大正12年1月に「金星堂」で刊行された。およそ70篇の短篇どころか掌編ともいえない詩に近いものが集められている。長くとも2ページ、短いものは2行で終わり、句読点もないので、形式的には詩といっても通じるが、文章の骨格自体は完全に散文である。足穂は1900年の生まれであるから、23歳ですでに知遇を得ていた佐藤春夫の後押しもあったのか、現にある分野の創作ではなく、こうしたそれまでの日本文学になかったような作品を発表したのだから、恐ろしく早熟である。どこかに天才少年がいて、それが少年のまま次々と作品を発表していると思いたい、といった意味のことを足穂について三島由紀夫は言っていたが、私はどちらかというと晩年の怪異な容貌の足穂の姿しか浮かばないので、あの怪僧のような姿がこうした作品を書いたほうに驚きを感じてしまう。
稲垣足穂は未来派ということをよく言う。事実、関西学院で、10歳代で、木村荘八が袖珍叢書のひとつとして出した『未来派解説』を見つけ、早速その11か条の宣言書を抜き書きしたことが『未来派へのアプローチ』には書いてある。しかし、現実のイタリアの未来派が、機械と運動、その大規模な実践である戦争を賛美することによってファシズムへの接近していくことには関心を持たなかった。足穂は最初から換骨奪胎の名手であり、自分が必要とするものだけ取り入れ、変形してしまっている。
--六月の夕方、新宿へ出て作家誌を買いました。新築の天井の高い喫茶店の二階の隅で〝わたしの耽美主義“を読み始めました。「一瞬間の夢心地」でフンフンと共鳴の声を洩らし、日が暮れ、箒星やお月様のお化けが出没する三分間劇場を想像して楽しみ、チックタック氏公開状に声を出して笑ってしまった。窓外はもうネオンの街になっていました。得がたき六月の夜のひと時!(『未来派へのアプローチ』)
こうした生活の一景も「未来派的一刻」であり、その他、「遠い街角を焔のように輝いて曲って行くボギー電車」(ボギー電車とは、固定した車輪ではなく、車体とは独立に動く車輪をもつもの)、「緑色の火花のしずく」、「夜ぞらに狂う真鍮の砲弾」、「星への挑戦」も未来派的であり、さらには萩原朔太郎の『青猫』は大都市の夜の電車のスパークであり、「電車のポールの先から緑色の火花が頻りに零れ落ちる真暗な晩」と足穂的未来派流に咀嚼される。
『一千一秒物語』は、足穂流に咀嚼された未来派も入っているが、ぜんたいとしてはむしろ、アーバックル、キートン、チャップリン、ロイドなどが縦横に活躍したサイレントのコメディに似ている。石をぶつけるとお月様が追いかけてきたり、流星と格闘したり、カフェーで短刀を抜いたお月様と椅子を振り上げて喧嘩した話など、とにかく何かにぶつかったり、格闘したり、ピストルで撃ったりするサイレント・コメディー的展開が多く、どこか時間を超越していながら、ノスタルジックであることもサイレントのコメディに似ている。
私が好きなのは、「ポケットの中の月」や「自分を落としてしまった話」のように、自分がいながらいなくなってしまう話で、落語の『粗忽長屋』とも一味違うエレガンスがある。
最終盤になって連続して出てくる、お月様が三角形というテーマは、「走っている馬は二十本の脚を持ち,その脚の運動は三角形である。」という『未来派画家宣言』から来たものに違いないが、興味深い。「友達がお月様に変った話」では、「三角がたいへん速く廻っていたから、円く見えたまでの話である」と未来派的に説明されているが、「お月様が三角になった話」では、似たような説明がされた後に、「スレート屋根の上に三角形のお月様が照っていたというからよけいにこの話は不思議になる」と不思議になり、「どうして彼は喫煙家になったか?」では、煙草の煙の輪を通してみると、お月様は三角なのだと主張する青年があらわれ、事実、煙の輪から見るとお月様は三角形に見えるようだったが、実際はそう見えるかどうかなど問題ではなく、「青年のロジックによると 月が三角に見えても見えなくても そんなことにかかわりなく 電燈を消した部屋で青い月光に向って煙の輪を吹きつけるというのは 月が三角であるのと全く同じことだったのである」とまったく未来派のロジックを離れ、足穂流の存在論を示しているようでもある。
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