2017年9月8日金曜日

滝沢馬琴訳『水滸伝』(冒頭ちょっと)2



○洪大尉誤って妖魔を解き放つ

 翌朝、朝飯も終わったので、今日は物見遊山でもどうです、と住持が誘ったので、洪信は大いに喜んで、多くの従者を引き連れて外にでると、村人はその左右にしたがって、あちらこちらの案内をする。

 洪信主従が三清殿をみると、その壮観さは都にも稀なものである。

 左の廊下には九天殿、紫微殿、北極殿があり、右の廊下には太乙殿、三官殿、駆邪殿があって、太乙真君、紫微大帝、天丁力士、南極老人、二十八宿の星君、三十二帝天子の木造が位階にしたがって安置されている。

 洪信はこれらのものを見終わって、右の廊下の奥へ行くと、またひとつの別殿があって、四方の壁は湿気を通さないように、胡椒をつきこんだ赤い土で、正面の二つの扉は丹で塗った格子になっている。

 門の表には大きな錠がかけられており、錠の上には封がしてあり、封の上には数え切れない朱印が押してあって、軒下の額には伏魔之殿という文字が見える。

 洪信はこれを見て、「どういうわけで、こんなに厳しく錠をかけて封までしてあるのだ」と問うと、住持が答えて「当山の祖師、大唐の洞玄国師が魔王をこの殿内に封じ込めたので、代々の天師が自ら封印を加え、子々孫々にまで開くことをお許しになりません、もし侮って魔王を出してしまうようなことがあれば、たちまち世の中に災いが生じると言うことです、八、九代天師が変わりましたが、洞玄国師の戒めを守ることかたく、銅の煮汁を錠の隙間にかけ続けていますので、誰もこの中がどうなっているか知るものはいません、私も住持になって三十年になりますが、ただ伝え聞くだけです」と語るのを、洪信は聞いて怪しみ、ここは一つ魔王とやらをみてやろうと思い、住持に向かって、「お前たちこの門を開いてみろ、魔王の正体を見てみたい」といえば、住持は驚き、「それはとんでもないことを命じられる、洞玄国師が厳に戒めを残し、それ以後誰もこの殿を開くことを許されませんでした。何より恐ろしいのは洞玄国師の残された戒めです」といいも終わらぬうちに、洪信はからからとあざ笑い、「お前たちは自分勝手に怪奇なことを伝え、愚民を惑わし、この殿をつくり、魔王を封じ込めるといって、自分の家の道術に箔をつけようと計略だろう、わしは若いときから諸子百家の本を読んでおるが、魔王を封じる法などは聞いたことがない、世の中の人がなんと言おうが、わしは決して信じないぞ、さあ、この中をみてやろう」と引く様子が見えないので、住持がまた「大尉がもしこの殿を開けば、最後には天下の病となるでしょう、よくよくお考えください」と諫めれば、洪信は腹を立てて声を上げ、「お前たち、すぐに聞かないなら、都に帰り、龍虎山の道士たちが自由勝手に偽りを述べ立て、魔王を封じ込めたと称して、愚民を惑わし、自分たちの術を売りつけていると申し述べて、すぐに山から追放してやる、これでも聞かないか」と目を怒らして肘を張り、にらみつければ、住持もその弟子たちもその権威に恐れ、もしこの上逆らえば、山の滅亡を招くことになろうと、従者や職人たちを呼び集め、まず封をはぎ取り、金槌で錠を砕き、門を開いて我先にと入っていったが、数百年物間太陽の光を受けていなかったので、黒煙が立ちこめ、東西南北もわからず、冷気が肌をおののかせた。

 まさにここは人跡未踏の地であり、妖怪が往来する住みか、両の目は開くが盲目と同じで、手のひらも見えない有様なので、洪信は命じて多くのものに松明をともさせ、四方に振ってどこをみても、遮るものがなく、ただ部屋の中央に、2,3メートルほどの石碑があって、その下には石の亀がある。

 亀は既に土の中に埋没して、半身をあらわにしているだけである。

 石碑の表を見ると「鳳篆龍章」と一般には見られないような異様な文字だけが彫りつけてある。

 裏面を見るとこちらは普通の文字で、「洪信に遇いて開く」と記されている。

 これは天罡星、地煞星という星々の世に出るときが至り、宋朝に忠臣義士があらわれる前兆であり、洪信がこれを開くことは、洞玄国師はかねて察知し、文字に記してあったのだ。

 ああこれは実に天の運命と言うべきだろう。

 忠義の人をもって魔王としてあったのは、侫人が見れば魔王とし、賢人が見れば忠義として賞めるからである。

 邪道と正道とは表裏一体であることを意味する。

 さて、洪信はこの文を見て大いに歓び、住持に対して言うには、「お前たち石碑の後ろを見よ、数百年の昔から、わしの姓を彫ってあり、まさにわしが開くことを指し示しておる、つらつら思うに、魔王は石碑の下に蟄居しておる、早く人夫を増やして、掘り崩させよ」とかさにかかって言うのを、住持はおそるおそるまた諫めて、「大尉殿が掘り返しますと、必ず天下に災いが生じて、万人は一日も安らかでいられないでしょう、ただこのままにしておいてください」と言い終わりもしないうちに、洪信はからからと打ち笑い、「愚か者よ、明らかな証拠があって、わしが開くと刻んでいるものを、何でそのままにしておけようか、早くせよ」といらだち、住持の諫めなど聞き入れず、自ら命令して人夫を集め、石碑を倒させ、その下を半日ばかり掘って、ようやく亀が全身をあらわした。

  皆で力を合わせ、この亀をどかし、その下を70センチばかり掘ったとき、板のような周りが30センチばかりの青い石があった。

  洪信はこれを見てますます勇み立ち、この石蓋を取りのけさせれば、下には穴があって、その深さがどれほどなのか見当もつかない。

  まさにそのとき、天が砕け、地が落ち込み、万本の竹が一度に裂け、百千の稲妻が墜ちるような音がして、雲か煙か、一道の黒気が穴のなかから立ちのぼり、殿の棟桁突き破り、空にたなびきつつ、百以上の金光に砕け、四方八方に飛び去った。

  皆これを見て、驚き恐れない者はなく、一斉に逃げだそうとして押し倒され、踏みつけられ、慌てふためいて怪我をする者が多かった。

  洪信も、こけつまろびつ、廊下の端まで逃げ出して、顔の色は土のようになり、呆然としていると、住持たちも集まってきて、息をついてなすすべを知らない。

  しばらくして皆ひとごこちついたところで、住持が洪信に向かって言うには、「そもそもこの伏魔殿というのは、その昔、洞玄天師が法力をもって、三十六の天罡星、七十二の地煞星、合わせて百八の魔王を封じ込め、上には石碑を立て、碑の表には龍章鳳篆、天府などの文字を彫りつけ、長く魔王を世に出すまい、と誓ったものであるのに、大尉殿は侮って放ってしまったので、民の災いを祓うための勅使ではなく、苦々しくも、却って災いを招いたことになります」とかき口説くので、洪信は面目を失い、急いで身支度をして、都に帰ってしまった。

  かくして、洪信は日中には歩き、夜には宿り、道すがら巷の噂を聞いてみると、疫病の災難には、信州龍虎山の張天師という道士が都に来臨して、七日七夜の祈祷によって、民の病をことごとく除き去り、再び鶴に乗ってもとの山に帰っていったと褒めそやしているので、洪信、これを聞いて住持が言ったとおりだったと嬉しくなり、都に帰った翌朝のこと、帝に会い奉り、「張天師は神通力であっという間に都に着いたようですが、我々は歩きで道中はかどらず、要約昨日都にたどり着きました」と申し述べれば、帝はそれをお聞きになり、恩賞を賜り、元通りの役職に就くようにと命じた。

   さて、あの天罡星、地煞星はいかなる変化を遂げるのか、それは次の巻で。

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