2013年8月11日日曜日

花田清輝とバビットのフラン・ヴィタール

 『鬣』第2号に掲載された。




 花田清輝の『アヴァンギャルド芸術』、『さちゅりこん』、『胆大小心録』などといった著作を読むと、時に、バビットという名前を認めることができる。アーヴィング・バビットは一八六五年オハイオ州に生まれたアメリカの批評家、生涯の大半、ハーバード大学でフランス文学を講じ、一九三三年に死亡している。

 花田清輝がバビットの名を持ちだすときに、必ずと言っていいほど付いてくるのが、バビットの造語である「フラン・ヴィタール」という言葉である。フラン・ヴィタールは、ベルグソンの用語エラン・ヴィタールに対抗してつくられた用語で、エラン・ヴィタールが「生の活力」や「生命の躍進」などと訳され、生の遠心的に拡大し、飛躍する力をあらわすのに対し、フラン・ヴィタールは「生の統制」であり、生の求心的に収縮し、組織する力をあらわす。エラン・ヴィタールの対抗概念ということから、フラン・ヴィタールを、なにか、生にとって破滅的な力、例えば、フロイトの死の衝動のようなものと考えるのは間違いである。ベルグソンのように生の本来をもっぱら遠心的な拡大のうちに認めるべきではなく、むしろ、求心的な組織する力に認めるべきだというのがバビットの真意である。

 花田清輝が、バビットを正面切って論じることはなかったが、『胆大小心録』に収められた「エランとフラン」などはバビットとそのフラン・ヴィタールという考えを最も大きく取り上げた文章ということになろう。そこで花田清輝は、国家や社会を生物とのアナロジーにおいて捉える、或は生物そのものとして捉えるスペンサー、フロベニウス、シュペングラーといった思想家や歴史家がもつ生命観を批判している。

 彼らが国家と重ね合わせて見ている生命とは、つまりは拡大膨張する生命でしかなく、ある国家や文化が拡大膨張をやめたとすれば、そうした国家、文化は既に生命本来の力を枯渇させているのであり、後は衰弱し没落するしかないことになる。花田清輝はバビットのフラン・ヴィタールを、こうした、あまりに単純で、それでいて無批判に信じられ、拡がっているようでもある生命観に対する解毒剤と考えていたようである。

 思うに、バビットが、わざわざ、フラン・ヴィタールといったような言葉を持ち出したのも、ベルグソンのエラン・ヴィタールを、文字通り、生命の衝動として受け取ったかれが、ベルグソンに反対して、そういう衝動的なものよりも、いっそう、われわれの生活にとって根源的なものであるとかれの考える、拘束し、統制し、組織していくものの存在を、大いに強調する必要があると感じたためであろう。
  もっとも、バビットのベルグソン批判が、すこぶる俗流的なものであったことは、『ルソーとロマン主義』の中で、かれが、直感を二つの種類に分け、エラン・ヴィタールを下理性的直感に、フラン・ヴィタールを超理性的直感に結びつけていることによっても明らかである。本来の意味におけるベルグソンのいわゆるエラン・ヴィタールが、直ちに超理性的直感に結びつくものであることはいうまでもない。しかし、ベルグソン批判としては的をはずれているにせよ、生命に、遠心的に、膨張し、拡大し、飛躍していこうとするエラン・ヴィタールのはたらきと、求心的に、収縮し、集中し、固定していこうとするフラン・ヴィタールのはたらきとを認め、本能・感情・欲望・衝動等を前者の――習慣・理知・計画・規律等を後者のあらわれとしてとらえ、人間の生命を人間以外の動物の生命から区別するものは、フラン・ヴィタールであって、エラン・ヴィタールではないと主張するバビットの説には、確かに、近代人の生命感の盲点を、するどく突いているようなところがある。   (「エランとフラン」)

 それでは、『ルソーとロマン主義』(一九一九年)で、バビットが二つの直
感について論じている一節を引用してみよう。

 「適度な釣り合いなど我々には場違いなものだと認めよう」とニーチェは言う、「我々が真に欲するのは無限であり、測ることのできないものである」と。人間の本性を求める者が適正な均衡をいかにして失ったかを見ることは容易い。美徳というものの九割近くに関わる自己抑制を自ら進んで犠牲にしていることによる。超人はその力への意志のために抑制の徳などは顧みないので、均衡を取り戻すことは到底ありそうもない。超人がするのは、彼が他者
や自分自身に認めた過剰なるものからその正反対の過剰に激しく揺れ動くだけのことであり、どちらにしてもそれは文明の倫理的な基盤に対する差し迫った危機である。過去において、模倣の、参照の対象となった原型や範型は、欲望を抑制し、均衡を与えるものであったのだが、ニーチェが言うように、無限への熱望を満足させないという理由だけではなく、既に見てきたように、統一や直接性への熱望も満足させないという理由のために、どんなタイプのロマン主義的拡張論者にも無視されている。十八世紀に完成された諸形式に関する限り、ロマン主義的な拡張主義者が異議を申し立てるのも正当な根拠がある。しかし、この時期の合理主義や人工的な作法が満足すべきものではないにしても、分析的知性や作法一般について攻撃を加え続けるのであれば、それはまったく不当なものである。反対に、個人の特異性が強調される時代、伝統が断たれ、より想像的、直接的なものが求められる時代には、特異性を増加させる力は決してそれほど必要ではないことを認めるべきだろう。想像的であり直接的であるにも様々な方法があり、分析は、抽象的な体系を打ち立てるのにも必要だが、経験から得られた実際のデータを判断し、賢明で幸福でありたいと願うならどうしたらいいかを決定するのにも必要なのである。過去との連絡が断たれ、個人主義的なこうした時代にこそソフィストたちが言葉をたくみに操りだすが、そうした手妻から身を守る唯一の方法は揺るぎのない分析の力を借りてソフィストたちの使う言葉を定義することである。ベルグソンは、フランスには二つの主要な哲学のタイプ、一つはデカルトまで溯れる合理主義的なタイプ、もう一つはパスカルにまで溯れる直観的なタイプがあり、自分は直観主義者である限りにおいてはパスカルの系統にあると我々に信じさせようとする。恐るべき詭弁がこの単純な主張には潜んでおり、この詭弁は、もし正されないなら、文明を破滅させるのに十分なものである。唯一の治療法は直観という言葉を定義することであり、そこから派生する下合理的直観と超合理的直観とを実際に即して区別する必要がある。分析し定義してみれば、下合理的直観は生の衝動(エラン・ヴィタール)と結びついていることが見い出され、超合理的直観は生の衝動を超えた生の統制の力(フラン・ヴィタール)に結びついていることがわかろう。更に、この統制とは、人が、夢ではない現実の世界の共通の中心に引き寄せられるときに行使されなければならないのは明らかなことだろう。従って、分析する人間が物事を、断絶のうち、死んだ、精神を欠いたものと見なければならないというのは真実とは程遠く、個人主義の時代においては、人は分析においてのみ真の統一への道を得るのであり、想像力の役割もまたこの統一を達成することにある。人は分析によって(ある時代の単なる慣習に過ぎないものとは異なる限りでの)衝動を制するのに役だつ典型的な人間の経験の中心を見い出すが、それは想像力の助けを借りて始めて理解することのできるものなのである。別の言い方をすれば、普通一般の自己というものがある現実とは、固定された絶対的なものではなく、幻影のベールを通してしか垣間見ることのできないものであり、幻影と分かつことのできないものだということである。この洞察は、理性による決まりきった手順によっては結局公式化することはできない。知的な観点を超越するこの洞察は、それ故、外に無限に広がる欲望とはまったく異なった意味においてではあるが、無限であるように思われるのである。

 このように、少なくともベルグソンによれば創造性に結びつくはずのエラン・ヴィタールが下合理的直感、つまり合理性以前の衝動的な直感に分類されてしまっては、もはや、批判対象であるはずのベルグソンはどこかに消え失せ、後にはフラン・ヴィタールを主張するバビットの姿だけが残ることになる。確かに、その著作を読んだだけでもバビットの教養の広さは十分に想像することができる。専門であるフランス文学はもちろん、ギリシャ・ローマの古典から英米文学、仏教や儒教にまでその知識は及んでいる。しかし、実のところ、なにについて論じようと、ベルグソンという名前がルソーになろうがワーズワースになろうが、バビットの主張はただ一つ、人間にとって必要なのは、遠心的膨張的なロマン主義ではなく、求心的統制的な力であり、文学について言えば、古典や伝統に規範を求めるべきだということなのである。どんな作家も思想家も、バビットにとっては傍証の役割しか果たしていない。ある作家との出会いによって思いがけなくも自説が変容してしまうような瞬間はバビットにはない。知識が遠心的に拡がれば拡がるほどバビットの主張は求心的に収縮し、まさしく自らの思想を体現していると言える。それ故、恣に拡がろうとするロマン主義の解毒剤としては有効かもしれないが、バビットを読むことには同じ円をぐるぐる廻るような退屈さを伴うことを否定できない。

 したがって、バビットが本当に面白くなるのは、そしてフラン・ヴィタールという用語が生動しはじめるのは花田清輝の文章においてである。例えば、『アヴァンギャルド芸術』のなかの一篇「ユーモレスク」はピランデルロを論じた文章だが、バビットにおいては固定化された教義であったフラン・ヴィタールが見事にアクロバティックな運動を見せてくれる。

[ピランデルロのような]グロテスコ派にとっては、エラン・ヴィタールとフラン・ヴィタールとの相克それ自体が、かれらの唯一の生の現実であり、そうして、それらの二つの生の対立は、判断中止におけるごとく、均衡状態において静止するようなことはなく、相手を倒すか、みずからが倒れるかどこまでも闘争しつづけているからである。本能、感情、欲望、衝動の奔流が、これに対抗しようとする理知や信念や良心や決意を、一挙に呑みつくそうとして殺到する。そこで、それらのものの相克の結果、社会的には、法律、習慣、伝統、因習、道徳、等々が、エラン・ヴィタールの激流をふせぐための、フラン・ヴィタールの堤防として、次第につくりあげられてゆくのだが――しかし、転形期においては、この堤防が、相当、脆弱になり、方々破損していることはたしかであり、或る日、突然、それが、ガラガラと崩れ去り、逆巻く波のなかに姿を消してゆくようなことが、しばしば、おこる。さきにも述べたように「仮面」が「顔」から落ちるとはこのことだが、グロテスコ派の作品においては、こういう悲劇的な光景が、徹頭徹尾、知的に、喜劇的観点からとらえられており、それらの作品は、わたしたちの肉体派の浪漫的な作品におけるがごとく、決してエラン・ヴィタールの勝利の賛美におわることなく、逆にフラン・ヴィタールの敗北を描くことによって――おのれの知性の限界をすれすれのところまでたどり、辛辣な自己批判を試みることによって、そういうきびしい試練に堪えることのできる、たくましい作家の知性の存在を証明し、かえって、フラン・ヴィタールの勝利を描いているようにさえみえる。つまるところ、かれらは、つねに、浪漫的現実にたいしては、古典主義者として――古典的現実にたいしては、浪漫主義者として立ち向い、浪漫的なものと古典的なものとの対立を、対立のまま、統一することによってガルガンフモールのみなぎっている、独自のバロック世界を形成するのである。

 花田清輝にとっては、エラン・ヴィタールもフラン・ヴィタールも生の躍動の一側面であり、生や文章の跳躍台でこそあれ、到達点ではない。

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