2013年8月12日月曜日

大手拓次

 『鬣』第3号に掲載された。

 大手拓次の詩には手のモチーフが頻出するが、その断片を組合わせてつくってみた。




白い宝玉の手に掘られた土のなかに柔らかい壁で区切られた部屋がある。扉は二つの青い手に抑えられているその青は深い海の青で、赤くふくらんだ大足が緋の衣笠を覆うぬるぬるした手にあたる。地面の手でぬかるみを探ると屈んだ足の傾斜があやしいよろめきを誘って身体は扉の手のなかへ巻きこまれ、手のひらの海に海の深い青にかなでられ押し出される。部屋にあるのはなまめいた手がもつサイネリアにイスピシア、誰のともしれないしろいやわらかな足をみがいているくさりにつながれたふたつの手。銀と黒との手の色は思いでにはにかむあしのうらをしずかにかいているようでもあるし、かすかにふるえる腱のふるえの伝わった手がほそいうめきをたてているようでもある。水をくぐる釣針の手がほのしろく部屋を照らし、柔らかな天井には春の日の女の手が滲みでていた。街のなかを花とふりそそぐ亡霊のようにあまたの手がむらがる寝台に横たわると、天井の春の日の女の手からは水草のようにつめたくしなやかな手の滴があをあをあをあをと降りかかる。あをあをの手が首に胸に腹に腿に踝に積もりもつれもつれる手の重なりが肌にしみこんで、水草のあをあをのみずからでた魚のようにぬれた手が肉を揉み筋をまさぐり宝玉の骨を磨き芳香の髄に沈むと、くさりとともにさらさらと鳴っているふたつの手がおびただしいあをの手に覆われ柔らかく沈み込む寝台に横たわっているわたしの、したたりに満ちた水草の手があまたむらがり覆っていない部分大理石の両手を、くさりとともにさらさらと鳴っているふたつの手がつかんでしろくつややかな大理石の手を組ませると、あたかも春の日の女の手に祈りを捧げているかのようなわたしの合掌の手のひらはくずれて水となり、柔らかい壁で区切られた部屋はしたたりぬれた水草の手でいっぱいになる。

 わたしはこれらの指と指とのもつれる香に、わすれられたる、またいまだ来らざる幽霊の足あとをみいだすのである。

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