2017年11月7日火曜日

オルダス・ハックリレー「(アルフィエーリ)」



1920年に書かれた。

 ルイス・キャロルの詩の少年のように、「ぼくは詩を書きたい、ぼくは韻を踏んでみたい」というのは可能だが、単に韻を踏んで書くだけでなく詩人になることは望むだけで可能だろうか。ひとは意志の力だけで芸術家になることが可能なのだろうか。宇宙にほとんど道徳がないのなら、確かに可能かもしれない。というのも、道徳的に、「意志は才能よりも威厳に結びつき得、また結びつくもの」だからである。たまたま才能がありまったく自己規律を欠いたものが、本来の素質に欠いて意志と信念と忍耐と勤勉だけがあるものより、ずっと偉大なことができるというのは深く衝撃を受ける。ほとんど、集中された意志だけでは物事を達成できないことになる。もしある種のスピリチュアリスとを信じるとすると、意志の力だけで家具を動かし、望むだけで宙に浮かせることができるらしい。しかし、意志の力だけで偉大な芸術家となることに成功したものはいまだいない。ベンジャミン・ロバート・ハイドンの燃えあがるような欲望と信念は彼が二流であるという無情な事実に対してなんの利益にもならない。そして、意志だけで十分ならば、ベン・ジョンソンはシェイクスピアと同じ位偉大であったろう。しかし、文学的偉大さへの意志を持ち続けた人間としてアルフィエーリほど極端な例は存在せず、このことは彼を悲劇的な詩人に非常に近づけるほどである。

 彼自身によるヴィクトール・アルフィエーリの生涯は世界の偉大な自伝のひとつである。それは非常に興味深く非常にエキセントリックな性格を鋭く、公正に描いている。自分自身を描くにあたって、アルフィエーリは十八世紀の心理学者の冷淡な正確さを示している。彼は自分の強みと弱さを研究し、すべての行動を理性によって分析し説明し、本能と情念とより高次の能力との関係を思慮深く反省することで一般化している。

 アルフィエーリは当時はサルディニア王国の一部であったピエモントのアッチで1746年に生まれた。両親は貴族で富があったが、その当時以前も以後もそうした階級にあった多くのものと同じように、紳士は物知りになる必要はなく、富と高貴さはそれ自体で教育が付け加える優雅さを兼ね備えることができる十分に光輝があるものだという意見を持っていた。しかしながら、彼らは若いヴィクトールをピエモントの主要な教育施設、トリノのアカデミーに送るように勧められた。この施設でアルフィエーリは八年過ごし、十八のときにほとんど楽園失墜前の無知の状態で世界にでた。彼は古代のものであれ現代のものであれ、いかなる言語も正確に話したり書いたりすることはできなかった。もちろん、ラテン語は八年間のあいだ継続的に勉強したが、我々はそれがなにを意味するかを知っている。自国語についてはひとつも持っていなかった。フランス語の名残をとどめた、野蛮な非トスカナ的なイタリア語が彼の表現手段だった。本当のイタリア語や純粋なフランス語については無知だった。トリノの王立アカデミーは、手に負えない若い野蛮人たち――未知の文明に強いあこがれをもつ野蛮人、許容される表現手段が差し止められ、感情を暴力的で落ち着きのない行動でしか表に出すことのできない者たち――を世界に解き放った。彼はまさしくそうした人間だった。

 一八世紀の六十年代、七十年代を通じて、ヨーロッパのあらゆる国の住人たちは、赤い髪をした凶暴な若いイタリア人がまるで悪魔にでも追われているかのように突き進む光景を見て驚いた。早く進めば進む程、彼は喜んだのだった。イギリスでは彼は一日のうち八時間を馬上にいるか、もっともよく調練された馬がひく馬車の軸の間にあった。スウェーデンでは早さばかりではなく、北方の冬の極度の寒さが奇妙なワインのように気分を引き立てたので、そりを楽しんだ。というのも、彼は極端を愛し、なんにせよ中間的なものには我慢できなかったからである。獣のように残忍で寡黙であることを誇っていたので、滅多に仲間と連れ添うこともできず、最終的にしばらくの間立ち止まらざるを得なくなると、気難しげにひとりで座り、憂鬱で麻痺したような状態に落ち込むのだった。心の内では、彼はまったくの無知を恥じており、それが仲間と一緒になることを恐れさせていた。しかし、恥は概して、彼には欠けている知識を持つものに対する憎しみと軽蔑という形を取った。孤独から抜けだすときには、通常女性と連れ立ち、のちにはその欲望の暴力的なまでの力に溺れ、勉強に専念したいときには、価値のない愛を求めて恣になることを恐れて、召使いに自分を椅子に縛りつけることを命じなければならなかった。

 時が過ぎ、次第にこの馬鹿げたせわしなさは止んでいった。アルフィエーリは自分の生において成し遂げたいことを少々明瞭に見始めることになった。彼はどんな対価を払おうと、方法によろうとも偉人になりたかった。彼は二十五歳くらいにプルタークの『対比列伝』を読み、夢中になった。「偉人たちのすばらしい行動を読んで、私は自分が何も偉大なことが行われも言われもされず、せいぜいひとが偉大なことを貧弱に考え、あるいは感じるだけのピエモントのこの政府のこの時代に生まれたことを考えただけでも、怒りと悲しみの涙が流れはじめるだろう。」1770年のイタリアでは英雄的な行動は考えられなかった。文学にしか英雄的なものは存在しなかった。アルフィエーリは悲劇詩人になることに決めた。まずは書くための言語をもつことが必要だった。アルフィエーリはフローレンスに住み、トスカナ語を学ぶことに専心した。ある種の文化をもつことが必要だった。トリノ・アカデミーで学んだはずのラテン語を教わるために教師を雇った。最終的により英雄的な側面の偉大な情念を直に研究する必要があり、その瞬間、先見の明があるかのように、アルバニーの伯爵夫人がアルフィエーリの視野に現れた。彼らが会ったとき、夫は若いふりをしているが、年を取ったむかつく男で、酒を飲むことと妻を虐待する以外にはほとんど何もしなかった。アルフィエーリは自由をもたらすものであり、慰め手でもあった。彼らの愛の物語はよく知られている。

 その間、アルフィエーリは法外な勤勉さと忍耐とで悲劇を書いた。彼は言語を見いだし、詩の芸術を修めた。十四の劇が書かれ、書き直され、叩き直し、研ぎ、繰り返し繰り返し磨いて、偉人であることを決定的なものとして証拠立てようとした。詩の道を出発してからは、彼は振り返らなかった。古い野蛮人は死んだ。しかし、まったく死んだわけではなく、一度だけ、勉強の途中で、もとの生活に戻りたいという抗しがたい熱望にとらわれた。欲望があまりに切迫していたので、十四匹の巨大な馬をイギリスで購入したが——無限の苦痛と代償を払ってすすめていた悲劇のためにイタリアに戻ることになった。馬、女性、悲劇の女神——それらが彼の三つの偉大な情熱であり、馬への情熱は恐らくもっとも強かった。しかし、女神への情熱は合理的で、意志的な情熱であり、アルフィエーリはそれを勝利させるだけの力をもっていた。「ぼくは詩人になりたい、韻を踏んで書いてみたい」しかし、ああ、これら十四の悲劇をいま誰が読もう。私も試みたが、告白しなければならないが、目立つような成功はしなかった。

2017年11月6日月曜日

奇妙なアソートーーウェイン・ワン『女が眠る時』(2016年)



 小説家の夫と編集者である妻とが伊豆の海に面したリゾートホテルに一週間のあいだ逗留する。編集者である妻の担当の作家の家が近くにあり、原稿を受け取る仕事のついでに、夫婦してゆったりとした時間を過ごそうというのだ。夫婦は幾分ぎくしゃくした関係にある。夫は新人賞をとり、数作を発表してから書くことができない状態に陥っており、小説家をやめて普通の企業に勤めようとしている。その夫が少女を伴った奇妙な初老の男性と知り合いになり、創作への衝動を取り戻す。

 風変わりな映画である。伊豆のリゾートホテルは、海の手前にプールを備え、無国籍な建築であり、小説を書こうとしている夫のテーブルの上にはパソコンだけしかなく、要するに80年代から90年代前半のドラマのようで、全く日常的な生活感がない。少女は初老の男にとって友人の子どもらしく、毎晩その眠る姿をビデオに撮影している。眠っている少女のうなじの際の産毛をカミソリで剃りあげる場面には明らかに性的なものが見て取れるが、実際に二人がどんな関係にあるのか最後までわからない。男は少女を毎晩撮影し、よく撮れたもの以外は上書きしていくこと、さらには彼女が死ぬまでの姿をおさめなければならないのだと小説家に語るが、そうしないではいられない、あるいはそうしなければならない理由が示されることはない。

 小説家は彼らのことが頭から離れなくなり、彼らの部屋を覗き、二人が不在のあいだに部屋に入り込み、撮影されたテープを盗み見るまでになるのだが、彼の執着がなにに由来するのかこれもはっきりしない。やがて、少女が行方不明になり、近辺で身元不明の少女の死体が発見されるのだが、少なくとも小説家は男と一緒だった少女だと思っているようだが、はっきりしたことはわからない。

 そもそも初めから最後まで、小説家が抱いた幻想にすぎないかもしれないのだ。ここまでくると、日常的な生活感のなさがかえって有効に働き始める。小説家である西島秀俊にしろ、初老の男のビートたけしにしても、ある種の存在感はあるにしろ、複雑な内面的心理を微妙な表現でもってあらわすことなどからは程遠い俳優であって、どれほどある種の苦悶を言いつのってみても、一個人として共感を誘うことはない。むしろ能の舞台にも似た抽象的で象徴的な空間が広がっている。有機的なものとして最も感覚に訴えてくるのは、少女の寝姿ではなく、虫の音や風や雨の出す自然音である。30年以上前に、一度見ただけなので断言はできないが、樋口可南子と高瀬春奈が盛大に脱ぎまくっているにもかかわらず、官能性の全くなかった横山博人の『卍』のことを思い出した。

 それにしても、妙におかしいのは、この映画が電通が出資した映画であり、ハビエル・マリウスの同名の原作はPARCO出版から刊行されており、リゾートホテルは撮影協力から見ると、伊豆今井浜にある東急ホテルであり、きわめつけはこの一種の恋愛映画が、松竹でも東宝でもなく、まして昨今ありがちな「〜をつくる会」によるものでもなく、よりによって東映が配給していることにある。

2017年11月5日日曜日

オルダス・ハックリレー「(貴族と文学)」



1920年に書かれた。

 文学的、政治的歴史家は、常に過去の偉人がなんらかの方法で、現代の発見を陰ながら予期していたと独りよがりに思いがちである。ミルトンはダーウィン以前の進化論者であり、ロジャー・ベーコンは自動車を発明した、シェイクスピアは大英帝国を予見した、テニソンはツェッペリンの光景を予言的にもたらした。これらは我々が好んで思いにふける事実である。私は400年祭でのレオナルドについての講演を思いだす。大量の非常に上品な観衆は、かつて存在したなかでももっとも法外な知性の一人についての分析に礼儀正しく無関心をあらわしていた。レオナルドがチャーチル氏を予見して、タンクを発明したという事実を述べたとき、突然、自然発生的に聴衆のなかから大きく長く続く賞讃の声が上がった。この出来事は私には忘れがたい。どうして我々はこうした予言や予見にいつまでも心を奪われるのだろうか。確かに、子供っぽい虚栄心は満足させられる。偉人たちが予言的に考えていたことは我々に関わることである。我々は彼らの夢を充足させるのだ。我々は自分自身が彼らよりも優れていると感じる。レオナルドはぼんやりとタンクを夢見ていた。我々は実際にサウスエンドで、楽しく乗り込んでいる。アルガルの場合は、レオナルドより優れている。H・G・ウェルズ氏はシェイクスピアよりもずっと物知りだ。アルガル・・・・・・などそれ以上でもある。我々はこの上なく生長した花である。過去の賢者たちが遠くから香りをかいだものを、豪華さとして一瞥している。

 私は最近、地味ではあるが、十九世紀についてのもっとも予言的な本を読んだ、バルザックの『農民』である。十九世紀においてバルザックが重要だと感じていたものの多くは、歴史的な好奇心以上に、二十世紀の最重要の問題になっているように思える。『農民』の問題は、非常に大きな我々に関わる問題となり、バルザックがこれを書いた前世紀の三十年代か四十年代よりも百倍も複雑になっている。その物語は、農民が豊かな土地所有者を憎み、秘密裏に彼に対してゲリラ戦を展開するという古典的なタイプのものだが、この主題で階級間の葛藤を描いたものは最初にして最上である。欠点も数多くある。この種の作品では政治的議論の割合があまりに大きすぎる。腹立たしげな著者の余談や注釈があまりに多い。しかし、にもかかわらず、この本はすばらしい作品である。バルザックは問題全体のあらゆる意味を見て、普遍的な力でそれを劇化した。

 富者と貧乏人の葛藤を主題にした他のほとんどの作家と異なり、バルザックは熱心に富者の側に立っている。ゴドウィンからゴールズワージ氏まで、社会学者は常に抑圧的多者対抑圧される少者の対立の原因を多者に置いている。ケレイブ・ウィリアムズは、幾度となく転生し、殉教を遂げる。しかし、バルザックはメダルを裏返しにした。伝統的な専制者が専制され、豊かな土地所有者は農民たちに弾劾され、最後には破滅させられる。そして彼は我々は奪うものに同情し、伝統的な犠牲者であることを気づかせる。

 バルザックは民主主義者ではなかった。彼の王党派的保守主義は部分的には育ちにより、部分的には生まれつきの気取りにあった。しかし、主として彼は貴族だけが可能な、つまりは文化、文明のために古い貴族的秩序を守ろうと望んだ。モンコルネ将軍がリアージュを放棄することを強いられたとき、農民たちは財産に群がり、自分たちでそれを分けた。大邸宅は引き倒され、庭園や見事は庭は小さな庭のパッチワークとなった。偉大で光輝あるものは破壊され、みすぼらしい小さなものが取って代わった。バルザックは、文化と芸術と光輝あるもの、それに富裕な余暇がもたらす贅沢を愛していたので、民主主義を恐れ憎んだ。文化や文明の美しい心地よさは常にある種の奴隷によってあがなわれていた。バルザックは、同時代の博愛主義者を心から軽蔑していたが、対価が高すぎることはなく、低階級のものが存在し、文化がより高い階級のものと随伴して存在することを正しいことだと考えていた。1840年のゲリラ戦は、階級を超えた戦いになり、多数が、不可避的に少数に対して地歩を占めるにいたった。バルザックが予見していたように、リアージュとその住人は、その独特の文化とともに破滅に向かった。残されたのは、もしあるとすれば、新しい形の文化が、取って代わるだろう。

 貴族の最も重要な働きは一般的な民衆の意見に対して立場を守り、突飛なものに寛容で、新しい非常識な考えに親切だということにある。アメリカの富豪階級はその立場が脆弱なために貴族ではない。突飛なものに寛容であることができない。異端は非交流を意味する。しかし、ヨーロッパでは、突飛さの伝統は、余暇階級のなかに、ずっと弱くはなっているがまだ存在している。そのメンバーは非同調によって重大な罪に問われる危険はない。守られた立場で一般的民衆の意見を防御し、妨害を受けずに考え、いかようにも行動できる。もちろん、彼らの多くがそうだというのではない。しかし、少なくとも、異端に対する寛容さは主として重要なものとされる。その上、彼らは実際に自分たちの守られた立場を他の階級の奇抜で異端な人々へも及ぼす。貴族はある種のレッド・インディアン指定区であり、そこでは野蛮さも独自な仕方で生きることが許され、迫害に煩わされることもなく比較的自由である。ほんの少しの時間で、民主主義の進行はその国境を消し去り、幸福な聖域は存在しなくなるだろう。リアージュ――大邸宅、庭、公園、ゆったりとした余暇のある生活、文学者と庭園の婦人との慇懃な会話とプラトニックな情熱――は完全に消え去り、小さな土地保有者がその地を相続していくだろう。そして、奇抜さ、新たな考え、文化は――堅苦しい狂人どもが占めるこの新たな世界では入り込む余地がないだろう。見通しは憂鬱で、自由な情熱はおぼろげである。

 『イェール・レヴュー』の最新号に掲載された特徴的な記事で、H・L・メンケン氏はアメリカでは貴族的なものに接近しようとしないことを非難している。彼はアメリカ文学の欠点を「立場が守られ、知的好奇心によって生き生きとし、容易な一般化に対しては懐疑的で、大衆の感傷に超然とし、自分たちの観念の戦いに喜びを見いだす文明化された貴族性の欠如」にあるとしている。アメリカでは精神のレッド・インディアンに対する精神的な居留地は存在しない。一方において富豪階級、他方において大衆が縫い合わされて、知識人は脆弱なアナーキーか飼い慣らされた教授に追いやられる。アナキストは精神を浪費する無駄なものである。教授はそれがなんであれ正しいと容易に信用する。(ニュー・イングランドでは、とメンケン氏は言う、教授に対する憎しみは根っからのもので、「観念の屠殺場として歴史をはじめ、今日では冷凍保存された植物と容易に区別できない。」)メンケン氏は常に論争家であり、そうした意味でちょっと事例を絵画的にし、言いすぎる傾向がある。しかし彼の主要な主張は説得力がある――つまり、知的生活は常に貴族階級の存在に依存しているのである。

2017年11月4日土曜日

オルダス・ハックリレー「(バルザックと社会史)」



1920年に書かれた。

 ここ数か月のあいだ、他の仕事や怠惰による中断はあったが、私はバルザックの作品に熱中していた。しかし、「努力」という言葉はあまりに高貴で、堂々としすぎている。「人間喜劇」をまえにすると、非常に小さな鼠が巨大な月のようなチーズを前にしているような感じになる。齧りとっているが、勇気をなくすので、歯を研ぎ、英雄的に仕事に戻ると、最終的には、長い長い時間を経て、怪物のような月でも知覚できるほどは小さいのだということに満足する。それから六年も経つと、勇敢にも希望を抱き、偉業は達成されることになる。しかし達成には、たゆまぬ努力と衰えることのない食欲が必要である。

 しかし一般的にバルザック風の小説と書きたいものはそれ程多くはない。バルザックの時代に「人間喜劇」をなぜ真似しようとするものが少なかったのか不思議に思われるだろう。フランスにおいて自分の時代の社会史を体系的に書こうとしたのはゾラだけである。英国では、遙か遠くからバルザックに答えようとするものは誰もいなかった。なぜか?と再び尋ねよう。ひとつの理由は十分明らかである。「人間喜劇」を書くには、感受性の広大で表面的な領域を心がけておく必要がある。バルザックのもっとも顕著な心的な性質は、こうである。同時期に異なった生の各諸相を法外な数感じ取れるということである。このタイプの精神は非凡ではない。人間喜劇もまたそうである。しかし、バルザックに匹敵するするものがほとんどいないことの説明、外的状況を見いだすことは可能であり、その説明は、同時に、英国には社会小説という体系を目指すフランス人の壮大な計画がない事実の説明にもなる。

 バルザックのお気に入りの作家はサー・ウォルター・スコットで、そのことはある意味合いをもっている。というのもバルザックの人間喜劇の方法は、歴史小説の方法を現代の生活に適用したものだからである。過去の年代記を振り返ってみると、ある時代の意味深い形式を認めるのが容易になる。望遠鏡で年のなかに秒を見てとると、ゆっくりとしたおぼろげな変化が、時代と時代のあいだの絵のように対照されて鮮やかなものとなる。1920年の英国より1520年の英国を描く方がずっと容易である。以前の英国であればあらゆることの意味合いがわかっており、現代ではほとんどわかっていない。しかし、明白な甚だしさとは対照的に、変化が激しく急激であるために、同時代人にすらその意味が理解できないことがある。そうした時代は社会的小説家を歴史的虚構に招き入れる。それは完全な絵という考えを強いることになる。彼は歴史的以外に考えることができない。

 バルザックの時代はまさしくそうした時代のひとつであった。新世紀の一年前に生れ、年長のものから革命の話やそれ以前の生活の話を聞いた。自分の目でナポレオンの栄光と失墜を見た。彼は王政復古や七月王政を生き、最晩年には第二共和制の誕生があった。五十年の生涯において、蒸気機関の発明とそれがもたらした工業化、広告の発明、キリスト教の再発見、その他数多くの新しい驚くべき事物を目撃した。バルザックのような人間にとって、芸術の本質は明暗法に、暴力と絵画的なものとの対照に芸術の本質があるとするような人間にとって、フランスの十九世紀前半は完璧な主題だった。彼とその時代のあいだで人間喜劇が生まれた。しかし、バルザックを英国人だと想定してみよう。比較的静穏で、劇的なところのない十九世紀の英国は必要な刺激を与えるだろうか。十九世紀の英国の小説家が、バルザックがしたようなことを行なわなかったという事実は、英国風のバルザックには人間喜劇という考えが起きることがなかったという結論に達するように思える。

 断定的に言うことは安全なこともなければ、楽しませるようなこともない。ゆっくりした発達のときにバルザックのようなタイプの歴史家―小説家が現れないだろうといっては危険である。急速で劇的変化の時代に彼は自らの存在を要求する刺激を見いだしたのだといったほうがよかろう。ゾラの時代においてさえ、フランスの歴史は、ナポレオン時代の絵画的なところさえなくしたが、いまだ現代の英国の歴史に比較するとずっと劇的で色彩にとんでいる。

 慎み深い小さな図書館の規則に従って、1914年の戦争と革命、それに伴う繁栄が新たなバルザックを生みだし、虚構のなかにこの驚くべき時代の社会史全体を記録しているかのようである。すでに戦争は歴史をつくりだし、盲目か麻痺した人間でもなければ意識されるような劇的な暴力を伴っていたが、1914年のカタストロフによって生の習慣が変わってしまったことを記録した多かれ少なかれ繊細な大量の小説が出ている。衝撃は激しいものだったので、あらゆる小説家はそのときには社会的小説家となった。歴史的な見地をとることを避けるのは不可能だった。遅かれ早かれ、より大きな精神があらわれ――触手のようにこの時代のすべての表面を覆うような――新たな人間喜劇を得ることになろう。それは内側から書かれた我々自身の時代の歴史であり、個人的で直接的な細部において真理があり、広範囲で意味深い輪郭においても真理がある。そうした歴史を1830年から1850年のあいだフランスで書くことは可能だった。それが今日再び可能になっており、フランスだけではなく、ヨーロッパ全体で可能になっている。もしロシアが十分な食料があり、動物的な必要を満たすだけしか考えられないのなら、バルザックの再生にはロシアを除かねばならないだろう!新たなバルザックは、本来のバルザックのように、人間の魂に興味を抱き、あまりに容易に絵のような光景や単なる政治的運動に目を奪われることは決してないだろう。いずれにしろ、待つ以外にすることはない――忍耐強く。

2017年11月3日金曜日

婉曲な襞の淫蕩さ--スタンリー・ドーネン『芝生は緑』(1960年)

 understatementという言葉がある。辞書によれば、控えめな表現のことであり、アメリカ人のほら話と対照的に、イギリス人特有の言葉づかいだといえる。良いというところを悪くないというようなもので、階級や偽善性によって鼻持ちならないものにもなるが、国民性にまでなるとある種風格が出てくる。それに、もちろん婉曲表現というのは、レトリックの第一歩でもある。

 この映画は監督こそアメリカ人のスタンリー・ドーネンであり、制作国はアメリカだが、イギリスが舞台であり、脚本、撮影、更に劇中の歌詞にはイギリスを代表する劇作家であるノエル・カワードが参加しており、出演者にしても、デボラ・カー、ジーン・シモンズ、そして実は私自身うかつなことにまったく気づいていなかったのだが、アメリカ人俳優の代表者とばかり思い込んでいたケーリー・グラントは、イギリス出身であり、14歳のときに劇団に加わり渡米するまで、イギリスで生活していたので、ほぼイギリス人によってしめられている。もう一人の主要人物であるロバート・ミッチャムはアメリカ人であるが、劇中でもアメリカ人として登場する。『芝生は緑』とは隣の芝は青い、他人のものはよく見える、ことを示している。

 ケーリー・グラントとデボラ・カーはイギリス貴族の夫婦である。貴族とはいっても、優雅な生活を送ることからはほど遠く、自宅の一部を観光客に開放し、妻はマッシュルームを栽培している。いつものように観光客を乗せたバスを迎えるとそのなかにロバート・ミッチャムが加わっている。彼はアメリカの石油王であり、一目見てデボラ・カーを好きになったようで、彼女もまた、あながちそれを拒もうとはしない。ジーン・シモンズは二人の関係をそそのかすわけでも、止めるわけでもない、関心と無関心が入り交じった小悪魔的友人として登場する。夫は鈍感なのか脳天気なのか二人の恋愛に気づいたそぶりもみせない。やがて二人は週末の数日をともに過ごすことになる。しかし、ロバート・ミッチャムが見事に喝破したように、彼は私が君に恋していることを知っているし、私がそのことを知っていることも知っているのだ。しかるに、夫は表立ってなにをするわけでもない。あまつさえ、石油王と妻がしばらく旅行に行くことを提案する。かといって、すでに愛情が冷め切っているわけでもない。やがていつかこのことを思い出したときに、あのとき家を出ていたなら、と後悔することを恐れてのことなのである。つまり、嫉妬のこの上なく婉曲な表現なのだ。

 この映画はスクリューボール・コメディーに対する数十年を隔てたイギリス的な回答だといえる。あるカップルがなんらかの出来事をきっかけに愛情を再確認するという同じ構造をもっている。スクリューボール・コメディーの登場人物は狂っているとしか思えない行動をとるが、そうしたコメディーに多く出演しているケーリー・グラントはここでは表情を崩すことなくいかれた決断をする。スクリューボール・コメディーの女優たちは、キャロル・ロンバートにしろ、クローデット・コルベールにしろ、キャサリン・ヘプバーンにしろ、どこか中性的な、男の子のような魅力をもっているが、デボラ・カーは、実をいうと『黒水仙』で見たことをおぼえているだけなのだが、石油王と数日を過ごした二人が、その実どこまで関係を進めているのか一切触れられないことによってエロティックな存在感を持ち、『黒水仙』の尼僧姿のドレープの襞が、淫蕩さをたたえてこの映画に結びついているようにも思える。

2017年11月2日木曜日

オルダス・ハックリレー「(ゴドウィンとベイリー)」

1920年に書かれた。

 九十年前の古いAthenaeumsを読むことは、悪書が良書より遙かに多いというのが我々の時代だけではなかったことを発見させてくれる。ただ一点だけ、1830年の書評子は1920年の書評子よりも有利である。書評すべき本が少ないのだ。悪書と良書の割合は同じであると想像できる。九十年前の書評子は数百のなかで考えねばならなかったが、我々は数千を視野に入れ、数十を選び出すのだ。しかし今日と比較すれば小さく収まりはするが、1830年の文学雑誌は長々しいナンセンスもあった。Athenaeumの古い号を見ていると、悪書が憂鬱なほどあり、惨憺たる質を備えていることに驚かされる。

 それゆえ、1830年の春にでた『ケレイブ・ウィリアムズ』の著者であるウィリアム・ゴドウィンの『クラウデスリー』に出くわしたときにはうれしく、スリルも感じた。Athenaeumは穏やかな熱狂でこの本に接していた。ゴドウィンは原則的また理論的に賛辞され尊敬されていた。彼は偉人のようなものだった。歴史的な人物で、気高い過去と『政治的正義』があり、幾分喜劇的な円熟した数年があったが、少なくともすばらしく純粋な英国のスタイルで文章を書くことができた。

        著名な作家であるゴドウィンが新しい小説をだすという知らせは[と書評子はいっている]、読書世界では冷淡に迎え入れられた。我々にとっては、それは大きな喜びをもった期待をもたらし、『聖レオン』や『ケレイブ・ウィリアムズ』をつくりあげた思考とスタイルの厳正さを期待したが、いまでは堕落してしまったばかげた偶像崇拝を幾分は取り戻し、厚かましさしかなく、宮廷案内しかもっていない紳士が、流行と政治小説の偉大な生や気のきいた会話を群衆に教えようとしているととられるかもしれない。我々はゴドウィン氏の本を最初に開いたときの息もつかぬような関心を思いだす。か弱い、また魅力を感じさせない登場人物のパトス、抗することができない必然性と戦う気の毒な男、無実であるが罪の苦痛を感じ,壮大なる構想を燃え立つような雄弁で説いた男がアイスキュロス風に描かれている。

 原則的にゴドウィンは讃仰され、その小説は強い「期待の楽しみ」だった。しかし、『クラウスデリー』を読んだ書評子は、正直だったので、ひどい小説だと認めねばならなかった。私は『クラウスデリー』を読んだことがない。無限に長生きする秘密が数年のうちに発見されればともかく、自分の短い存在をなんの利益もないことに費やすつもりがなかったからである。『聖レオン』は1830年の書評子をたいそう喜ばせているが、私が読んでみようとした本の一冊で、その試みは惨めにも失敗した。しかし、『ケレイブ・ウィリアムズ』は私も読んだことがあって、1830年の書評子が伝えているすべては当てはまらないだろうが、楽しく読んだ。登場人物が描けないこと、人間世界の混沌を把握する想像力もなければ、入ることもできない――それらの欠点がゴドウィンをよい小説家にすることを不可能にしている。しかし、ある程度この欠点は政治的確信によって隠されている。『ケレイブ・ウィリアムズ』はある階級の専制君主の悪が別の階級を描いた劇化されたエッセイである。「ザウンズ、どれだけだまされてきたことか!」と正直なトーマスは叫び、彼がケレイブ・ウィリアムズを見たときには、田舎の囲いの野生動物のように、鎖でつながれていた。「英国人となることはすばらしいことだと彼らは語り、自由や財産にについて語った。すべてがペテンだ」

 ゴドウィンが社会生活は「ペテン」だと信じ、「あるがままの事実」(本の副題でもある)を示そうと熱意を燃やすことが彼を成功に導いた。この知的な火の暖かさがこの本をいまだ読みうるものとしている。

 1830年、『クラウズレリー』があらわれたとき、ゴドウィンは完全な死火山だった。四十年前、彼は予言者であり、高貴な精霊に霊感を得た声だった。いまでは無害で陽気な老紳士に過ぎない。憂鬱で不条理なのは、かつて有名だった人間の灰がパンテオンに運ばれ、当然のように埋められ、忘れ去られることだ。ゴドウィンの場合はより顕著な例で、その初期の名声によって後の世代までも生き残った。フィリプ・ジェイムズ・ベイリーは『フェストゥス』を1839年に出版したとき二十三歳だった、彼は1902年に死んだ。

 ベイリーは数多くの偉大さをもっていたが、外観も同様だった。1848年に彼の胸像が披露されたが、シェイクスピア風の眉と、高く険しい、大きくなにかに熱中しているかのような眼に、頑固で硬く引き締まった口、それに多量の可憐な髪の毛があった。(ところで、現在なにか欠けていると思われるのは、偉人が、現代の人物ならとうぜんのことだが髪飾りをしていないためである。髭や頬髭にライオンのような鬣があって、偉大なヴィクトリア人は見間違えようもないが、今日では偉人を見分けることは不可能である。) 偉大な容貌ばかりではなく、ベイリーは偉大な外観を備えており、英雄的エネルギーにおいても偉大だった。彼は恒星間に住いし、天使や悪魔と親しんでいた。彼は高邁な見地から人間と運命を見て、教育的となることを恐れなかった。([真の哲学があるところ/それを教えるのは喜ばしい」と彼は率直な喜びを持っていっている。)そして彼は長さも恐れない。しかし、彼の想像力にはまったく正しくないところがある。詩に変えるとき、彼の巨大な観念とエネルギーは色をごてごてと塗りつけた織物になる。最良でも、この織物は非常によい織物にとどまる。けばけばしい比喩と華麗な文章は楽しく読める。あらゆるところに「液化した平野に/沸きたつ炎に沈みかつ浮び/山のような巨大な火の気泡が放浪する。」

 容易にこのたぐいのものが数多く見てとれる。より優しく、より叙情的な瞬間においては、ムーアが手を込んで洗練させたよりも甘美な流麗さを示すことができた。ここに彼の歌のひとつがある。

        愛する人よ、私はあなたを朝方の夢に見た
        詩人は明けの夢が近づいた
        私は目覚めて、それらをあざ笑った。
        あなたの目の瞬きによってそれは黒くなった
       
        愛する人よ、昼間にあなたの夢をみた
        あなたの魅力によって眠る私に涙が流れた
        夢が消え失せたとき私は起きた
        私の涙は腕を濡らしていた

こうした詩行なら、片手間でもできよう。

  『フェストゥス』は1839年に公にされた。(Athenaeumは一般的に称讃の声が上がるなか、唯一不調和ともいえる声を上げている。「発想は『ファウスト』の窃盗であり、詩に対する不敬の念に満ちており、詩とはほとんどいえない。」)それはベイリーがもともと書いた作品を見ているのかもしれない。というのも、長い余暇のある生活のなかで、以前に引用したような百ものミルトン風の詩をつくりあげ、1889年の五十周年の記念版では『フェストゥス』は四万行の作品になっているからだ。それ以後、ベイリーがその別れのなかで人間性を強く懇願したのも無駄になった。

        世界よ、これを読んでくれ、書いた者はあなたのために死ぬ
        しかし生命は葉のなかにあり、霊感を授けられる
        夜も昼も、思考は助けられず、望まれない
        心臓を流れる血のように、研究の過程で
        魂の棚を通りぬけ、いる場所は
        ひどく高くなった

2017年11月1日水曜日

オルダス・ハックリレー「(プルーストとベストセラー)」



1920年に書かれた。

 「文学の報酬」――馥郁として華麗で、文章の隅々にまで行き届いたものがある。題名がふくれ上がり、たまに入る金が重要になる――不自然にも!金が食物や衣類に変われば、高貴なものから不足で乏しいものになる。我々――貧しくはあるが正直で、あるいは、知的でそれゆえに貧しい――「文学」の報酬を汗の結晶とすることは皮肉な攻撃をつけ加えることになる。しかし、文学の真の報酬は、ここでうらやましがっていることの千倍も一万倍にもなるものを避けられずには達成できないものなのだ。

 結局、自分自身にいうように、我々は十分に知的で、ユーモアの感覚ももっている。なぜ我々はベストセラーの著者たちのゲームで彼らを打ち倒さないのだろうか。「健全な恋愛小説やウィルコックス的な一巻をものにすることは打ち勝ちがたい困難であるはずはない。唯一試みることが問題である。

 天才とその「天才的な」作品は軽蔑され、誤解され、ベストセラーを書いて生計の資を得るものは虚構においてはよくある登場人物である。しかし、真の生活においては、存在するだろうか。いささかの疑いをもつ。三流のジャーナリストが通りのよい小説を書くということは数多くある。真の長所をもった作品と真に悪い作品を同時に書くものはほとんどいないし、聞いたことがない。ヘンリー・ジェイムズが余暇を利用してナット・グールドの小説を書くことなど可能だろうか。あるいはイェーツ氏が「笑いと君たちを笑う世界」を書くことによって詩人になるようなぜいたくがあり得ようか。どれほど懸命に努力したにしても、彼はその仕事を不可能だと理解しただろうということは確信できる。しかし、天才は例外的である。我々のように貧しく、正直な人間で、天才でもなければガルヴィスでもない、ある程度の知性を持つ教養と才能のある人間には関わらないことである。確かに、我々も忍耐力と巧妙さがあれば、いくつかの金の卵を生みだす文学上の鳥を羽化させることができるかもしれない。しかし違う。もし自然が才能ある人間に梯子となるものを与えなくとも、教育はまっとうな人間には同じことをするだろう。するがままにまかせても、彼は健全な恋愛小説は決して書けないだろうし、その戯曲は千一夜も上演されなかっただろうし、韻はやすっぽい版で売られているようなものにはならないだろう。

 プルースト氏の魅力的な小説の読者なら、この本のなかでおそらくはもっともすばらしいエピソード、スワンが社交界の中心であるヴェルデュランの夕食の席で、不運な恋愛へと溺れていくのを自覚する様子をおぼえているだろう。ヴェルデュラン家は――英国で匹敵する者がいようか!――金持ちで、最上流とは言わないまでも社交界で活発に動きまわり、知的な衒いをもっていた。十分な蓄えのない社交界で交際したがる人間は、ゲームを保護し、動物園の動物のように標本をつくろうとする――二流の科学者、教授かなにか、天才的な子供や悪い画家には無関心で、ブルジョアの一員で、インテリゲンチャだとも思っている、この陰惨な仲間のなかで、スワンの公正なセックスに対する嘆かわしい弱さが彼をおびき寄せる――洗練された教養をもつスワン、貴族主義的なスワン、その知的繊細さは山のようになった羽布団のなかで、もみくちゃになった薔薇の葉でなければ眠れない王子のようである。プルースト氏は不満足な状況を描くのにも、繊細で手の込んだ技法を用いる。我々はスワンが教授の冗談をか弱く苦痛に満ちた様子で笑い、悪趣味の誇示にも皮肉にならないようにし、入りくんだ言葉や反復やあきらかな観念の労働の残酷さにたじろぐ。

 文学や劇作のなかで実際に人気があるのは、我々の多くは、ヴェルデュラン家のなかにいるスワンのようなものだと感じる。我々は教育をこうむり、それは幸運であることもあれば、不運であることもある。遠慮や慎みを旨としていても、ベストセラーや舞台の成功に常に、また深く衝撃を受ける。我々の繊細な心的な素質は乱脈な情緒に陥りがちである。塩が傷口にすり込まれるように、明白なものが我々にすり込まれ、我々は縮みあがる。実際、我々の感受性があまりに優しすぎるのかもしれない。ワーズワースが『叙情的バラード』の序文で言ったように、「人間精神はいちじるしく暴力的な刺戟なしにも興奮し、彼は知りもしない非常に微かな美や威厳をもつはずであり、それ以上を知らなくとも、自分がその可能性を有しているように、高揚する。」しかし、人間は、甚だしく暴力的な感情からではなく、どのようなものであれ、明らかで直接的な感情から高揚することもあれば、萎縮することもある、結局のところ、彼はハイブロウとなるだろう。現在のところ我々がみているのは、あまりの多くの人間が一般的な人間よりもずっと高い位置に自分を置こうとしていることである。

 しかし、これは我々の主題からの脱線である。我々が自ら問わねばならないのは次のことである。スワンはヴェルデュランを真似したら、露見を免れただろうか。上流、あるいは中流の人士はその自然な疑念を押さえつけ、嫌悪に打ち勝ってベストセラーを書くだろうか。非常に疑い深いように思える。道徳的な努力に成功したところで、恥ずかしがり屋の男が通りで服を脱ぐような試練をしたとしても、安っぽい感傷への不愉快さをどうにかできたとしても、皮肉な眼をなんとか押さえつけられるだろうか。いいや、物事をうまくするには愛情と確信がなければならない。そのカテゴリーのなかではうまくいき、買ったものには評判になるかもしれないが、それらは成功はしないだろう。愛や確信は作品のなかに入り込み、愛と確信はまさしくハイブロウが物事のなかに入れることのできないものなのだ。文学の光り輝く報酬は地平の彼方に蜃気楼のように立ち、誘いながら手には入らないものである。