2017年7月26日水曜日

エントロピーと心中――広津柳浪『今戸心中』(明治二十九年八月)



 今戸は、ほぼ、浅草、吉原、隅田川に囲まれた場所にある。

 私は、数回通り過ぎたこと位はありそうだが、なにも記憶には残っていない。

 それでもこの地名になじみがあるのは落語に『今戸の狐』があるからである。もっともこの噺、何度聞いても途中で内容がわからなくなってしまう。改めて、集中して聴いてみると、相変わらずわかりにくい噺だが、要するに、まだ駆け出しの落語家が、内職は禁じられているのだが、生活が苦しいために今戸焼の狐の顔を描いている。ところが、キツネというのはヤクザ者たちの隠語では博打の一種で、さらには近くで同じ内職をする女(妻)と、博打に使うサイコロのサイとが取り違えられて、会話がちぐはぐになる。今戸焼は江戸から明治にかけては盛んだったが、現在ではほとんど継承されていないようだ。お稲荷さんでよく見られるキツネの置物、あのなかに今戸の狐が混じっていることはあるのだろうか。

 ところで、『今戸心中』は今戸を舞台にした小説ではない。今戸は隅田川に行くための通り道であって、心中に到る経緯は吉原の妓楼で起きている。吉里は美人というのではないが、男好きのする丸顔で、しかもどこかに剣が見え、睨まれるとぞっとするようだが、にっこりされるとふるいつきたくなる二十二、三の稼ぎ盛りの花魁である。花魁には言い交わした仲の平田という男がいる。だが、国許で父親が事業に失敗し、気が抜けたようになってしまった。母親がすでにない上に、幼い弟と妹がいるので、平田が帰って、一家をどうにか立て直す必要がある。突然、三人を養う身となって、いつ東京に戻れるのか、先の見通しも立たない。吉里は死んでも別れたくないと思ってはいるが、平田の胸中の苦しさや誠実さもわかるので、泣く泣く彼の言葉を飲み込まざるを得なかった。

 吉里には、つきまとうように、三日にあげず通ってきていやでたまらない善吉という客がいた。平田が、二十六、七で、ふさふさと波を打った髪の毛が、雪にもまがう顔の色を引き立て、細面ではあるが力があり、鼻はすっきりと高く、口元には愛嬌があり、男の目から見ても男らしいのに対し、善吉は四十にもなろうか、痘瘡の跡がはっきりと残っており、左のまぶたには傷がある冴えない中年の男である。平田との最後の別れの夜にも、善吉は吉里が部屋に来るのを待っている。吉里は常々善吉にはつれない振る舞いをしていたが、まして、悲しくてどうしようもない夜、善吉のことなどまったく眼中にない。

 だが、平田を乗せた国へと帰る汽車がすでに出発したと思われる翌朝、悲しみに疲弊したのか、あるいはようやくその存在に気づいて客商売の本分を思い返したのか、待ちぼうけを喰わせた善吉と言葉を交わす。すると、善吉は、もうここには来られないので、最後の酌を受けて欲しいと頼む。富沢町に店も持ち、三、四人の奉公人も使っていたのだが、花魁のところに通っているうちに、店も家もとられ、妻も生家に帰してしまった。遊びを知ったのも花魁のところだし、花魁の店にしか来なかったのだから、せめて最後に花魁と酒を酌み交わしたいと思っていた、もう心残りはないという。

 その後、吉里は善吉が店に来るための金を、朋輩に借りてまわり、不義理を重ねていく。平田とのことを心配し、以前から気遣っていてくれた先輩の花魁である小萬も、平田から来た手紙をまとめて平田の元に返して欲しい、と頼まれて、あまりに薄情だと、愛想づかしの言葉を浴びせかける。しばらくして、吉里の姿が見えなくなったと騒ぎになる。小萬がふと気がついて、平田からのものだといって残していった手紙を見てみると、よんどころなく覚悟を決めました、平田さんにも、お前さまにもすまないことです、されど私の誠の心は写真でも御推量くださるでしょう、と小萬宛の手紙が混じっており、「写真を見ると、平田と吉里のを表と表と合せて、裏には心と云ふ字を大きく書き、捻紙にて十文字に絡げてあツた。」それがちょうど十二月の煤払いのときで、翌年の一月末、永代橋の上流に女の死骸が流れ着いた。顔は腐って見定めることができなかったが、着物は吉里が着ていたものだった。箕輪の無縁寺に葬られ、小萬は七日七日の香華を手向けた。

 広津柳浪は硯友社の同人ではあるが、尾崎紅葉より十歳ほど年上であり、「客分」として扱われたという。洋行前、二十歳になるかならない永井荷風が入門したことでも知られている。小説家としての経歴は長いが、活躍したのは明治三十年前後で、作品は散逸し、決定的な全集も出ていない。

 『今戸心中』はほとんど事実をそのままにとったものだという。『明治文学全集』の『広津柳浪集』の吉田精一による解説には、作者の言葉が引用されており、おおよそのあらすじが述べられた後、次のように書いている。

此の心の変動が誰れにも分からなかツたさうです。私は此の疑問に対して聊か解釈を試みたいと思ツたので、『今戸心中』をかいて見たのです。それで私の解釈では、自分が恋の絶望を経験して、古着屋が今まで恋の絶望のにゐた其苦しみを覚り、始めて激烈に同情を表した結果だらうと思ひました。約めて云へば、絶望と絶望との間に成立てる同情の果てが、心中となツたのか知らんと解釈をして見たのです。
  (「新著月刊」三十年四月、のち「唾玉集」所収)

 作者の意図は明らかだが、ひとは同情から死にはしない。同情が情を同じくすることにあるなら、それ自体なにも生みだしはしない。同情がしばしば嫌われるのは、他者から自分の情を規定されることへの自尊心の抵抗から、あるいはまた、情を同じくするという一方的な働きかけだけがあって、結局のところ、人間の孤立性がより明らかになるだけだからである。つまり、吉里は同情したから心中したのではなく、意識的ではないにしろ、すでに死を自覚していたから善吉に同情することができた。そして、同情はより決定的な行為への跳躍台でしかなかった。吉里の情の動きは次のように描かれている。

善吉も今日限来ないものであると聞いては、此ほど実情のある人を、何で彼様に冷遇くしたらう、実に悪い事を為たと、大罪を犯した様な気がする。善吉の女房の可哀想なのが身につまされて、平田に捨てられた自分の果敢なさも亦人入になツて来る。其で、耐らなく平田が恋しくなツて、善吉が気の毒になツて、心細くなツて、自分が果敢なまれて沈んで行く様に頭が森となつて、耳には善吉の言葉が一々能く聞え、善吉の泣いて居るのも能く見え、耐らなく悲しくなツて来て、終に泣出さずには居られなかツた。

 「自分が果敢なまれて沈んで行く様に頭がとなつて」とあるのは、すでに隅田川に沈んでいく者の感覚を先取りしている。そもそも善吉の心情は、吉里に待ちぼうけを喰わされている間に少々描かれはするものの、吉里が不義理な借金をし、善吉を店にあげ続けるようになってからは、まったく触れられることはなくなる。近松などの心中ものと決定的に異なるのは、彼らにおいては、社会や共同体からの排除、隔絶が、そのまま跳ね返って、二人の情感を高め、ついには道行きという一種澄み渡った世界にまで昇華されるのに反し、吉里は周囲から白眼視されようと、それを昇華させるための相手がいない。結局心中への道行きが描かれることはないし、善吉がどのような心境で吉里と死をともにしたのか一切読者にはわからない。


 社会的な因習に縛られたものではない、孤立した人間の死を描いている点で、モダンな小説である。社会的道徳や因習などよりも、むしろ死に向かいつつあるしかない世界を感じさせる。冒頭の「太空は一片の雲も宿めないが黒味渡ツて、廿四の月は未だ上らず、霊あるが如き星のきらめきは、仰げば身も冽る程である。不夜城を誇顔の電気燈にも、霜枯三月の淋しさ免れず、大門から水道尻まで、茶屋の二階に甲走ツた声のさゞめきも聞えぬ。」から始まり、空は晴れ渡ることはなく、当時の遊女屋の暗さと静けさが惻々と感じられてくる。吉里の平田に対する愛情も、善吉に対する「同情」も鈍い光りを一瞬垣間見せながら、エントロピーにしたがって散逸していく。

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