何十年かぶりにようやくモンテ・ヘルマンの『断絶』を見返すことができた。
1971年の映画で、公開当時にみたとは到底思えないので、大学生のころにビデオでもみたか、あるいはテレビでみたようなこともあるかもしれない。おぼろげに印象に残っていたのは面白かったということとロード・ムーヴィーであることと、道路にたたずむ男の姿だけだった。更には、邦題に引きずられたのか、中年男と若者との「断絶」の話だということくらいだった。
しかしなによりもまず、『断絶』は車の映画である。不思議なことに、子供のころはミニカーを集め、襖には車のシールを貼りまくり、道路を走っている車の車種をすべて言い当て、スーパーカーの展示会には幕張まで行ったにもかかわらず、いま記憶に残っているのは形状が明らかに異なるランボルギーニ・カウンタックくらいなのだ。免許を取らなかったことがあるかもしれないが、その理由ははっきりしていて、暇さえあれば酒を飲んでいた私は、運転することなどないと思っていた。いまはまったく酒を飲んでいないので、免許くらい取っておけばよかったな、と思わないでもないが、もともと余り注意深くないので、免許があったなら、とっくにこの世にいなくなっていたかもしれない。
そのためばかりでもないだろうが、車についての映画、特にバート・レイノルズが主演していたような映画群についてはぽっかり穴があいている。それゆえ、印象に残っている車についての映画といっては、ウォルター・ヒル『ザ・ドライバー』、タランティーノ『デス・プルーフ』、レフン『ドライヴ』くらいである。
『断絶』の主人公たちはレースを続けながら、アメリカ大陸を横切っていく。レースといっても、ヨーロッパ風のドライビング・テクニックが大いに必要とされるような曲折に富んだものではなく、スピード勝負の直線コースである。ときどきテレビなどで見て、なにが面白いのかと思ったものだが、古い車種を改造して、どれだけ抵抗をなくし、車体に見合ったエンジンを載せるかと考えはじめると、この映画の主人公がそうであるように、どれだけストイックになってもなりすぎることはない。
彼らがそうして転戦しているうちに、若い女と中年男が加わることになるが、恋や深い愛情に発展することもなく別れていく。敷かし、それを「断絶」といってしまっては映画を不必要に深刻めかすことになり、むしろ日常にあるのはそうした小さな擦れちがい、触れあいであり、もちろんそれは映画の主題とはならないと思われてきたので、映画史的な「断絶」はあるかもしれないが、そうした日常を描くことが珍しくなくなった今日からみれば、単純にとても面白い映画である。
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