『南部文芸通信』の1835年3月号に発表されたが、1840年1月14日付の『ブロードウェイ・ジャーナル』に転載されたときに、多くの削除訂正があった(訳者の大岡昇平の注による)。エブン・ザイアトの「友人は言った。恋人の墓を訪れれば、少し憂いが晴れやしなかいかね」というラテン語のエピグラフが挙げられている。これもまた、大岡昇平の注によると、エブン・ザイアトはアラブの大臣であったが、奴隷と恋に落ち、その死を深く嘆いているときに友人にこう言われ、「彼女の墓はわが心の他にいずくにかあらん」と答えたという。
代々続く旧家の末である主人公の「私」は、図書室で生まれ、育ったような人物で、病気がちで陰鬱だったが、一方、同じ屋敷で育った従兄妹のベレニスは対照的に、元気で活気にあふれ外で遊ぶことが多かった。しかし、数々の病気がすべてを変えてしまった。なかでも悲惨なのは、癲癇の一種で、その唐突な発作は死を思わせた。病気がベレニスを変えると「私」の思索癖は強くなり、ひとつの考えに何日も費やすようになった。
この思索は、誰でもがもつ想像力とは異なり、一般的な夢想であれば、対象は平凡ではない、現実的ではない方向へ向かい、そうした夢想を持続することによって、その種となった現実は見失われることが多い。ところが、「私」の思索というのは、対象が必ず平凡であり、その対象が見失われることもなく、結果、夢想の全能感、快適さは一切ないのだという。
ベレニスの病気は、もちろん、「私」を悲しませたが、同時に、病気によって引き起こされたベレニスの変化が「私」の思索の対象となってしまい、「私」をしてベレニスを愛させることになった。結婚が申し込まれ、式があげられた。そしてやせ衰えたベレニスの顔のなかに真っ白い歯を見たとき、それが偏執的な対象へとぴたりと収まり、その一本一本こそが思索を満足させる観念だという思いに完全にとらわれてしまう。ところが式の二日後にベレニスは死んでしまう。
悪夢からさめたような「私」が図書室に座っている。なにかを自分がしたらしいことだけはわかってくる。テーブルには医者がもつような黒い箱が置いてあるが、なぜそこにあるのだろう。やがて召使があらわれ、恐ろしい叫び声が聞こえてきたことを話した。一緒に行くとベレニスの墓が掘り返されており、しかも彼女は生きている。震える召使の指は「私」の上衣を指しており、泥まみれで血がついている。震える手でテーブルの黒い箱を開けようとするがどうしても開かず、滑って砕けた箱からは、「三十二の小さな、白い、象牙のようなものが、床のあちこちにちらばった。」
ポオの短篇は二種類の読み方ができる。もちろん、物語として面白く読むこともできるが、ロラン・バルトが『物語の構造分析』で行ったように、一文一文を切り離して、いわば物語を断ち切って、空間的配置として読んでも面白い。エピグラフの皮肉さはちょっと類例がないほどであるし、ベレニスの病気が死とよく似た発作を引き起こすこと、「私」の思索癖が、非現実的な方向へ飛翔することなく、強迫的に現実に固執することなど、何一つ余りを出さずに配置されている。
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