2013年9月6日金曜日

ある種の性格の類型

 『鬣』8号に掲載された。





チェコスロバキアのスターリン主義者、ノボトニーについてこんなジョークがある。

大統領ノボトニーと兵士シュヴェイクの相違は?シュヴェイクは利口なのに馬鹿のふりをしている。

問題はそこにある。シュヴェイクは馬鹿なふりをした利口なのだろうか。シュヴェイクはチェコスロバキアの作家、ハシェクのつくりだした人物で、第一次世界大戦に従軍する。もちろん、優秀な兵士としての働きをするわけでもないし、一つの歯車として集団の効率を上げるのに役立つわけでもない。だが、確かに、だからといって馬鹿だとも言い切れないのは、単なる馬鹿ということではよっぽどそれらしい人物がシュヴェイクの兵隊仲間にいるからもある。

食べることしか頭にないバウロンや上官風を吹かせることだけのために生きているようなドゥプ少尉がそれで、どんな情況にあっても食べることや威張ることしか考えない彼らの頑迷さはごく自然に馬鹿と言うのに相応しい感じがする。

それでは、シュヴェイクは、常識や慣習に従うことができないために、そうした外皮の内側にある人間の本性についてより多くの真実を伝えてくれるようにも思える落語の与太郎の仲間なのだろうか。ところが、シュヴェイクには赤裸々な人間性がうかがわれることはない。むしろ、人間的な関心は、彼の全体から発散される光り輝くような「無関心さと無邪気さ」に跳ね返される。それ故に、人間性をあらわす利口にも馬鹿にも収まらない。

シュヴェイクはのべつ上官に怒られるが、反抗的なわけではない。彼の応答のパターンは決まっている。申しあげます、その通りであります、それについてはこういう話があります、と言って、問題になっていることと関係のあるようなないようなつかまえどころのない話をしはじめる。

ここで、ハシェクと同じ年に生まれ一年後に死んだもう一人の作家カフカを思い出してみよう。『兵士シュヴェイクの冒険』は思いのほかカフカの、例えば『審判』に近しい。シュヴェイクが軍隊に入るきっかけとなるのはなんの罪もないのに逮捕されたことにある。しかし彼は、「どこのだれそれが無実であろうがなかろうが、そんなことに気をとめる人なんぞどこにも、またいつの時代でも、いっこありませんよ」とさして気にしない。カフカの主人公は不条理な情況から抜け出そうと人間的な努力をするが、シュヴェイクはそれを無関心に受け入れる。といってそれを堪え忍ぶわけではなく、こちらも機械のように、とらえどころのないわけのわからない話を吐きだし続ける。

    それから鉄砲の弾丸を腹に受けるのも悪くないですな。でももっと乙なのは、大砲の弾丸をまともに受けて、足や腹がからだからばらばらになるのをわが目で見るときですね。なにしろ、だれかこの現象を説明して聞かしてくれる者がいないかと思っているうちに、死んで行くのだから、妙な気持ちでしょうな (栗栖継訳)

0 件のコメント:

コメントを投稿