2018年4月26日木曜日

4.汎アジア的な水路――押井守『GOAST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)




 原作・史郎正宗、脚本・伊藤和典、音楽・川井憲次、声優・田中敦子、大塚明夫、山寺宏一など。

 ちなみに、私はテレビ・シリーズのアニメーションや映画はすべて見ているが、原作はまったく読んでいない。

 世界観を説明するのは容易ではないが、誰もがスマートフォンを持ち歩くいまになると、よりリアリティを実感できるだろう。脳以外の身体のパーツすべてが代替可能になっており、登場人物のひとりであり、公安9課の実働面でのリーダーである草薙少佐などは、脳以外のすべての部分をサイボーグ化している。作品中ではそれは義体化と呼ばれる。警視庁から公安に引き抜かれたトグサのように、ほとんど義体化されていない者もいるが、最低限、スマートフォンを身体に組み込んだくらいの電脳化(ネットに接続された脳はこう呼ばれる)はされており、つまり何かを検索したり、個人や組織へアクセスすることは自由にできる。

 しかし、脳以外のすべてがサイボーグ化できるとすると、自己同一性があやふやになる。記憶や思考や夢も結局のところネットに横行している情報と何ら変わりはないからである。情報化しえない個々人の魂のことがゴーストと呼ばれる。こうした命名は多分、アーサー・ケストラーの『機械のなかの幽霊』から来ていて、聖書から現代思想までの膨大な引用を含むのもこのシリーズの特徴である。

 他人の電脳を乗っ取り、記憶を改ざんできる「人形使い」と呼ばている国際手配を受けた凄腕のハッカーがあらわれる。捜査を進めてもなかなかその実体はつかめない。そんな時、政府御用達の義体メーカーの製造ラインが勝手に動き、逃げ出して事故にあった義体が9課に運び込まれる。調べてみるとどうやらその義体にはないはずのゴーストが宿り、そのゴーストこそが「人形使い」であることがわかる。彼の背後には外務省と公安6課の秘密裏の作戦があるらしい。「人形使い」の破壊をもくろむ6課と、その秘密を暴き出そうとする9課の鍔迫り合いが始まる。

 草薙が草薙としては一度も姿をあらわさない『イノセンス』は別にして、草薙の顔がテレビ・シリーズとまったく違っていると思えるのは、アニメの作画のことについてはよくわからないので、おいておき、情報の海のなかで、記憶や数値化された感覚などが外在化されるのだとすると、自己同一性や、夢や幻想も情報の海のなかに飲み込まれることになり、自己とは情報の結節点に過ぎない、というのはテレビ、映画を含めたシリーズの共通の主題だといえる。

 『イノセンス』とこの第一作で注目されるのは、ありうべき汎アジア連合的な都市のあり方である。どちらの作品にも川、あるいは運河が出てくるが、それは西欧的ではなくアジア的な雰囲気に浸されており、もちろん、入り組んだ小道の商店街の並びは全シリーズに欠かせないものであり、特に映画の二作品では西欧的要素がほとんど厳格に排除されているといってもいい。もちろん、未来世界のイメージをアジア的に描き出すことは、リドリー・スコットの『ブレードランナー』やウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』によって定着したものとなったが、街並みとしてはともかく生活空間としてまで実感させるものではなかった。現実の東京は、アメリカ的な都市を目指しているなかで、世界に売り出すべき「クール・ジャパン」の代表であるらしいアニメで、押井守が汎アジア的ヴィジョンを先鋭化させているのは小気味がいい。

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