吉川幸次郎が儒学や杜甫についての大学者なのはいうまでもないが、学問の厳しさを感じることはあっても、批評の鋭さを感じることはなかった。
ところが「萩原朔太郎ーもの、寝台、陸橋ー」という10ページにも満たないような短い文章は、どんな朔太郎論よりも説得力のあるものだった。とはいえ、それほど朔太郎論を読んでいるわけではないので、この短文はとっくに問題にされているかもしれないし、異なった視点から同じような結論を引きだしている人もいるのかもしれない。
とにかく、吉川幸次郎によれば、朔太郎は常に複数を求める。複数を支えるのは抽象である。たとえば、詩「竹」にある「もの」は多くの詩人の場合のように象徴ではなく、抽象である。複数の世界の重さに堪えるものとして「寝台」があった。
象徴ではなく観念が求められたから、朔太郎は自然には興味をもたなかった。
陸橋を渡つて行かう陸橋の下にあるのは自然ではない、もつれ合う複数の軌道である。
黒くうづまく下水のやうに
もつれる軌道の高架をふんで(「蝶を夢む」ー陸橋−」)
桑原武夫が、京都の竜安寺に詩人を案内したとき、これらのコンクリートの塊は、どのように合成したのかと問われて、困惑したという。
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