馬琴の『南総里見八犬伝』が『水滸伝』にインスパイアされたものであることはよく知られたこと。
馬琴はまた、『水滸伝』を訳してもいる。
つれづれなるままに訳してみたことがあるので、といっても冒頭のわずなか部分だが、ご紹介。
馬琴訳の特徴は、
1.中国の明代の小説、『三国志演義』や『金瓶梅』などで、地の文にはさまる、詞(一種の詩)の部分を全く省略するか、地の文に繰り入れている。
2.『八犬伝』に見られるように、英雄たちの行動をなんどか「仁義礼智忠信孝貞」的なものとして動機づけようとしている。
3.中国語と日本語の違いもあり、読本が流行した江戸後期のせいもあるが、現代の翻訳を読めばわかる通り、本来は短い文章であるはずが、だらだらと続く長い文章になっている。
というのがおおまかなところ。というわけで、
初編巻之一
○張天師祈って疫病を払う。
大宋の天子、仁宗皇帝のとき、嘉祐三年三月三日寅の日、主上が紫宸殿におでましになり、朝の挨拶をお受けになったが、三公百官礼儀正しく、各々の位に従い、帝を拝するさまは、玉砂利の春の庭に見合った、めざましい光景だった。
殿頭司、諸司百官に向かい、「なにか報告があればお聞かせしろ、なにもなければ退出するように」と申せば、宰相超哲、参政文彦博の二人が列を進み出て、「いま都では疫病が大いに流行して、民百姓死ぬ者が非常に多くなっております、願わくば仁政を施し、この災いを祓いのぞき、民の救難を救われますよう」、と言葉を揃えて申し上げれば、帝もっともなことだとお聞き入れになり、囚人を許し、税を免除、また、各寺院に祈祷を命じた。
しかし、この年の疫病は勢いがあり、朝症状が出たものが夕べには死に、親は子を失い、妻は夫に先立たれ、その嘆きは計り知れないものがあった。
帝はいよいよ心安らかにいられないので、再び百官を呼び集め、「どうしたらよかろう」、と問われると、笵仲淹という者が言うには、「信州の龍虎山に、計り知れない神通力を持つ道士がおり、その名を嗣漢天使張真人、略して張天師ともいわれております、しかも彼の家には天災を祓う秘法が伝えられて、三千六百分、羅天大醮と名づけられています、大変珍しい霊法とのことです、急いでこの道士を招じて、疫病は祓わせれば、民の病気もたちまち快癒し、みな安堵することは間違いありません」、とはばかるところなく述べれば、帝も感じ入って、大尉洪信を勅使とし、張天師を招くよう決めると、洪信は勅書を錦の袋に収め、お香を玉の箱に盛り、従者を多く引き連れて、次の日に都を立った。
洪信は急ぎの使いだからと、その日に東京を離れ、山を馬で越え、川を船で渡り、行き行くほどに、目的地に着けば、役人たちが待ち受け、龍虎山に案内すると、山の者たちもかねて知らせを聞いていたので、鐘を鳴らし、鼓を打ち、提灯を下げ、天蓋を連ね、山を下りて、勅使を迎えた。
洪信は馬から下り、宮殿を眺めると、松は屈折して風に吟じ、楼閣は段をなして日に輝き、道士が霞を飲む窓、弟子が薬を擂る部屋が望まれ、水は軒下を流れ、山は垣の後を巡り、ここでは鶴は頂が赤くなり、亀の背には緑毛が生え、鐘が鳴れば、四方に響き渡る、この世のものとも思えない里なので、洪信はひたすら驚き、誘われて客殿の上座に着くと、住持が遠路の疲れを慰め、勅諚の趣を問うので、洪信は答えて、「いま都に疫病が流行して、十人に七、八人が死んでおり、これを帝深く嘆いて、張天師を都に招いて、この疫病を祓い、民の苦しみを救うために、私が使いを引き受けてきたのだ、張天師はどこにいる、一刻も早く対面したいのだ」、といえば、住持が答えるには、「当代の天師はその生活が尋常ではなく、清きものを好み、穢れを嫌い、人と交際するのも面倒だと、自ら山の頂に庵を結び、常に真をなし、性を養って、軽々しく世間に出ることがないので、たやすく会うこともなりますまい、まずしばらくは休息なされるがいい」、といって別室に案内し、茶を出し、水陸の珍味でもてなしたが、洪信は、張天師が山の頂にいて、容易に会えないと聞いて、落ち着くこともできず、再び住持に、「張天師が頂に住んでいるなら、どうやって呼び降ろすのか」と問うと、住持は、「天師は普段は山中におりますが、神通力のままに、あるときは霧や雲に乗り、峰に座り谷に遊び、そのおられるところがはっきりせず、私なども常にお目にかかれるわけではありませんので、勅書を賜って、お呼びするわけにも参りませんし、人を迎えにやることもなりません、とはいえ、帝が民の疫病を払わせるために、はるばる勅使をお寄越しになったのですから、張天師もこれを他人事とは思いますまい、大尉殿におかれましては、いま一点の真心を尽くし、斎戒沐浴して清らかな衣をまとい、従者を一人もつけず、自ら勅書を背に負って、手に龍香と、香炉をもって歩いて山に登り、信心礼拝をあらわして訪れあれば、張天師もまた、帝の慈しみの深さと、大尉の真心の厚さとを感じ取り、容易にお会いすることも適いましょう、かえすがえすも大尉様は万民のために自らの位のことは忘れ、そのようにしてください」、というので、洪信は大いに喜び、「私は都を出る日から精進を重ねてここまで来た、なんで信心が薄いことがあろう、必ずお前のいう通りにしよう」と承諾して、宵にはその用意をして、次の日朝早く起きると、身体を清め、白粥を食べ、浄い衣をまとって、勅書を収めた錦の袋を襟にかけ、白銀の香炉を恭しく捧げ持って、麻靴を履いて、おぼつかないがただ一人、峠に向かい出発すれば、住持は多くの村人とともに山の下まで送りだし、詳しく道筋を教え、「山中は草が深く、道が大変に険しいですが、万民を救う功をなさんとするならば、怠りや慢心を起こすことなく、よく自己を律してお登りください、信心が揺らぐようなことがあれば、とても張天師に会うことはできますまい」と戒め、遂に別れて帰っていった。
洪信は、香を焚き、天尊の名を唱え、かろうじて山の中腹まで登ったが、思ったよりも大きな山で、峰は高く谷は深く、瀧がごうごうと流れ、藤は縦横に絡まり、虎の吠えるのが風に乗って聞こえ、猿の鳴きだす夕ベになり、月が山の側面に落ち、玉を青く染めなすかに思えるようになると、ようやく身体は疲れて、怠る心が生じ、しばらく立ち止まって、「私は高官である、都にいるときには、食事にはおかずをぎょうさん並べ、寝るには布団を幾重にも重ねて寝ていても疲れていたものを、浅ましい麻の衣に靴を履き、こんな山道をよちよち一人で登るのはなんのためだ、そもそも張天師はどこにいて、自分をこんなひどい目に遭わせるのだ」、と独り言をした折しも、くぼみから一陣の風がさっと起こり、その風が地上を過ぎるときには、木や草がみななびき、山が崩れるような咆哮とともに、躍り出たのは白い額をした虎、洪信は大いに驚き、叫びを上げて倒れるとき、目に入った虎は、毛は黄金を延ばした如く、爪は白銀の鉤そのもの、人を射る眼の光りは雷のひらめくものか、くわっと開く口の紅さは血を盛る盆に変わらず、鞭のような尾を打ち振り、矛に似た牙をむきだしにし、やがて洪信のもとに来て、右に左に巡って、吠えることまた一声、最後に後の山の坂を躍り越えて走り去ったので、洪信はやや人心地ついて、おそるおそる身を起こして、投げ捨てた香炉を拾って香を焚き、僅かに数十歩歩いたが、とかく難儀にあるのにいらだち、「わしは朝廷の大臣だというのに、帝は重用されることなく、こんな悪所へ遣わされ、数多くの難儀にあわされるのはどんな浮世の報いだというのか」、と口の中でぶつぶつと罵り、まださほど先に進んでいないところで、また風がにわかに吹きすさび、毒気が空を染め、山辺に茂った竹林がざわざわと響きつつ30メートルを超える大蛇が、鱗は月を反射してきらめき、舌は闇を照らし出す篝火のようにひらめいて、草木を倒しながら進んでくるので、洪信は魂が抜けたように、めまいがして倒れてしまった。
しかし、大蛇は彼を呑み込もうともせず、身を翻して蟠り、鎌首をもたげ、舌をちろちろと伸ばして、毒気を洪信の顔に吐き散らして、驚かすだけで、竹林のなかに入ってしまった。
洪信はしばらく死んだように横たわっていたが、ようやく息を吹き返して起き上がり、深く住持を恨んで、また「かの奴原め、勅使をたぶらかして猛獣が多い場所に誘い込み、こんな憂き目にあわせると安くは済まんぞ、もし張天師に会うことができなかったならば、住持を始め村人一同、そのままにはしておかんぞ」と怒り罵り、また登っていこうとすると、松林の後から笛の音がかすかに聞こえ、次第に近くなってきたので、洪信は怪しんで、その方を見てみると、一人の童子が牛に乗って出てきた。
頭を髻に結い、身には青い衣を着て、笛を鳴らしながら行きすぎるその姿が俗ではないので、洪信は「待て待て」と呼びとどめ、「お前は私を知っているか」と聞けば、童子はにっこりと笑い、笛で洪信を指して言うには、「御身がここに来たのは張天師に会うためだろう、今朝庵で張天師にお仕えしているときに、天師がおっしゃるには、『いま、都で疫病がはやっている、落命する民も甚だ多い、そのため、帝が洪大尉を勅使として、私を都に招き、三千六百分、羅天大醮の秘法を行わせて、この難局を打開しようというのだ、そこで私はいま、鶴に乗ってひとっ飛び都へ行くことにしよう』とおっしゃっていたので、定めて今頃は都にいることだろう、御身たとえ万難を排して庵にたどり着いても、張天師がいなければ仕方があるまい、この山には猛獣や毒虫が数多くいるので、不慮の事故がないとも限らない、早くお帰りなさい」というのに、洪信はますます疑い迷って、「お前は嘘を言ってわしを欺しているのではないか」という間にも、童子は答えもせずにまた笛を吹いて、林のなかに入っていった。
洪信、その後ろ姿を見送りつつつくづく思うには、あの童子、どうして自分のことを知っているのだろう、普通の子供ではないらしい、張天師の命を受けて、言外にそのことを示したのか、下手に疑っていたら、最後には猛獣の腹に収まってしまうかもしれん、と思い、引き返してもとの麓へ走り下れば、住持は村民とともに出迎え、部屋に誘って、山中の様子を問うと、洪信は目を怒らし、「わしが高い身分もかまわずに、一人で山に登ったのは、勅諚を第一とし、張天師を敬ってのことだ、それなのにお前たちはそれをないがしろにし、よくもひどい目にあわせたな、山のなかでは錦模様の虎が出て私を脅し、次に何十メートルもの蛇があらわれ行く道を遮った、もしわしの運がなかったならば、都へ生きて帰れないところだぞ、それもこれもお前たちが勅使を侮り、密かに溜飲を下げたのだろう、いいわけがあるならいってみろ」と息巻くので、住持は大いに迷惑し、「どうして私などが勅使を欺くことがありましょう、我々が意地悪をしたわけではありません、張天師が密かに大尉の信心を試みたのでしょう、あの山は猛獣が多いですが、天師の徳によって人に襲いかかることはありません。どうぞ怒りを収めてください」とわびるので、洪信の心もやや落ち着き、「わしの信心は確かなものだ、こんな苦労をものともせず、山頂まで登っていこうとするときに、笛の音がかすかに聞こえるので、何事かと思うに、一人の童子が牛に乗り、笛を吹いてあらわれ、わしに向かって言うには、張天師は今朝鶴に乗って都に飛んでいったので、庵の中には誰もいない、さっさと山を下りなさい、というので帰ってきたのだ」と物語れば、住持はそれを聞いて、「その童子こそ張天師でありましょう、知らぬこととはいいながら、残り惜しいことです」とひたすら後悔していたが、洪信は真剣には受け取らず、「彼がもし張天師なら、どうしてあんなに幼いのだ、受け入れがたいことだ」というと、住持はまた、「当代の天師は常識では計り知れない、童顔の仙人さまでありまして、あちらこちらにあらわれ、霊験を新たにされますので、世の人は導通祖師と尊んでいます、大尉さまも軽々しくみるものではありません」というので、洪信はようやく気がついて、「この眼がありながら、真の張天師を見破れなかった愚かさよ、どうしたものか」と後悔すれば、住持は重ねて「大尉さま、安心なされませ、張天師が鶴に乗り、都へ行くとおっしゃったのですから、今頃はもう参内なされているでしょう、大尉さまが都に帰る頃には、疫病も祓われ、民もまた枯れた草に慈雨を与えてもらったようになっておりましょうから、たとえ張天師と対面せずに帰られても、お咎めもないでしょう、まずお休みください」と様々に慰めたので、洪信はようやく落ち着いて、洪信は勅書を住持に渡し、住持は受け取って書箱に収め、酒宴をもうけて洪信をもてなした。
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