1915年に発表された。
フロイトは、第一次大戦の一年前、寡黙な友人と、若くしてすでに名を成していた詩人とともに、花の咲きそろう夏の風景のなか散歩をしたという。しかし、その豊饒な夏の風景に対する詩人の対応はフロイトとは違っていた。
詩人は、自然の美も、また人間がつくりだした芸術美のようなものも、いずれは消滅するものであり、すべてが滅びさるものである限り、無価値だと考え、厭世的な気分のために、美しい自然も楽しんでいないようだった。
すべてがはかなく滅び去ってしまうことに対しては二つの対応の仕方がある。ひとつは、詩人のように厭世的な気分に浸ってしまうことであり、もうひとつはその事実に反抗し、美しいものというのは、物理的な力の及ばないところにあり、永遠に何らかの形で存在していくだろうと考える。プラトンのイデアなどを考えればいいだろう。
フロイトはそのどちらにも反対する。永遠などは人間の願望から生じたものであることは一目瞭然であり、現実的価値などないし、かといって厭世的意見に与しえないのは、美しいものが滅び去るからこそ、時間的制約があるからこそ、希少価値が与えられ、それを享受する経験が貴重なものとなるからである。
さらに踏み込んで、フロイトは我々が現在美しいとされるような作品がもはや理解されないような世代があらわれるかもしれないし、この地上から生物が絶滅するような地質学的時代がやってくるかもしれないのだから、「一切の美しいもの、完全なるものの価値は、単にわれわれの感覚生活に対するそれらの意味によってのみ決定される」ので、美はわれわれの感覚生活より永続することが必要でもないし、そもそも永遠性などとは無関係なものだと、ごく凡庸な詩人の厭世観などより、見方によってはよりペシミスティックで、より根源的な考察を加えている。
こうした考えを同行の二人に伝えたらしいのだが、二人の心にはなにも響かないようだった。フロイトの意見は、十分鋭いものだが、ラ・ロシュフーコーなどフランス・モラリストの箴言にありそうでないこともないが、いよいよフロイトの本領が発揮されるのは、彼にとっては異論の余地のない自分の意見が彼らを納得させないのは、美というものが消滅してしまうという悲哀を多感な二人が感じ取ってしまったことにあり、ところで人間の心は苦痛に対して本能的にしり込みするものであるから、美の無常さが美を味わうことを妨げられたと感じてしまったのだとフロイトは分析する。
美しいと思うもの、愛しているものを失ったときの悲哀は、普通の人間にとっては自明のことであり、格別不思議なことはない。愛しているものをなくしたと聞けば、我々は共感する。しかし、精神分析にとっては、悲哀とは一個の大きな謎だという。
精神分析によれば、人間はリビドーという一定の愛情能力をもっており、発達の初期においては自己愛に費やされるが、のちに、自我を離れて外の対象に向かう。その対象が破壊されたり、失われたりすると、リビドーは再び自由になる。合理的に考えれば、自由になったのだから、なにか別の対象にさっさと移ればいい。だが、我々は失われた対象を容易なことではあきらめようとしない。それがつまり、悲哀であり、「その理由はわれわれには判らないし、又今のところは、それをいかなる仮定からも引き出してくることはできない。」
確かに、所詮すべては無常なものであり、現にあるものを全力で楽しめ、というような信条は、決して珍しいものではないし、悲しんだところでなにも元に戻ることはないのだから、次の段階に移ろうという意見が合理的なことは多くの人間が賛同するだろう。しかし、現状がそうではないこともまた多くの人が認めることだろう。それは人間が多かれ少なかれ神経症的であることに由来するのか、あるいはリビドーが何らかのイメージ、つまりは「感覚生活」に引き付けられるものなら、あるいは悲哀というものもそれを補強するものであり、離れた彼や彼女を思う恋人のように、失われた像を維持し守るために積極的な働きをしているのかもしれない。