原作・ハーマン・ミラー、脚本・ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン、撮影・バッド・サッカリー、音楽・ラロ・シフリン。
原題はCoogan's Bluffで、クーガンは主人公であるイーストウッドの役名であり、ブラフはポーカーで自分は大した役はついていないのにはったりをかけてだますことと、不愛想なという二つの意味があり、どちらにもかけているのだろう。
ドン・シーゲルと最初に組んだ作品で、1971年の『ダーティハリー』へと通じる刑事ものである。寡黙で、しなければならないことだけきっちりとやり遂げるというその後の刑事もので定着した形はほぼ完成しているものの、やや流動的なのは、この映画ほどイーストウッドがキスする映画を見たことがないことがあって、三人の女性とかかわることになるがそのすべてに手を出しているのである。それにカンザスの副保安官が囚人の護送のためにニューヨークに行くという話なのだが、テンガロンハットにボウタイをしめ、ロングブーツをはいており、出会う人ごとにテキサスから来たカーボーイかと間違われる、ほとんど『クロコダイル・ダンディー』の原型のような映画なのだ。都会風に洗練されておらずぶっきらぼうだが、出会う女性をみな篭絡して情報を引き出す小狡さももっている。
60年代のアメリカでアリゾナとニューヨークの文化的相違がどれほどのものか実感としてはよくわからないが、なにしろニューヨークでは、ほとんどの人間が大麻を吸うか、LSDでラリっており、クラブはサイケデリック、女の部屋に行けばシタールのレコードがかけられて、風俗映画としても楽しめる。
とにかく約90分のエンタテイメントの手本のような映画で、アリゾナの荒野のなかで逃げ出し、高台のなかに隠れた犯人が追ってくるクーガンを待ち伏せしている場面から始まるのだが、広い荒野のなかで地平性の近くから車が近づいてくるところでタイトルが出る瞬間が絶妙で、久しぶりに見たのでしびれてしまった。それに呼応するように、最後も丘の上からくだりおりるバイクによるチェイスで、現在されているような派手な演出やCGがなくともいくらでも適切な演出でアクションは面白くなることがわかる。そしてクーガンがヘリコプターに乗り込み、ニューヨークの空撮で終わっているのだから、見事に首尾一貫している。
イーストウッドによれば、ドン・シーゲルは、なにをするべきかがはっきりとわかっている監督で、役者の提案も積極的に聞いて、それがするべきことにあっているなら、どんどん取り入れるそうで、そのあたりはイーストウッドと共通していて、ただドン・シーゲルが監督をし始めた時期は、超大作をとることが名監督で、各会社もそこにばかり力を入れるようになっていたために、すべきことだけをする簡潔で引き締まった演出が求められなくて、もっと早く、あるいは自分と同じくらい遅く生まれていれば、仕事がしやすかっただろうといったような意味のことをインタビューで言っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿