2018年1月10日水曜日

テオ・アンゲロプロス



・テオ・アンゲロプロスの映画は、その背景にあるギリシャの歴史が直感的にはわかりにくい。そのため、5年年長に過ぎないゴダールなどと比較して、先鋭的な映画人として、あるいは偉大な先達としてアンゲロプロスは正当に位置づけられることがすくない。


 フレドリック・ジェイムソンは、ギリシャという国の分かりにくさの理由として、他の西欧諸国ではそれぞれが少しずつ経験した国民的経験をギリシャがすべて経験したことによるとしている。つまり、革命、ファシズム、占領、市民戦争、外国からの干渉、西欧的帝国主義、亡命生活、議員制民主主義、軍による独裁、そして60年代以降には、新バルカン戦争とも言えるコソボ紛争で流出する難民を間近に見ながら、第一次大戦のときに自ら経験したことを追体験するといった幾重にも折り重なった経験の襞がギリシャの状況を一筋縄では捉えられないものとし、ひいてはアンゲロプロスの映画を感性で理解することを困難にしている。

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