2018年4月20日金曜日

6.流動と旋回――花田清輝『復興期の精神』



 1946年に我観社より刊行された。我観社は同年発足した真善美社の前身であり、真善美社はこの本の出版によって始まった。第二版はすでに真善美社刊となっている。収録されたエッセイのほとんどは戦前、戦中に『文化組織』に発表された。

 『文化組織』では「ルネッサンス的人間の探求」というテーマのもとに連作されたが、いわゆるイタリア・ルネッサンス期の人物はダ・ヴィンチとマキャベリぐらいしかおらず、ソフォクレスやアリストファネスの古典ギリシャの時代から、ダンテ、ヴィヨン、ルイ十一世をへて、ゴーガン、アンデルセン、ガロア、ポーにまで及ぶ広範囲なもので、晩年の『日本のルネッサンス人』が室町時代から安土桃山時代を扱ったものであることを思うと、結局のところ、花田清輝にとって変革期にあると自覚することは、人間の実存的な要諦のようなものであって、この自覚を失ってしまうと、これが安部公房なら棒にでもなるのだろうが、花田清輝は周到にそうした寓意化を避けているところがあって、「天体図――コペルニクス」で書かれているように、「何故か私には転向といえば、常に堂々たるコペルニクス的転向のことを指すべきであり、誰でもがする現在の転向は、断じて転向という言葉によって呼ばるべきではないような気がするのだ」といいながら、かといって二十世紀の転向者の群れを侮蔑するつもりなどはなく、二十世紀の転向が紆余曲折へた結果であるために何やら悲劇的な色彩をもっているのに反し、コペルニクスの転向は朗然とした転向であり、闘争の拒否の上に立って、隠然と行われた颯爽としないものなのだが、派
手な闘争を繰り広げる現在の転向者は颯爽としているかもしれないが、「どうして颯爽とすることが立派なことなのであろう」、吠える犬は嚙みつかぬというように、闘争は逃避の一手段として採用されることもあるのだと、転じる文章に明らかなように、変革期は文章を転回させ続ける原動力に過ぎない。

 マルクス主義者で、ユートピアについて言及が多いのは、アメリカの批評家フレデリック・ジェイムソンと並んで、双璧をなす。このエッセイではトマス・モアも論じられているが、コロンブスをユートピア物語の作者に比しているのが面白く、新大陸を目指すコロンブスの姿には「空間に対する愛情、時間に対する憎悪」が貫かれているが、時間と空間を分離するのは抽象に過ぎず、新たな空間を見いだしたと思う途端にそれは手垢にまみれ、記録され、人間化される「空間化された時間」に変じてしまうものであり、コロンブスの憎悪の対象は時間そのものを絶縁することが無理な相談である以上、むしろそうした「空間化された時間」にあり、彼の空間に対する愛情とは、「旋回し、流動する空間」、つまりは「時間化された空間」にあったのではないかと進むか所などは、歴史的に正しいかどうかはともかくコロンブスに対する新たな発見であり、ついでに花田清輝自身の文章論にもなっているのでますます面白い。

2018年4月19日木曜日

5.色彩にあふれた曖昧な対象――泉鏡花『龍潭譚』





 明治29年11月に発表された。

 躑躅が盛んに咲いているというから、夏にはまだ至らない4,5月のことなのだろう。優しい姉に一人で外にできてはいけないよ、といわれていた幼い弟が、山というのほどのことないだらだら坂の続く岡を上ったり下りたりしているうちに、ハンミョウを殺し、触れた部分がかゆくなり、ハンミョウに毒があったかしらと思うが、それはともかくとして、姉のもとに帰りたくなって帰り道を探しているうちに、強がって同学年の子供たちが遊んでいるかくれんぼの仲間に入るが、鬼になった瞬間誰もいなくなってしまい、もはやすべてが怖くなって、姉たちが探す声にも答えることができないし、どうやら姉も自分の姿を認められないようだ。

 すっかり暗くなって途方に暮れたとき、美しいもう一人の女性に庇護され、添い寝して乳房まで吸わせてもらう。五位鷺と戯れ、暗がりのなかの叫び声のようなものに叱責をあびせかけること、寂しいので顔に触れてみようとするが、なぜか指先は顔に届くことがないなど、この女性、この世の尋常の存在とも思えない。やがて暴風雨がこの村を襲い、谷は淵となり、池となってしまった。

 少年を庇護する女性は、水神とも、あるいは龍神とも、そのどちらでもないより限定的な力しかもたない妖精のような存在だとも考えられる。少年が初夏にかかろうとする若い芽吹きと草いきれに当てられて、白昼夢のようなものを見たのかもしれない。かくのごとく鏡花の作品は曖昧にできている。しかもそれは物語の要請、つまり、曖昧にすることによって小説に深みをだし、効果的にしようなどという技法とは無縁だろう。

  別の言い方をすると、鏡花の文章は決して読みにくいものではないのだが、主語が必ずしもはっきりとしないこと、花の色彩や自然の変化が登場人物の会話や行動を曖昧にするまであふれることによって、過剰露出に見舞われたレンズのように、あるべき正常な姿をとらえられずに、夢のような非現実感をまとうことになる。別の角度からいえば、この作品に出てくる少年も姉も庇護する女性もまた、同じような非現実感に包まれているといえて、非現実感とは小説にとって必ずしも欠陥であるとはいえないことを示している。
 

2018年4月6日金曜日

4.そのものの海――坂口安吾『私は海をだきしめていたい』



 昭和22年1月1日発行の『婦人公論』の文芸欄に発表され、真光社から昭和22年に刊行された『いづこへ』に収められた。

 筋らしい筋はなく、

 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局地獄というものに戦慄したためしはなく、馬鹿のようにたわいもなく落付いていられるくせに、神様の国を忘れることができないという人間だ。私は必ず、今に何かひどい目にヤッツケられて、叩きのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様に落されてしまうと時があると考えていた。

と常々思っているような男が、女郎から酒場のマダムになって「私」と生活するようになった、不感症で貞操の観念のない女にある種の救いのようなものを感じる。なかでも圧倒的なのは、表題にもなっている、最後のエピソードである。二人で海岸に散歩に出る。女はものすごい荒れた海であるのに、波の引き際を待って貝殻を拾っている。それを見ていた私は、「大きな、身の丈の何倍もある波が起って、やにわに女の姿が飲み込まれ、消えてしま」う一種の幻覚を見て、その美しさに呆然とする。

 私は谷底のような大きな暗緑色のくぼみを深めてわき起こり、一瞬にしぶきの奥に女を隠した水のたわむれの大きさに目を打たれた。女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。海という肉体だった。

 そして、「私は海を抱きしめて、私の肉感が満たされてくれればよいと思った」と感じる。男は不感症の女をもてあそぶごとに女の身体が透明になってきたのを感じていたのだが、それは私の感情にも情欲にもなんら反応しないがゆえに獲得される透明さで、反応のない孤独さのなかではじめて鳥や魚や獣のように、その透明さのなかを遊弋できるように思う。この女の透明さは海の透明さに直結しているものであり、反映と戯れるナルシシズムとも、閉じられた世界とも無縁なもので、誤解すべきではないのはこれはいわゆるニュー・エイジ的な自然との一体感などとは無縁のもので、そこでは人間世界が自然の一環として組み込まれているだけで、意識や人間存在は守られているのだが、ここでの海は人間などには無関心な残酷や無慈悲といっては擬人化しすぎているただの自然で、『勉強記』などによると若い頃にがむしゃらに仏教の勉強をしたようだから、あるいはその影響はあるかもしれないが、一足飛びに悟りや涅槃に飛躍してしまう仏教とも決定的に異なっているのは、冒頭に引用した文にあるように、安吾が善悪の彼岸を目指しながらも、神様の国と地獄が隣り合わせにあるような倫理的な場に常に立っていたことにある。

2018年4月5日木曜日

3.庭という世界劇場――林達夫『作庭記』



 初出は未詳であり、岩波書店が1939年7月に刊行した『思想の運命』に収録された。第二次世界大戦が始まった頃、あるいはどちらにせよ、参戦にどんどん傾いているなかで書かれたものであるのは確かで、

身についた「外国感覚」(サンス・ド・トランジェとルビがふられている)などは振り落とす方がいい時世でありながら、私の場合、歳とともに「日本的事物」がだんだんと縁遠いものになってゆくのを見るのは不幸である。

という一文から始まり、外交官の父親をもち、2歳から6歳までシアトルに暮らしたのであるから頷けることでもあるのだが、

却ってかつてはあれほど嫌いだったアメリカという国がこの頃になってひどくなつかしいものになってきたりして、建築などでもオールド・イングリッシュに劣らず、アーリー・アメリカンが好ましいものに思われ出してきた。

としれっと書くのだから、肝が据わっている。そのアメリカとは、永井荷風が『あめりか物語』に描いたような、西海岸の北寄りの霧深い林地であり、そうした地方のことを歌にしたマクダウェルの歌曲を聞くと、日本の子守歌以上に心のどこかが揺さぶられるのだという。

 そして、近頃小さな庭を作ることを手がけているが、日本庭園が世界的に評価されていることは知っているが、まったく心を惹かれず、むしろ「平凡な、時として幼稚でもある西洋風庭園を幾十坪かの地面に再生しようとしている」ことを述べ、いかにも大知識人らしく、ベーコンの『随筆集』などをひもとくのだが、それは「真に王侯にふさわしいものについて述べ」られており、いったい、西洋の古い時代の庭造りに関する文献には王侯向けのものが多くて参考にならないものだそうだが、結局古雑誌のなかで見つけた、ワシントンのカトリック寺院の造園記録が、ゴシック時代の小庭園を復元してみせているということで、林達夫本人がゴシックの研究家でもあることから虎の巻になったという下りの言葉は悪いが衒学趣味というのか、なにごとについても大きく振りかぶってみせるところも嫌いではないです。

 ゴシック庭園というのは、つげやホーリーを主として、それにローズマリー、ラヴェンダー、チムス草(じゃこうそう)、百合、オールド・ローズなどを配するものだという。しかし、ここでのつげはBuxus suffruticosaという矮性の香りのある種類で、日本にはこの文章が書かれた時代にはなかったというが、現在では輸入されているらしい。いずれにしろ、百合ぐらいはわかるかどうか、というくらいの植物とはおよそ無縁の私にはちんぷんかんぷんであって(オールド・ローズは薔薇とどう違うのかがわからない)、そんな私がこうした文章に魅せられるのは、自分が目指す庭というのはアーポレータム、つまり植物図鑑を現実化したような植物園であり、

・・・庭仕事によって歴史と美学と自然科学と技術との勉強をしているのである。いわゆる庭いじりは私の最も嫌いなものの一つで、そういう文人趣味には私は縁がない。

とすでに十分大きく振りかぶっていたと思っていた林達夫が更に大きく振りかぶり、ますますそういうの嫌いじゃないです、となる。

 そもそも私は賃貸ばかりで、自分の庭などもったことがなく、記憶のなかにある庭といっては、祖母の家にあった庭で、祖母の家はまだくみ取り式の便所で、幼かった私は、落ちてしまうと危険だと思われたのか、大便をするときだけは庭先の縁側に新聞紙を敷き、その上でさせられていた。

2018年4月4日水曜日

2.愚かさの世界――谷崎潤一郎『刺青』



 明治四十三年十一月号の「新思潮」に掲載された。短編小説。翌明治四十四年の十二月には、「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「象」「信西」と合わせて、『刺青』という表題で、籾山書店から刊行される。

 「其れはまだ人々が『愚』と云ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分であつた。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬやうに、御殿女中や花魁の笑ひの種が尽きぬやうにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間だのと云ふ職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。」こうしたときには美しいものが強者で、醜いものが弱者であり、美しさを求める結果、身体に墨を注ぎ込む刺青も盛んであった。まだ若い清吉という腕利きの刺青師がいた。奇抜な構図と妖艶な線で名を知られていた。いかにも名人気質らしく、気に入った皮膚と骨組みを持っていなければ、金を積まれても彫ろうとはしなかった。清吉の宿願は自分の気に入った女の肌を得て、そこに自分の魂を彫り込むことにあった。

 あるとき、清吉は深川の料理屋、平清の前を通りかかった折に、門に置かれた駕籠の御簾の陰から真っ白い女の足が出ているのに気づく。多くの皮膚を扱ってきた彼の眼をもってすると、この足こそが長年待ち望んだものであることが分かった。しかし、駕籠を数町追いかけたものの、やがて見失ってしまった。この足への思いは恋心へと変じたが、なすすべもなくその年を過ごし、翌年の春も終わろうとするころ、辰巳の馴染みの芸妓からの使いをもって見慣れぬ小娘が訪ねてきた。娘は近々自分の妹分として座敷に出るはずだと便りにはあった。清吉はこの娘こそが去年見た足の持ち主であることを見て取る。

 清吉は娘に二枚の絵を見せる。古代中国の暴君紂王の寵妃、末喜が欄干にもたれ、刑を受ける男の姿を見ている図と、若い女が桜の幹に身を持たせかけ、その下に累々と倒れている男たちの死体を見つめている「肥料」と題された絵である。清吉はここにお前の心が映っているはずだといい、娘も自分がそうした性分をもっていることを白状する。自分が隠そうとしていた性分を言い当てられ、不安になった娘は帰ろうとするが、清吉は麻酔剤で娘を眠らせ、娘の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫り込んでいく。すでに自らの魂に目覚めた娘は身をゆだね、清吉は娘の第一の「肥料」になる。「折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」

 「愚」という徳のあった時分とは、馬鹿正直に受け取れば、江戸時代は文化・文政の町人文化が爛熟したころだともみなせるだろうが、むしろ、いくつもの演目によって作り出された長屋や隠居、与太郎のいる世界を落語国というように、仮設された、それこそ美しいものが強者であり、醜いものが弱者であるような世界であり、生活のありさまが芸術となりえた世界だといえる。

 刺青は、絵画や彫刻のように空間的でありながら、時間的でもあるという奇妙なかたちの芸術である。時間的とはいっても、音楽のように非具象的なものではなく、あくまで具象性を備えている。しかし、空間的、具象的でありながらも、作品だけを切り離して鑑賞することはできず、呼吸する皮膚と分かちがたく結びついたそれは、見る時間や気候、さらには刺青された人間の体調や年齢、気分によっても変化する。端的に言えば、気が乗らなければ、見せてももらえないわけである。またそれを創りだす側からいっても、自分の理想とする肌を見つけ出すこと、その人物が画布となってくれることを承認してくれること、そして長い時間にわたる苦痛に耐える体力のあることなど越えねばならない障壁が多く、いざ彫ったとしても、普段は隠されていて見ることができず、公衆の前にあらわれることは決してないだろうという美学などによっては捉えようのない非常に特殊なものなのだ。

 実際、私が部分的なタトゥーではなく、本格的な彫り物を見たのは、かつて通っていた銭湯で出会うことのあったおじさんくらいのもので、ただどんな事情によるものか、完成までには至らなかったもので、赤い筋がにじんだようにぼやけて、果たしてなにが描かれているのか最後までわからなかった。

2018年4月3日火曜日

1.空間の映画――スティーヴン・ソダーバーグ『エージェント・マロリー」(2011年)



 脚本・レム・ドプス、撮影・ピーター・アンドリュース、音楽・デヴィッド・ホームズ。主演のジーナ・カラーノは、総合格闘技の選手で、ウィキペディアによれば、アメリカのスポーツ専門雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』で「もっともスポーツ界に影響力のある女子選手」に選ばれたこともあるという。原題のHaywireはもともと刈りとった干し草を束ねておく針金のことで、転じて混乱して、取り乱してなどの意味になることは束ねた草がほどけるとどうなるかを考えれば容易に想像がつくだろう。

 話はアクション映画としてはありきたりなものだといっていい。政府から仕事を請け負うこともある凄腕の女性エージェント(つまり、ジーナ・カラーノが演じるマロリー)が、ある事案を解決ししたころから命を狙われることになる。知るべきでないことまで知ってしまったのだ。

 ソダーバーグは、それほど関心をもって見続けていたわけではないが、私にとっては難解、というか、よくわからない監督だった。もっともヒットしたのは『オーシャンズ』のシリーズだろうが、豪華な出演者が目を楽しませてくれるとはいえ、ケイパーもの、つまり、それぞれの専門職に長じた犯罪者集団が、巨大な獲物を手に入れるというもので、そこには機械仕掛けのように正確に働き、それでも起きる不慮の出来事に対して、柔軟に対応しながら、目的に向かって進む集団の姿と、できうればあっと驚くような結末の逆転が欲しいところなのだが、三作のどれもそこまではいかなかったのではないかなあ、と曖昧になるのは、実はすべて内容をはっきり思い出せないためなのだが、これは同じく記憶は曖昧ながらも退屈だったと断言できるソラリスなどを考慮に入れつつ、今回面白いと感じた『エージェント・マロリー』のことを顧みると、はじめてソダーバーグのことが理解できるように思えた。

 ジャンル映画だけに、内容と形式があらかじめある程度決まっているので、ソダーバーグ本来の資質が変異として明瞭に浮き上がっている。思うに、ソダーバーグは物語を語ることや登場人物の感情の微妙な動きなどにはそれほど関心がなく、例えばこの映画でいうならば、閑散な通りを隔てて道の両端を歩く二人の人物、臙脂色の背景のもと画面を斜めによぎっていくエスカレーター、人っ子一人いない飛行場など、ある場面、あるいは構図を見出すことにより満足を感じるような監督なのだと思える。それもコンピューター・グラフィックスや予算をかけてできるだけこれまで見たこともない構図や映像を撮ろうとする現在の潮流とは異なり、どんどん余分なものを排除して、空間を簡潔でクールなものにしようとする姿勢が際立っていて、そのことは『トラフィック』、『コンテイジョン』等々、そしてこの映画も原題は『ヘイワイヤー』という無機質で、そっけないものだったことに端的にあらわれている。

2018年4月2日月曜日

1.芸と散文――石川淳『曽呂利咄』




 昭和13年、「文藝汎論」5月1日号に掲載された。短編小説である。第二次世界大戦前年の1938年の発表で、小説の舞台となっているのも、天下が一応は統一されたのだが、明に対する侵略を試み、利休を殺すなど、秀吉の誇大妄想と偏執的な部分があらわれてきて、一部の慧眼な人々にはさらなる戦乱が予感されていたころで、万事殺風景になっていた。
 お伽衆の曽呂利新左衛門も仮病を使って太閤からは遠ざかっていた。そんな折、ある夜のこと、曽呂利のもとに石田三成が訪ねてくる。頼みごとがあってのことだ。さる酒問屋において、煌々とした光のなか大盃がぷかりぷかりと宙を漂い、なみいる酒樽の酒をどくどくと注げ受けては空のかなたに飛び去ってしまうという事件が起きた、こうした怪異を放っておいては、事実無根の流言がはびこり、京の秩序が守られなくなる、その探索を曽呂利に頼もうというのだ。
 政治向きのことには容喙しないと決めている曽呂利だったが、かねて目をつけていた太閤秘蔵の狩野山楽の軸物、日の出に鶴をあしらった絵を褒美にもらえるというので気持ちが動いた。お伽衆ともなると、特別な嗅覚が働くものか、早速嵯峨野の奥に怪しげな庵を見つけ、巡礼のふりをして一献汲み交わすあいだに、かの者が源義経の一党でただ一人生死が確認されずに終わった常陸坊海尊であることを見破った。長生の法を習得し、各国の山々に隠棲していたらしい。発見されたからにはもはやこの国に用はなし、外国に行って切支丹の魔法でも修めることにしようと、飛行の術で飛び立てば、曽呂利の方も山楽の軸を広げ、空を飛ぶのは修験道ばかりではない、芸道の奇瑞を目にも見よ、と飛び立つが、「春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はつと夢破れて起きあがつた曽呂利が大きな嚔一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。」

 石川淳は小説や散文の方法についての批判的意識には旺盛で、短編小説はすでに形式的に行き詰っており、新たな可能性は長編にしかないと考えていた。ところで、その長編小説、決してつまらなくはないが、短編や批評に比べるとさほど読み返したくはならないのが私の正直な感想で、思うにそれはこの短編の結末の部分にも、戯画的にではあるが、あらわれているように、石川淳自身仙術程度の効能は芸の力に見いだしており、私などがこういう文章を読むとうっとりするのも芸に対する信頼が共有されているためであろう。長編小説で芸が問題になることはない。プルーストやヘンリー・ジェイムズは織物を織りあげるようで、熟練した職人の技を感じるが、芝居、演芸などについていわれることの多い芸は、より身体的なもの、時節にかかわるはかなさと絡み合っていて、危機的な状況のなかで書かれたことがこの短編小説をより輝かせている。