をしようと、月下に砧を打ちつつ機鋒鋭く待ち受けている面影だと解した方が遙かに勝るだろう。
しかし、この句は臨済とはあるが義玄禅師でもなく、前句の唐輪赤枯れた老女がまだ俗を捨てなかったときのことにたとえたものではない。すべて詩歌は訴訟や雄弁のように、的確で確実な言葉を必要とはせず、名を借りて質をあらわし、虚を用いて実を示すことは常に許容されることである。西施といって美人のこととするのは名を借りて質をあらわしている。弁者といって蘇秦のこととするのは、虚を用いて実を示している。「襟に高尾が片袖を解く」とあったとしても、高尾にそうしたことがあったのではなく、高尾は名声があって位の高い美技であることをあらわしているだけである。
たとえば、「砕き砕く氷に寒き灯の光」という前句があったとすると、これを看病の夜半の光景として、「恋せぬ涙扁鵲を待つ」という句が付いたとすれば、孝行心の深い年頃の娘が、名医の早く来てくれることをそぞろに待ち焦がれているさまだと誰でも容易に解釈できるだろう。扁鵲は名を借りて質をあらわすだけのことである。
「桃花を手折る貞徳の富」という句も、真の松永貞徳と解しては、前句の鞨鼓を鳴らすことなど貞徳にはなんの関わりもなく、ただみなに宗匠と仰がれている歌俳の宗匠だというだけの仮のものである。次の「雨こゆる浅香の田螺ほりうゑて」という句も、貞徳が田螺を取り寄せたことなど実際にはないことなので、どうして通じることになろう。この句も、臨済とあったからといってすぐに義玄禅師のこととするのは、詩歌というものを理解しない分からず屋であり、ここでは単に臨済のような師家ということで、「瞋拳毒喝、大機大用」のよい禅師ということである。前句の「月に立てる」というところをよく味わって、その風情を味わうべきである。
唐輪の髪の赤枯れた老女の態度は、商売の得を考えているのでもなく、また、子供のこと、夫のことを思っているようでもなく、昂然と風に向かって立っている。そのように月に立っているところを、鄙俗でない女性と見て、生死の一大事を心にかけ、しかも念仏唱題の手軽さに甘んじず、禅に入門して道を得ようとする老女と見て、つまり、恋せぬ砧をいまは打ちやめて、臨済老漢のような禅師がくるはずだと夕べの月に立っているところを付けたものである。
砧を打つのは布を布施しようとする老女の志であるが、自分の夫に衣をつくろうと砧を打つ女性のように、恋するようなところも連想され、それゆえに、「恋せぬ砧」と面白く親切に句づくりした芭蕉の詩心と技術とが効いている。子を待つ砧なので恋せぬとつくったなどというのは、黒砂糖の他は甘いものがあることを知らぬ男が、堅田の祐庵が心を込めた料理を鵜呑みにしたようなものである。語るに足りない僭越な見当外れである。
旧註は、漆桶もないような水漏れしたものが多い。黄蘖希運禅師が閩の国にいたり、老婆に足を洗わせた面影というものがある。そうであれば、なんで「恋せぬ砧黄蘖を待つ」とつくらなかったのか。老婆の公案をひねりだしたものもある。それではなぜこの句を「皺手の砧禅僧を打つ」などとつくらなかったのか。臨済義玄禅師からの音信がないのに、刑氏の母親が深く嘆いて砧打ちつつ待っているとするものもある。義玄禅師が刑氏のでであっても母親が必ず刑氏にいるとは限らないし、また、禅師の母が待ち焦がれたという事実はない。
臨済義玄禅師の伝は『景徳伝燈録』巻十二にでているが、砧を打って待っている女のことなどはでていない。かつ、臨済禅師というのも、臨済禅苑に趙人に請われていってからの称号で、臨済禅苑に住んでいたときにはつまり故郷に帰っていたのであるから、なんで母親が待っているということがあろうか。事実を見て、情を察することがいずれもはなはだ雑だといえる。
こうした作りごとの解を下すくらいなら、臨済を悟らせたのが高安大愚で、大愚の参徒に筠洲末山の尼に了然があったことを思いだし、了然のまだ得度していないとき、大きな疑いが胸中を往来して安らかではなく、臨済がきたら一つ問答をしようと、月下に砧を打ちつつ機鋒鋭く待ち受けている面影だと解した方が遙かに勝るだろう。
しかし、この句は臨済とはあるが義玄禅師でもなく、前句の唐輪赤枯れた老女がまだ俗を捨てなかったときのことにたとえたものではない。すべて詩歌は訴訟や雄弁のように、的確で確実な言葉を必要とはせず、名を借りて質をあらわし、虚を用いて実を示すことは常に許容されることである。西施といって美人のこととするのは名を借りて質をあらわしている。弁者といって蘇秦のこととするのは、虚を用いて実を示している。「襟に高尾が片袖を解く」とあったとしても、高尾にそうしたことがあったのではなく、高尾は名声があって位の高い美技であることをあらわしているだけである。
たとえば、「砕き砕く氷に寒き灯の光」という前句があったとすると、これを看病の夜半の光景として、「恋せぬ涙扁鵲を待つ」という句が付いたとすれば、孝行心の深い年頃の娘が、名医の早く来てくれることをそぞろに待ち焦がれているさまだと誰でも容易に解釈できるだろう。扁鵲は名を借りて質をあらわすだけのことである。
「桃花を手折る貞徳の富」という句も、真の松永貞徳と解しては、前句の鞨鼓を鳴らすことなど貞徳にはなんの関わりもなく、ただみなに宗匠と仰がれている歌俳の宗匠だというだけの仮のものである。次の「雨こゆる浅香の田螺ほりうゑて」という句も、貞徳が田螺を取り寄せたことなど実際にはないことなので、どうして通じることになろう。この句も、臨済とあったからといってすぐに義玄禅師のこととするのは、詩歌というものを理解しない分からず屋であり、ここでは単に臨済のような師家ということで、「瞋拳毒喝、大機大用」のよい禅師ということである。前句の「月に立てる」というところをよく味わって、その風情を味わうべきである。
唐輪の髪の赤枯れた老女の態度は、商売の得を考えているのでもなく、また、子供のこと、夫のことを思っているようでもなく、昂然と風に向かって立っている。そのように月に立っているところを、鄙俗でない女性と見て、生死の一大事を心にかけ、しかも念仏唱題の手軽さに甘んじず、禅に入門して道を得ようとする老女と見て、つまり、恋せぬ砧をいまは打ちやめて、臨済老漢のような禅師がくるはずだと夕べの月に立っているところを付けたものである。
砧を打つのは布を布施しようとする老女の志であるが、自分の夫に衣をつくろうと砧を打つ女性のように、恋するようなところも連想され、それゆえに、「恋せぬ砧」と面白く親切に句づくりした芭蕉の詩心と技術とが効いている。子を待つ砧なので恋せぬとつくったなどというのは、黒砂糖の他は甘いものがあることを知らぬ男が、堅田の祐庵が心を込めた料理を鵜呑みにしたようなものである。語るに足りない僭越な見当外れである。
登録:
投稿 (Atom)