2018年6月25日月曜日

23.濡れ浴衣三味線の音をしたたらし――森鴎外『そめちがへ』



明治30年「新小説」に掲載されたもので、鴎外のなかでは唯一、江戸文学の雰囲気を濃厚に残したものであって、生涯の著作を通じてそう大きく変化することのなかった簡潔な文章は、短編ではあるものの会話も手紙の文も描写も地の部分になだれ込んで途切れることなく続き、しかも狭斜の巷が舞台になっていることもこの作品以外にはなく、芸者が主人公の女性小説というのも、歴史小説や史伝で女性が取り上げられたことはあっても、通常の小説ではなかったはずで、まさにないないづくしのこの短篇は、決して鴎外の代表作とは言わないが、私にとって忘れがたいものとなっていることは確かで、内容はいたって単純で、自分の馴染みである「親方」を別の芸者に横取りされた兼吉が、やけ酒にあけた次の日、昼過ぎに帰ろうとしているところに、こちらは色恋には関係のない上客の三谷さんが来たので、おつきあい、二階で飲んで、愚痴ではないけれど経過を報告すると、そういうときには何でもしたいことをして遊ぶに限るといわれた兼吉、それなら清さんと一日でも遊んでみたい、しかし、あいつにはお前の友達の小花がいるじゃないか、それはわかっています、ですから私の心を打ち明けて、駄目なら駄目、受け入れてくれるなら、命も惜しくはありませんと言い切るので、三谷さんが清さんを呼んでくれることになり、しばらくしてあらわれた清さん、ひとつ布団に枕が二つ並んでいるのを見て、驚いて帰ろうとするのを、まあ話だけは聞いてください、と兼吉、酒の席で、ついあなたの名前を出してこうなった次第、茶番ですから浴衣に着替えて三十分も横になっていてください、というものだから、しばらく横になってからお湯に入って帰ってしまったが、小花のほうには朋輩からよからぬ噂も入って、気がふさいでいるところに、兼吉から届く手紙、浮気性で、最近の親方との仲は誰もが知っていたことですが、どんな因果か、ずっと以前から清さんにはお前というものがありながら、思いをかけるようになり、酒席での勢いから二人になれることになったときには嬉しさにあふれたことですが、いざ二人になってみると、そんなことを考えた自分の身がいやしくも汚らわしく、酒席の冗談ですませてしまった事情の説明とともに、清さんほど優しい人はいないのだから、大事にして御上げなさい等々付け加えてあって、どこが嬉しかったのか小花はこの手紙を肌身離さず持ち歩き、やがて家督を継いだ清二郎は、小花でなければ生涯女房をもつことはありません、と一徹なのに親類も根負けし、仲立ちを務めたのは三谷さんで、一方兼吉のほうは、と最後の文が続くのだが、この文章が哀切さと向こう意気と、つまりは戯作文学の、江戸遊里文化の華がみっちりと詰まっており、大好きな一節であって、すなわち、「兼吉はまたけふが日迄、河岸を変へての浮気勤、寝て見ぬ男は誰様の外なしと、書かば大不敬にも坐せらるべきこと云ひて、馴染ならぬ客には胆潰させることあれど、芸者といふはかうしたものと贔屓する人に望まれて、今も歌ふは当初(そのむかし)露友(ろいう)が未亡人(ごけ)なる荻江のお幾が、彼(かの)朝倉での行違(ゆきちがひ)を、老のすさびに聨(つら)ねた一節(ふし)、三下(さんさが)り、雨の日を二度の迎に唯だ往き返り那加屋好(なかやごのみ)の濡浴衣(ぬれゆかた)慥(たし)か模様は染違(そめちがへ)。」、露友は荻江節の宗匠が継ぐ名前で、天保七年に生まれ明治十七年に死んだ「今紀文」と呼ばれた近江屋喜左衛門が長らく絶えていた四代目を襲名し、現在でも細々と続いているらしいが、およそ江戸俗曲に疎い身の、ネットで数回見てみたものの、長唄小唄と聞き違へ。

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