2017年7月28日金曜日

じゃれあいというユートピア――ハワード・ホークス『赤ちゃん教育」(1938年)





 同じくハワード・ホークスの『三つ数えろ』にはウィリアム・フォークナー、リー・ブラケット、ジュールス・ファースマンという三人の脚本家が関わっており、フォークナーはさほど深くは関係していないようだが、それはともかく、誰もが入り組んだプロットの詳細を理解することができず、原作者のレイモンド・チャンドラーに聞いても、はかばかしい答えを得ることができなかったが、にも関わらずハードボイルド映画の傑作ができあがってしまった。

 あるいは、『赤ちゃん教育』の脚本を書いたダドリー・ニコルズとヘイジャー・ワイルドもまたそのプロットについて尋ねられたら、答えに窮したかもしれない。私自身、数回見ているにも関わらず、見るたびにこんな映画だったか、と思いを新たにする。一応、この映画、スクリューボールコメディに分類されるだろう。

 スクリューボールコメディは映画においても突出した珍しい狂騒的なジャンルでアメリカにしか存在しないが、それにしても定型がある。この時期のコメディをアメリカの哲学者スタンリー・カヴェルは「再結婚のコメディ」と名づけた。フランク・キャプラの『或る夜の出来事』、プレストン・スタージェスの『レディ・イブ』、レオ・マッケリーの『新婚道中記』、ジョージ・キューカー『アダム氏とマダム』、ハワード・ホークス『ヒズ・ガール・フライデー』などに見られるように、実際に結婚しているかどうかはともかく、あることをきっかけに別れるとなったカップルが、法外な出来事を二人して乗り越えることによって、再びカップルとしての絆を取り戻す。そこに登場するおじやおば、また概して年寄りは奇矯な人物が多く、独特の規範を持っており、二人を助けることが多い。だが、『赤ちゃん教育』はこうしたジャンルをかすめながらついには滑空してしまう映画である。それゆえ、類型に振り分けて記憶しにくいのである。

 『赤ちゃん教育』はキャサリン・ヘップバーン演じる女性が、ケーリー・グラント演じる古生物学者を狩る物語である。ケーリー・グラントは研究一筋の世間知らずで、研究仲間の女性との結婚を控えている。彼は博物館で、恐竜の白骨標本を組み立てており、それを完成させ、維持するためには相応の寄付金を得なければならない。そうした社交的な駆け引きは彼が最も苦手とするものである。寄付金を出してくれるという老嬢に会うためにはまずその弁護士に良い印象を与えておかなければならない。ところがその働きかけをことごとく邪魔するのがキャサリン・ヘップバーンである。

 彼女はほとんど常軌を逸しており、グラントが研究ばかりしていたのと同じように、世間知らずのお嬢さんなのだといって片付けるわけにもいかない。最終的に寄付金を出すと言っていた女性の姪であることが明らかになるので、それなりの階級に属してはいるのだろうが、人の車に勝手に乗り込んでぶつけても平然とし、いったんケーリー・グラントに目をつけるや、婚約者がおり、結婚が寸前に迫っているにもかかわらず、委細関係なく迫っていく。


 この映画には、豹、犬、鶏と多くの動物が登場するが、動物たちとヘップバーンの間にさしたる相違はない。『赤ちゃん教育』とは意味深長な題である。ヘップバーンが、研究しか頭にないグラントに恋を目覚めさせる教育とも思えるが、同時にヘップバーンがペアリングによって生物としての人間の規範を学習するとも見られるし、二人の赤ちゃんが親密な関係を築くことによって人間的な作法を躾けられるとも思われるが、いずれにしても他のスクリューボールコメディと異なるのは、それらが再結婚の物語ということで、あからさまに言われないまでも、セックスが主題になっているのに対し、互いが互いにとって赤ちゃんであるこの映画にはセックスの要素は欠けている。実際、ケーリー・グラントが最後に告白かつプロポーズするのは、「君といると楽しかったから」ということであり、欲望に濁ることのない子供にしかないじゃれあいにあふれたほとんどユートピアにも似た関係を再確認することなのである。

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